合縁奇縁

(4) 春嵐

「……んだと?」
庇った相手にその態度はどうかだろ、と思って幾久はむかっとする。ぼそっと高杉が栄人に耳打ちした。
『栄人、片付けェ』
『りょーかいりょーかい』
うきうきしながら、こっそりと、高杉と栄人がちゃぶ台をそーっと引き下げていく。
空いた襖から廊下にちゃぶ台をこっそりと廊下側へ移動させる。幾久は全く気付かない。
「なんだよその態度」
幾久が言うと山縣が顎を上げた。
「はぁ?てめーが勝手に勘違いして言ったんだろ?」
「庇った相手にきめぇはないだろ!」
「だから正義厨きめえって言うんだよ。誰が庇ってくれって頼んだよ」
「そういう言い方、ないだろ!」
いろんなストレスとか訳のわからなさとか、そういった感情がたまりにたまっていた所にこの有様で、幾久は自分でも感情をセーブできなくなっていた。
そんな幾久に山縣は言った。
「言い方とか馬鹿じゃね?てめーが勝手に妄想して勝手に正義厨気取って気分よくなったくせに俺に感謝求めるのかよ」
ここまで言われる筋合いあるのか。
幾久は少なくとも、悪く言われてる山縣を庇ったのに。まるで苛められている気分だ。
誰も幾久の味方じゃない。
そういや最初から、栄人は正しい道を教えてくれなかったし、高杉はどこか見下した態度だし、久坂だって受け入れない雰囲気だし、山縣なんか最初からゲームしか見ていなかったじゃないか。
嬉しかったのは食事がおいしかった事くらいで、他にいいことは何も無い。
「そこまでなんで言われなきゃなんないんだよ!」
「はー?お前こそ一年のくせにその態度何な訳?調子こいて三年庇っていい気分で嬉しいんですかねえ」
耳をほじりながら山縣が言うと、幾久は心底かっちーんと来て、おもいきり山縣を突き飛ばした。
どすんっと山縣が腰をついた。
高杉と栄人がすでにちゃぶ台を片付けていたので、部屋は広く、なにもなくなっている。
立ち上がり、山縣が幾久の襟首を掴んだ。
「てめ!なにすんだよ!」
「うるさいな!オレは最初っから!こんなとこくるつもりなんかなかったんだよ!来たくなかったのに、どいつもこいつも勝手にえらそうにしやがって!」
山縣を殴ろうと振りかぶるが、手をグーに握った山縣が幾久の腿を殴る。
どすっ、と殴る音がするが、音ほどの痛みはない。
山縣は幾久の腿を何度も殴るが、幾久は手を離さない。
「なんだよてめえ、うぜえよっ」
「うぜえのはお前らだよ!からかって馬鹿にして、おまけに正義厨とか!なんでオレがこんな目にあわなきゃなんねーんだよ!そもそも最初っから来たくなかったのに!」
涙目で怒鳴る幾久に、山縣が言い返す。
「じゃあなんで来るんだよ!来んなよ!」
「もう来ねえよ!どうせ最初ッっから他の学校に編入するつもりだったんだからな!父さんが言わなけりゃこんなところ、っ……」
そう言ったところで、つー、と涙がこぼれた。
くそ、こんな事で泣くつもりなんかなかったのに。
だけど隙を見せた幾久に、山縣がばちん、と平手打ちを返した。眼鏡が飛ばされ、はっとして殴り返そうとした幾久の手を誰かが掴んだ。
「はい、そこまで」
言うと、背後から足をすくわれ、ふわっと体が浮いた。どすんと背中が畳についていた。
天井が見える。
上から覗き込んできたのは、久坂だ。
「両成敗でおしまい。今日はもう遅いんだし」
「―――――ッ」
ぼろぼろっと涙がこぼれた。
くそう、上っ面だけでもうまくやるつもりだったのに、どうしてオレはこんな馬鹿なんだろ。
情けなくてたまらなくて、暫く幾久は仰向けで、手の甲で目を隠したまま、ずっと泣いていた。
背後でどすん、という音と、『ジャイアントスイング?電気あんま?』『やめてええええ!』という栄人と山縣の声がした。



暫くして上から濡らされたタオルがかけられた。それで顔を拭いて、のそりと幾久が起き上がる。
「……スンマセン」
顔をタオルで覆ったまま言うと、後ろからよしよしと頭を撫でられた。
「こっちも悪かったねいっくん。ちょっと僕ら、悪ふざけしすぎた」
声は久坂だ。じゃあ、この手は久坂なのか。
「いい、っす」
よくよく冷静に考えたら、確かに山縣の言葉は正論だ。自分は今日ここに来たばかりだし、山縣と高杉たちがどういった関係性なのかも知らない。
それなのに勝手に思い込んで勝手に文句を言ったのだ。文句を言う権利があるとしたら山縣本人で、幾久にそれをなにか言う権利なんかなかった。
「オレ、調子乗りました。多分、オレが文句言いたかっただけです。山縣先輩も、すいませんでした」
タオルで顔を覆ったまま言うと、山縣がおー、と言う。声は不機嫌ではなかった。
「部外者なのに、なんか、わかった口利いて」
「部外者じゃなかろーが。あほぅ」
背後から頭を撫でていた手で、ぽんっと軽く叩かれる。目を開けるとま正面に居たのは久坂だが、久坂の両手は久坂の膝を抱えている。
あれ、じゃあ、あの手は誰なんだ、と振り返るとそこには高杉の背中があった。
(……え?)
意外だった。頭を撫でてくる手はすごく優しかったのに、あの乱暴そうな高杉がそんな事をするのかと。
久坂は心配そうにはしているが、決してこちらに手を伸ばさない。
(……?)
不思議な違和感があった。だけどそれが何なのかは幾久には判らない。
栄人がさくさくと布団を並べていく。居間に布団をみっつ並べた。
シーツを横にしいて器用に全員寝れるようにセットしている。
「あのさ、今日はここで皆で寝ることにしたんだ。いいよね、いっくん」
栄人の言葉に幾久は頷く。あまりにも気まずい上に頭も冷静に働かなくて、もうなにも考えたくなかった。
「あ、じゃあ俺は」
山縣が移動しようとしたその襟首を栄人が引っつかんだ。
「山縣はこっちー。端っこね!おれがその隣で、おれの隣の真ん中がいっくん!その隣がぁ」
「ワシが寝る」
高杉が言う。
「じゃ、僕が高杉の隣で端ね。了解」
そう言うと全員が布団に入り始める。さっきまで喧嘩していたのが嘘みたいだ。
「消灯―」
言いながら栄人が灯りを消した。真っ暗、ではない。廊下のガラスごしに月明かりが見えている。くっくっという笑い声が聞こえた。
「消灯とか聞くの久しぶり」
「そういや、やった事あったかの?」
「なんか寮みたーい」
「寮だろ」
全員が楽しそうに話をしている。
「あのさ、今日はできなかったから明日いっくんの制服、チェックしないとね」
栄人の声だ。
「あーそうじゃのー、うちの制服、ちょっと初めは戸惑うじゃろーのー」
このひどい方言は高杉だ。
「別に俺は」
「空気読むの得意だよね、山縣先輩」
久坂の言葉に山縣がぐっと息を詰める。
「脅しか」
むっとして言う山縣に久坂が「まさか」と笑うが、その声はどこか冷たい。
くしゃりとまた頭に誰かの手が触れた。
さっきと同じ手だ。
「いろいろあろーけど、もうちょっと我慢せぇよ、乃木。別に、お前がどっか転校しても、わしらなんも言わんし、できることは協力する」
なんだよ、と幾久はまた涙が出そうになる。今更そんな事言われなくったって、自分のことくらい自分で決める。それに、あんまり今更じゃないか。苗字でなんか、呼ばなくったって。
「……幾久で、いーです」
まだ涙声が残っているけど、そう告げた。
ぐしゃりと手が、髪を撫でる。
「ほぉか」
ぐしゃぐしゃと撫でた後、さっと手が離れた。
「じゃ、おやすみ、幾久」
「おやすみーいっくん」
「おやすみーだねーいっくん」
「高杉―お休みー」
なぜか山縣は高杉の名前だけ呼ぶ。高杉は返事をしなかった。


暫くして周りが静かになり、幾久は泣き疲れたせいもあってすぐに眠くなった。
そういえば今日は朝に東京から飛行機で移動した上に、山登りまでさせられて、かなりしんどかったんだった、と思い出すと、すこんと落ちるように眠りについた。



深夜、幾久は不意に目を覚ました。
(……トイレ)
ものすごく行きたいわけでもないけど、眠くて起きたくないなあ、どうしようかな。行こうかな、とうとうとと考えて目をうっすら開けると、目の前に高杉の後ろ頭がぼんやりと見えた。
寝る前に枕元に置いた眼鏡を手探りで探し、眼鏡をかけた。
(あ、そか……)
居間に五人が横に並んで寝ているが、幾久を真ん中に、隣が高杉と栄人、栄人の隣が山縣で、高杉の隣に久坂が寝ていた。
(高杉先輩、じゃなかった。ハル先輩、かぁー)
最初から変な出逢い方だったなあと幾久は思い出す。そういえば高杉の顎をけっとばして怪我させたんだった。あれはもう大丈夫なのかな。
今更思い出して気になって、明日目が覚めたら聞こうかな。うとうと考えながら眼鏡をかけたまま、あー、トイレどうしよ、と、目を閉じようとすると、高杉の向こうに久坂が見えた。
久坂は高杉と向かい合う格好で寝ているので寝顔が見える。
(うわー……寝てる姿もイケメンですねこりゃ)
ほんと恵まれた人っているんだなあ、と幾久は思う。
背も高くて顔もイケメンで声もよくってなんか育ちもお坊ちゃんぽいし、浴衣なんかで寝るってことはやっぱ金持ちなんだろうなあ、渋くて高そうな浴衣だったし、とか思っていると、ごそ、と久坂が動いた。
(あれ?久坂先輩もトイレ?)
じゃあ、久坂がトイレに起きた後に行こっかな……さすがに連れションは気まずいわー……と思っていると、久坂の両手が寝ている高杉に伸びる。
(……ん?)
上半身を肘でずらし、そっと高杉に顔を近づけていく。
(……んんん?)
両手で高杉の頬を包み、至近距離まで顔を近づけて。
(―――――って、えええええええええええ?!おいおいおいおいおいおい!)
どう見てもキスシーンだ。
おいまじですか。
寝たフリをすればいいものを、あまりに驚いて目をぱっちりと見開いてしまっていた。
そして最悪なことに、おもいきり、ばっちり、久坂と目があってしまっていた。久坂は一瞬、驚いたようだったけれど、人差し指で「しっ」という仕草をして、微笑んだ。
思わずこくこくと頷いて、幾久は体の位置をぐるんと反対向きにした。
(うわ―――――っ!よりによってなんてタイミングで起きたんだよオレぇえええええ!こんななら眼鏡しなきゃよかったぁあああああ!)
今更寝ぼけたフリをしようにも、眼鏡越しの視線がばっちりと久坂とバッティングしたのだ。しかもあれじゃ久坂のほうも絶対に起きているし気付いている。寝ている高杉は気付いてないようだったが。
(あれって、あれって、やっぱ、キス、だよ、なぁ?)
ピアスの意味ってやっぱあれか、ゲイか、ゲイなのか。でも久坂はゲイじゃない、とはっきり言ったはずだ。ゲイじゃないならなんで。
そこで幾久ははっと気付いた。
(両刀の、バイってことかぁあああああああ!)
あれか?両耳のピアスは両方いけますよーってことなのか!で、右に三つってことはあれか、どっちかっつうと男が好きだけど女もいけないことはないよって事なのか?うわーうわーうわー!
どう見ても高杉と久坂は親友と言う雰囲気だった。
でも、こんな夜中に内緒でってことは、つまり。
(く、久坂先輩の片想いとか?!)
なにそれめんどくさい。
ないわ、マジでないわ。
なんかさっきと違う意味で泣きそうだ。イケメンだとそういう弊害があるんだろうか。
トイレに行きたかった気持ちもひっこんで、絶対に背後の空気は探らないようにしようと、心に誓いながら、眼鏡をかけたままで幾久は無理矢理目を閉じた。







目が覚めて、ああ、しまった、と思った。
(眼鏡、かけたままじゃんよオレ)
ああ、やっぱり夕べに見たのは夢じゃなかったんだ。
どうしてこういう無駄なタイミングばっかりいいんだろう、もうやだ。
そう思いながら起き上がると、周りは誰もいない。
(あれ?)
布団はそのままだが、寝ているのは幾久一人だったようだ。
(寝坊とか、いーのかな)
寮は起床時間や消灯時間とかあるだろうに、そういったものはどうなっているのだろうか。
そういえば朝食は何時からなのだろうか。
ぼけっとしていると開いた襖の向こうから栄人が現れた。
「いっくん、起きてた?いま起こそうと思ってた!おっはよ!」
「……はよう、ゴザイマス」
ぺこりと頭を下げると、ぽいっとタオルが投げられた。
「顔洗って着替えてきなよ、朝ごはんにするからさぁ」
「う、す」
頷いて着替えを持って洗面所へ向かい、顔を洗って服を着換えた。幾久が居間に戻る頃にはすっかり布団は片付けられて、ちゃぶ台が昨日あったように戻されていた。
テーブルの上にはなぜかホットプレートが乗っている。
(なんで?)
朝食をホットプレートで作るのか?まさか。
寮母の麗子さんが作りに来るのだろうか。
あんなに本格的な料理を作る人が、ホットプレートとか使うのかな。そう考えていると、ぞろぞろと全員がいろいろ持って入ってきた。ボールや皿や、フォークにナイフ、なぜか箸まである。
「あの……」
「あさごはんはホットケーキでーす!」
栄人の言葉に幾久は目を丸くする。
「あの、朝飯ってこれですか?」
「あれ?いっくんホットケーキ嫌い?」
「いや、フツーに食いますけど、麗子、さんは」
「あー、休み休み。今日土曜っしょ?土日は基本、麗子さんはお休みなの!」
テーブルをセッティングしながら栄人が言う。高杉が腰を降ろした。
「おはよ幾久。よく眠れたか?」
「あー……あの、」
眠れたっつうか、無理に眠らざるを得なかったというか。口ごもっていると高杉の後ろで久坂がにっこり、と笑って言う。
「おはよ、いっくん。いい朝だね」
高杉の肩に久坂の手が触れている。昨日は気にならなかったが、ああいうのを見てしまうと妙にそういう意味かと気になってしまう。しかしにこにこ笑っている久坂の表情の裏になにもないと気付かないほど幾久は鈍くはなかった。
「おはようございます」
そう言ってさっと久坂から顔を逸らす。
久坂がちょっと楽しそうに微笑んだ。
「幾久、お前アレルギーとかあるか?」
高杉の問いに幾久は首を横に振る。
「特にないっす」
「じゃ、大丈夫だな」
ホットプレートの上に手をかざす。
「ぼちぼちかのー」
「バター落としていい?」
「落とせ落とせ!」
二年生トリオが楽しそうにそう話しながら準備をしている。いつの間にか山縣も席についていた。携帯ゲームは持っていなかった。
「……山縣、先輩、おはようございます」
ぼそっと言うと、山縣はやはり嫌そうな顔をしたが、「おう」と返した。
「あの、今日はゲーム、しないんすか」
「してーわ」
ちっと舌打ちしながらそっぽを向く。あれ。じゃあやっぱり我慢しているのか。ひょっとして自分のせいなのかな、と思ったが聞きづらい。黙っていると、山縣が幾久に聞いた。
「おめ、携帯ゲーム持ってねーの。モンハンは」
「持ってますけど、最近はあんまり」
はまって成績が落ちてしまって自重していたら、そのままなんとなくやらなくなっていた。
「ハンターランク」
「確か5ですけど」
「ゴミめ。使えねーなお前」
ちっと山縣が舌打ちする。前言撤回だ。やっぱりこの人嫌われものの理由判るわ。
じゅー、という音に顔を上げると、驚いた。
栄人がホットプレートに、ホットケーキのタネを全部一気に流し込んでいる。
「なに、やってんすか?」
ホットケーキと言えば一枚ずつじゃないのか。なんでこんな無茶するんだ?驚くが、栄人はん?と首をかしげる。
「大きいホットケーキ嫌い?」
「いやいや、そうじゃなくて」
なぜこんなわけのわからないことをするのか、と聞きたかったのだが。
「うちはいっつもこうだよ。だってめんどくさいじゃん」
「めんど……」
いや、こんなホットプレート一面に流し込んででっかいホットケーキとか、そっちのほうが面倒くさいんじゃないのか。
そもそも、上手にひっくり返るのか?こんなもん。だが、誰もそれに異論は唱えない。
黙って様子を見ていると、暫くして栄人がへらを使って焼けた底を見ている。
「上手にできたかなー」
「ぼちぼちいいんじゃね?」
楽しそうにやっているのを呆れてみていると、また久坂と目があった。にっこり、と整った顔で微笑まれるとどうも具合が悪い。
ちらっと高杉を見ると、何も気付いてないようだ。
すっと久坂の目が細くなり、高杉の肩に顎を乗せた。
「ねぇ、ハル、まだ?」
「おー、もうちょい。待っちょけ」
すり、と顔を高杉の肩にすりつける。
(な、なんで……なんであれで気付かないんだぁあああああああ!)
おろおろする幾久だったが、多分誰もそのことには気付いていなかった。久坂以外は。

ホットケーキの上には大量のフルーツとかチョコレートシロップとかメイプルシロップとかクリームが乗せられて、もはやホットケーキは敷いてあるだけの分厚いクレープ状態だった。
うまくはあった、腹もいっぱいだ。やっぱりコーヒーは豆から入れられていた。
食事が終わって片付けられると、高杉が大きな風呂敷包みを、持って来た。
「なんすか、それ」
えらく上等そうな、黒い風呂敷に包まれている。
「お前の制服じゃ。着てみんといけんじゃろうが」
「え?でもサイズ、大丈夫だと思うし」
採寸はしてあるから問題はないはずだ。
「もし誰かと間違ってたらまずいじゃろ。お前が確認せんで失敗するのはお前のせいじゃが、他の誰かが困っちょるかもしれん」
へえ、そういう考え方もあるのか、と幾久は感心した。そこまで考えたことはなかったからだ。
風呂敷を広げ、その中の箱を出す。
広げられた風呂敷の上を、高杉が叩いた。
「ここに立て。汚れる」
「あ、はい」
靴下のままでいいのかな、と思って戸惑っていると、そのまんまでええ、はよ上がれ、と言われ、風呂敷を踏む。
「服脱げ。で、シャツ」
着ていた服を脱いで、シャツを着る。
しゅるっと袖を通して、幾久は驚く。
(あれ。すごい、なんか、気持ちいい)
肌触りがすごくいいのだ。
「サイズは間違ってないか」
「ぴったりっす」
ボタンをとめていき、履いていたジーンズも脱ぐ。
「で、ちょっと困るのがこれじゃ。ほら」
黒いボトムを渡されて履いた、まではいいが。
「……?これ、ベルト穴、ないんすけど」
持ち上げていないと下がってしまう。
「トラウザース、ちゅう言い方をするんじゃ。で、使うのがコレ」
高杉が出したのはサスペンダーだ。
「サスペンダーが制服なんですか?」
「これもブレイシーズ、っちゅう。イギリス式の言い方じゃ」
「ちなみにイギリスじゃサスペンダーって言ったらガーターベルトの事なんだって。ひとつ勉強になったね」
にっこりと久坂が言う。
「えらいお前饒舌じゃのー。幾久気にいったんか」
服を出しながら高杉が言う。
「まぁね」
ふふと笑うが、幾久はその度に心臓が握りつぶされる心地だ。
(こえぇええよぉおお)
イケメンがよく判らない意味で微笑むとなんか迫力あって逆に怖い。
「でもこのサスペンダー、なんか飾りがあるんすけど」
サスペンダーと言えば、ボトムにはさむ金具があるが、その金具に穴が二つ開いた革の小さなベルトみたいな飾りがついている。
「飾りじゃねえ。この金具の上に、ほら、穴、あるじゃろ。ここをこう、外して」
そして金具を取り外し、再び止める。金具が外され、穴の開いた小さな革ベルトだけが残される。サスペンダーの金具部分がなく、逆U字型のものがついている。
「……?」
全く訳がわからない。なんだこの制服。
「で、このトラウザースの内側に、ボタンがある。これにつける」
ひょいひょいと高杉がボタンにサスペンダーを装着する。
「このサスペンダー」
「ブレイシーズ」
「ぶ、ぶれいしーず。なんでベルトじゃないんですか?」
高杉が答えた。
「ブレイシーズだとボトムが皺にならんじゃろ?ラインが綺麗に出るし、太っても着られるから便利、ってことらしいけどな」
「ググレカス」
「黙っちょけ、ガタ」
高杉が言うとぴたっと止まる。
三年なのに、なんだろう、この扱いと態度。まあ、それは昨日大失敗してしまった事なので今はあえてスルーだ。
「普段の制服なら、ベルトつけられる奴も着ていいけど、これは礼服だから。ま、これ着て通ってもいいんだけどね」
なにそれ。ってことは、礼服と制服が違うってことなのか?尋ねると栄人が言った。
「いや、一緒一緒。二本目を作るならベルトのほうが便利。大体みんなそうしてるし、おれのもそうだし」
久坂が言う。
「うちの学校、とにかく式のときだけはきっちりしてないと、即退学って言うくらいだから。調べるわけじゃないんだけどね。その代わり、普段はすごい自由だから」
「そうですか」
面倒くさい学校だなと思うが、式だけならまあいいか、と納得する。
シャツのボタンを留めて、トラウザースの中に入れる。確かにシャツは皺にならないし、パンツラインも綺麗に出る。
「で、これがウェストコート」
「ベストじゃないんすね」
やっぱ呼び方が違うのか、と幾久が言うと高杉がそうじゃ、と答える。襟のついた黒のベストは、高校の制服っていう感じじゃないな、と幾久は思う。
「お洒落なカフェとかの制服みたい」
「そうそう、うちの学校の文化祭みたいなやつのときはこの制服でカフェやるんだよ。もう女の子がキャーキャーすごいよ!売り上げも!」
売り上げってなんの事だろうと思ったが、高杉から黒いネクタイを渡される。
「結べるか?」
幾久が首を横に振る。
「じゃ、結んじゃる」
幾久に向かい合い、高杉がネクタイを器用に結ぶ。
「上手いっすね」
「毎日やっとるからのう」
それでも自分のネクタイならともかく、向かい合っては難しいんじゃないんだろうか。そう言うと栄人があはは、と笑う。
「ハルが毎日、そいつのネクタイ結んでんだし」
栄人が指差したのは久坂だ。
「え」
ひくっと幾久の表情がひきつる。高杉が言う。
「こいつ、すげえ寝起き悪りーんだよ。朝こいつが機嫌悪くてもそれデフォルトだから気にすんなよ」
「や、ハルも相当だし」
「わしゃネクタイ結ぶくらいにゃちゃんと目が覚めちょお」
……なんかひょっとして、と思ったが、いやいや、余計な事は言うまいと口を引き結ぶ。
「で、これがカフスボタン」
「カフスボタン?!」
黒い地色に白の鳥の家紋が入っている。
この鳥は高校の校章だったはずだ。
「なんか……すごい制服っすねぇ」
次元が違う。これ一体全部でいくらしたんだろ、とげんなりする。こんな制服でどっかに編入したら悪目立ちしすぎる。これなら私服のほうがマシだ。
「まさかタイピンまであるとかないですよね」
幾久が言うと高杉が答えた。
「タイピンはベストがある場合はしないんだと」
「へぇ、知らなかった」
スーツにそんな決まりが色々あるのか。
「つか、必要ないだろ。ベストでタイは押さえられるし」
カフスボタンをつけられ、ネクタイをきちんと調えられる。ベストもネクタイもトラウザースも真っ黒だ。
「葬式みたい」
「模様があんだろ、一応」
ネクタイの下のほうに小さな白い鳥の、カフスボタンと同じ模様が刺繍で入っている。
「あと、これは式用のネクタイで、普段はクラスごとのネクタイがあるんじゃけど」
箱の中を探ると、グリーンの混じったような灰色のネクタイが入っている。
「あれ?いっくん鳩なの?!」
栄人が驚いて声を上げる。
「本当だ、鳩だね」
久坂も少し驚いている。
「鳩って。クソが」
山縣も言うが、なんだか思い切り馬鹿にされた気がする。
「なんか、悪いんですか」
むっとして幾久が言うと、山縣がはっと笑う。
「鳩なんか千鳥よりマシってくらいだからやっと人間レベルだろ。鳩のくせに御門入んじゃねーよ」
「黙れガタ」
高杉が言うとぴたっとまた止まる。なんなんだこの人。
「鳩ってそんな悪いんですか?」
むっとしつつも尋ねると久坂がまあ、と言う。
「良くはないね。悪くもないけど。普通っちゃ、普通のレベル、かなあ」
普通なら別にいいじゃん、と幾久は思うが高杉が言った。
「幾久は編入試験の時期もあるからな、次は鷹じゃろ。がんばりゃ鳳もいけるはずじゃ」
ええ学校におったしな、と高杉が言う。あれ、と幾久は思う。どうして高杉が幾久の前の学校を知っているのだろうか。
「先輩たちは、クラスどこなんですか?」
「ガタは鷹。わしらは全員鳳」
それって頭いいってことじゃないのかな。少なくとも、現時点での幾久よりは。
「それよりジャケットあわせえ。一番大事じゃろ」
「ジャケットはジャケットでいいんだ」
幾久が言うと、久坂が言った。
「テーラードジャケット、とか?」
「めんどくさいです……」
もういいじゃんジャケットで、と言うとそれでいいんじゃ、と高杉が笑った。
ジャケットは金のボタンが二列で四つずつついて八個。ダブルのジャケットで裾が長めだ。
袖には金のラインがひとつ。
校章はくすんだ渋い金色のバッジだ。
「軍服……」
そう、なにかに似ていると思ったら軍服そっくりだ。
「正解。これ、英国海軍の制服を元にデザインしたんだと」
「せめて胸がワッペンならねー。で、こっちが帽子」
「うわ」
もろになんか自衛隊みたいな帽子だ。つばの部分は黒、中央に派手にデザインされた校章、頭の部分は白だ。
「帽子は始業式、終業式、入学、卒業とかの式以外では使わないから」
そうしてほしい。こんな派手な帽子、毎日被るとか恥ずかしい。
「それにしても、なんかすごい制服、っすねぇ」
姿見を持ってこられ、その姿に幾久はうわあ、と驚く。デザインは派手じゃないはずなのに、金色のボタンとラインと校章で逆に黒に映えて派手だ。
「あとこれもじゃな」
「バッジ、っすか?」
胸の校章がある部分の下に、長細いバッジを高杉がつける。
「一年鳩のバッジはこれ、で、その隣が寮の印じゃ。他に部活とか、成績が良かったりしたら略綬が貰える」
「略綬?」
「がんばったで賞バッジ、みたいなもん」
ジャケット左襟の部分のホールに丸いバッジを通す。さっきのネクタイと同じ、グリーンがかった灰色地で鳥のマークが入っている。
「これが鳩クラスのバッジ。あと、学年バッジがこれな。で、右胸に名札」
全部きちんと揃えられると、さすがにちゃんとして見える。
「ぴっかぴっかの!いちねんせい!」
「新しい制服ってやっぱ綺麗だよね」
「これで明日の入学式は大丈夫じゃな」
「ありがとう、ございます」
ぶっちゃけ一人じゃなくて良かった、と幾久は思った。こんなめんどうくさい制服、一人だったらちゃんと着ることができなかったかもしれない。
「じゃ、そのまま脱いでハンガーに掛けちょけ。部屋のあっちに皆使ってる衣桁がある」
「いこう?」
一体なんだ?と首をかしげると、久坂が幾久の肩を掴んだ。
「僕が教えるから」
にっこりと微笑む久坂に違和感を覚えながらも、幾久は、はい、と返事をする。そんな久坂に高杉が感心とも呆れともつかない風に言った。
「ほんっと、お気に入りじゃのー」
「まぁね。いっくん、着替え持ってきなよ」
「あ、は、ハイ」
制服を着たまま、幾久はさっき着ていた服を風呂敷に包み込む。
抱えて久坂についていくと、和室の襖を開けた。
広いその部屋には着物がかけられるような、四角い枠の連なったやつがある。
「それが『衣桁』ね。本当は着物をかけるものだけど、みんなハンガー代わりにしてる」
足元に服や鞄が置いてあったり、小さなチェストがおいてあったりで、ここが更衣室みたいなものなのだろう。
「冬になったらコートとかは玄関にかける所があるから。それと、」
「はい、」
振り返るとそこには、久坂の顔が間近にあった。
どアップのイケメン顔に、思わず幾久は後ずさる。
「あ、あの……久坂、先輩?」
上から覗き込む久坂の表情はにっこりと微笑んでいるというのに、そこから優しいものは見えない。
なにこの人。
なんかすごい怖い。
笑顔に見えても、それは表面だけなのだと幾久は気付いた。顔は笑ってても、本当は笑ってないんじゃないか。
「夕べのことだけどさ」
(!)
それはあれだ、久坂が高杉にキスしていたことだろう。
「えと、あの……、オレ、」
ばんっと背中の柱に手を置かれ、ぐ、と久坂が近づいてきた。
「高杉は何も知らないから。黙っててね」
うんうん、と頷くと、久坂はにっこり、と微笑んだ。
「じゃ、よろしくね」
そういうと久坂は部屋から出て襖を静かに閉めた。
和室に一人残された幾久は、風呂敷を抱えたまま、へたへたと座り込んだ。
(こ、こ、こ、こえええええええ!)
背は高いわイケメンだわで無表情で笑顔って迫力ありすぎる。
(めっちゃコエー!)
なんか一番怒らせちゃいけないの、きっと絶対にあの人だ。間違いない。
(なんか、オレ、早く転校してぇ)
入試の時には蹴られるわ、からかって山登りさせられるわ、オタクの三年生とは喧嘩になるわ、イケメンホモには脅されるわ。

(絶対に!絶対にうまくなんかやれねえええ!)

普通が一番、ちょっとだけ普通よりいいのがもっといいとそう思ってきたのに、この学校はなんなんだ。
寮じゃないし、制服もまともじゃないし、おまけに先輩もなんかまともじゃない人ばかりだ!
(早く戻りたい……絶対に東京に戻ろう……明日、父さん連れてかえってくんないかな)
入学式には父が来ることになっている。
その時にちょっとだけでも相談しよう、うん、そうしよう。
幾久は大きく長いため息をついて、がっくりと肩を落とした。