合縁奇縁

プロローグ

その年の大河の予定を見た時から、嫌な予感はしていたし、それが的中するだろうとも思っていた。
ニヤニヤしながら近づいてくるクラスメイトの相馬を見た時にそれなりの覚悟、(というほど大げさなものでもなかったけれど)腹づもりはしていたつもりだった。
だけど所詮、つもりはつもりに過ぎなかった。

「よう乃木―。昨日の大河、見たか?」

そらきた。

こういう手合いはもう無視するしかない。
反論したってどうせ自分の脳内設定が正しいと信じて疑ってないし、言っても聞く気なんかない。
そう乃木(のぎ)幾久(いくひさ)は考えて顔を背ける。
だが教室の一室、しかも廊下際の席とあっては、顔をそらしても壁しか見えない。
「無視すんなよ、見たんだろ?」
「見てない」
むっとして言い返すと、相馬は大げさに肩を揺らす。
「はぁ?見てない?マジありえねーっつーか、そうか、余裕?」
マトモな日本語話せよコノヤロー。
そう言いたいのをぐっとこらえて幾久は返す。
「余裕とか、意味判らない」
「はっ?マジで?マジで?」
そして相馬はぺしっと自分の額を自分で叩く。
「あ、そっかあ!乃木君には全部、もうとっくに知ってることなんだもんねえ、当然っちゃ当然かあー、そっかあ!」

乃木幾久がこうからまれるのは、あるドラマが原因だった。
公共放送を謳っている某放送局の連続ドラマ。
乃木希典の生涯とかなんとか、そういうのをやっているらしいけれどその内容は散々なものだ。
いかに乃木希典が無能だったか、くだらない戦略をしたか、おまけにそのラストが『天皇陛下のあとをおって腹を切る』っていうもので時代錯誤もはなはだしいと失笑の的になっている。
そんなドラマ、とっとと打ち切りゃいいものを、それでも人気だからと続いていて、原作の本もベストセラー。
世間では「乃木希典は無能」という『常識』が横行していた。
乃木幾久がこうもからまれる理由は、その乃木希典の子孫だったからだ。

心の中で幾久は舌打ちする。
担任が余計なことをばらしたばっかりに、余計な目にあって本当に面倒くさい。

クラスメイトは遠巻きに見ている。
多分、面倒に巻き込まれたくないのだろう。そりゃそうだ。
だってもし自分がこういう状況を見たとしても多分、自分も同じようにするしかない。
来月には殆どの面子が変わらないまま、この学校の高等部へ進学するのだ。
あとは今週末の卒業式を迎えるだけの時期に面倒なんかおこしたくないに違いない。
そう思っているのに、もしくはそう思っているのを知っているからこそ、相馬はちょっかいをかけてくるのだろう。
「放送局から先にもうDVDとか貰ってるから、今更なんだあ」
「貰ってねーよ」
言ってからしまった、と思っても遅い。
引っかかった、と相馬はにやりと笑う。

「またまたー。どうせ放送局からお金とか入るんだろ?いいなあ金持ちはよー」
入るかよ。うちが貧乏じゃねーのは父さんが役人だからだよバーカ。そもそも儲かってるのは小説の作家と出版社だろ。
そう言いたいのをぐっと堪える。これ以上面倒は嫌だったからだ。
「やっぱいいよな、歴史に名が残る一族っていうのはさあ。それだけで信用があるもんだしさ。まあ、それがどういう名前であってもあるだけいいよな。役立たずの軍人でも神だもんなあ。神!あなたが神か!なんつて!」
有名なマンガの台詞を引用してつついてくる。

うぜえ。
物凄くうぜえ。

でも実際、『神』になってる自分の祖先の存在も、正直、うざい。

「なあ神、願いかなえてくれよー神―」
しつこい相馬のからかいに、幾久はがたんと席を立つ。一瞬、相馬がひるんだ。
「な、なんだよ」
「便所」
そう幾久が答えると相馬はほっと安心して、よせばいいのに調子に乗った。
「へぇー、神でも便所行くのか!」
遠巻きに見ていた相馬の友人やクラスメイトがどっと笑った。

その瞬間、幾久の手が相馬の襟首を掴み―――――相馬を思い切りぶん殴ってしまっていた。
どおっと相馬が倒れ、尻をついた。
その音にびっくりしたのは幾久の方で、一瞬自分が何をしたのか理解できなかった。

他人なんか一度も殴ったことはない。
殴ってから、初めてそこまで自分が怒っていたのか、と気が付いて自分でもびっくりしたほどだ。

だが、自分が思わず相馬を殴ってしまったことに気付いた瞬間、もういいや、という気持ちになった。



「ついでだから、もう一発殴るわ」
「え?え?ちょ、やめ、」

ごすん、ともう一度、音が響いた。