合縁奇縁

(5) 春あした

幾久が目覚めるとそこは昨日と同じく、先輩達が幾久を真ん中に、ぐうぐうと眠っていた。
本当なら、幾久の寮の部屋を決めるはずが、土曜日と日曜日は夕食も自分で用意するとかで、夕食の仕度を手伝わされて結局部屋も決まらず荷物もそのまま。
明日は入学式だけだし、幾久以外は休みだから手伝うし、翌日の月曜日は休みだし、別に急がなくていいじゃん、の栄人の言葉でスケジュールは決定、結局昨日のように居間で全員で眠ったのだった。
(……あ―――――)
幾久は眼鏡をかけ、携帯を手に取る。
音は消してあるが、バイブ機能はそのままなので携帯はめざまし機能でぶるぶると震えている。
朝の六時半。寮の起床時間とかは決まってない、と言われたのでいつも起きる時間そのままにセットしておいたものだ。幾久はボタンを押し、起き上がる。
「はよ、いっくん」
いつの間にかおきていた栄人が声をかけた。
「……はよ、ございます」
「皆寝てるから、静かに起きよっか」
栄人は小声でそう言うと立ち上がる。
「布団はそのままでいいから」
「はぁ」
栄人と幾久は二人で洗面所へ向かった。

顔を洗い、簡単に身支度を整える。
居間はまだ他の連中が眠っているので、幾久と栄人はキッチンへ移動した。キッチンはカウンターがあり、その椅子へ幾久は座らせられた。
「パンでいい?」
栄人の問いに幾久は頷く。
「じゃ、そこ座ってて。準備すっからね」
本来なら後輩の自分がなにかしなければならないのだろうけど、何も判らない状態なので、幾久は大人しくカウンターテーブルについておく。栄人は手際よく、コーヒーを入れ、バターやジャムを冷蔵庫から取り出す。いつのまにか、サラダまで準備してあった。
「学校まで道が判らんっしょ?おれが一緒についてくから」
栄人が言う。今日は幾久の入学式だ。
「スミマセン」
「いーよ。おれが意地悪したから、別の道通ったんだしね!」
「あれ、やっぱり意地悪だったんすか」
げんなりと幾久が言う。
一昨日、入寮式で初めて栄人に会い、この御門寮まで案内されたものの、栄人はわざと遠回りの、しかも山登りコースを選んで幾久を歩かせたのだ。
「だっていっくんまじテンション低かったじゃん」
そりゃそうだ。選んだとはいえ、もともとの希望とは違う学校だったし、ここしか選択肢がなかったのだから。
「そりゃさ、転校するまでの腰掛けーとか、東京から見たらど田舎の知らない学校って感じだろうけど」
ちーん、という音がした。パンが焼けたらしい。
栄人がトースターからさっとそれを取り出す。皿の上に丸いパンを置かれた。
バスケットには次々に焼いたパンが入れられる。
「そっちのがよかったら、それ食ってもいいから」
ホテルみたいにいろんな種類のパンがバスケットに入っていたが、幾久は栄人が用意してくれたパンを選んだ。
「いただきます」
「はい、めしあがれー」
栄人は楽しそうだ。同じように自分の朝食の仕度もすませ、幾久の隣に座って食事を始めた。
かし、とパンをかじりながら栄人が言う。
「おれはさ、この学校、好きなんよね。ずっと来たかったし、来てよかったって思ってる。だからさ、正直へこんだ訳よ」
「へこんだ?そんな風にみえなかったっす」
この根っから明るそうな栄人がへこむところなんか想像ができない、と幾久は思う。
「そりゃ見せなかったけどさ。いっくん、失敗した、って顔してたじゃん」
「そっすか」
「そうだよ」
確かにそうかもしれない。
少し期待はあったけれど寮は思った寮じゃなかったし、おまけに新入生は自分ひとりで、問題児ばかりと聞かされては。
「おれはさ、楽しみだったんだよね、一年生。なのにしょっぱから、あからさまに失敗したっていう顔だったり、なんか暗かったらやっぱさ、気分良くないじゃん」
「スミマセン」
「や、いっくんにはいっくんの事情があるんだからさ。それは別にいーんだけど。すごい、おれらも、麗子さんも、楽しみにしてたから」
それはなんとなく判る。
たった一人の入寮生の為にすごい歓迎会だった。
「ハルが特に凄い嬉しそうっていうか、それ通り越して親みたいにはらはらしてて」
「ハル、先輩が?」
どうもまだ言い慣れなくて、ハル先輩、と言うのに少し照れのような違和感がある。他の先輩は苗字をそのまま呼べばいいのでそこまで感じない。本当なら高杉先輩、と呼べばいいけれど、本人直々にそう呼べといわれては逆らえない。
「あいつさー、すごい癖がありそうじゃん。まあ実際癖あんだけど」
素直に頷いていいものかどうか、幾久は戸惑った。
そんな幾久に栄人は笑う。
「いいって、あいつも自分で判ってんだからさ。で、基本面倒は嫌がるけど、気に入ったのにはすごい面倒見良い訳。いっくんのことはすっげ気に入ってる」
「そっすか」
なんと答えていいかわからない。
「ま、でも俺にとっちゃ驚きなのは、瑞祥までいっくん気に入ってそうってとこかな」
その名前に幾久は思わず食べていたパンを喉につまらせ、慌ててコーヒーを飲んだ。
(……やっべー、あのガチホモ、じゃなくて、バイな久坂先輩もいたんだった)
気に入ってるってどういう意味で、と思ったが勿論そんなことを聞けるはずがない。栄人は幾久の様子には気付かずに話を続ける。
「正直さあ、おれ、瑞祥がいっちゃんやべーって思ってたんだよな。あいつが一番好き嫌いあるし」
「そうは見えないっすけどね」
久坂が高杉にキスしたのを、たまたま幾久が見てしまったから久坂も本音を見せたっぽいが、表立ってはそつのないタイプに見える。
「それよりオレ、山縣先輩の方が心配っす」
この寮で一番問題としたら山縣に違いない。なんたってずっとゲームから離れないし、目を合わせないどころか顔も見ない。おまけにしょっぱなから幾久と喧嘩までしたのだから。だが栄人は首を横に振り、笑って答えた。
「あー、あいつは問題ない!もう終わったことだからケロッとしてるよ」
「でも、オタクなんでしょ?」
幾久はあまりオタクという人種に関わりがない。
中等部の頃はそういったジャンルに趣味がある人もいたが幾久のグループとはほぼ関わりがなかった。なんとなく根暗とか粘着質、といったイメージしかないが。
「他のオタクがどうかは知らないけど、あいつはそうじゃないから。ま、心配しなさんな!」
心配するな、と口で言われても実際は喧嘩までしてしまったのだから無理な話だ。
確かに一応、仲直りはしているのだろうけど。
黙る幾久に栄人が言う。
「本当にむかついてたらあいつは全部言うから。ああ、それといっくんもなんかあったらちゃんと言葉に出して言うんだよ?察しろとか判れとか、無理だから」
「言葉に出してって……」
そんなの全部言葉に出してたらまた喧嘩になるんじゃないのかな。そう思う幾久に栄人が続けた。
「お互い知らないもの同士じゃん?おまけに生活もいきなり一緒とかになったら、我慢してたら爆発すっからさあ。実際それで出て行った奴もいるし」
「いるんすか?退学とか?」
幾久の問いに栄人はいんや、と首を横に振る。
「うちの学校はそういうのゆるいっていうか。合わないなら他の寮に行けばいいっていう感じなんだよな。そりゃ理由もなく簡単にはいかせてくんないけど」
「へぇー……」
「だからいっくんも、報国寮がいいなら、多分希望出せば移れるかもよ。ただ、空きが出れば、だけどね」
「空きって出るもんなんすか?」
「うーん、前期……一学期の終わりくらいには。一年生が辞めたりするし」
そうなると空きができて、入れる事もあるという。
「ただやっぱ、二年、三年が優先されるからねえ」
「でしょーね……」
「ま、希望出すだけなら出来るわけだし。行きたいところに行くのが一番だと思うよ?」
「考えときます」
正直、こんな少人数の寮はいづらい。他に一年生が居ればそれなりに話とか、そういったことも出来ただろうに、この二日間、幾久は先輩達に振り回されて終わった。
(寮の部屋も決まってないとか、絶対におれだけだろうなあ)
基本生徒しかいない為か、この寮というか寮生はフリーダムにも程がある。
食事時間も、睡眠の時間も、適当で自由だ。平日であれば寮母の麗子さんがいるのだが、その麗子さんも夕食の後は自宅に戻ってしまうので本当に大人の目が全くない状態だ。
(問題児をほったらかしって、ヤバイんじゃないの)
そう思っても、幾久がそれを確かめるすべはない。
もしゃもしゃとパンを食べ、それを飲み込んだ。
「パン。俺も食べる」
突然声が聞こえてぎょっとする。振り向くとそこには山縣が居た。
「……はよう、ございます」
「おー」
相変わらずの不機嫌そうな声だ。そしてやっぱりPSPを持っている。
「山縣、それなおせ」
栄人の言葉に山縣は不機嫌そうに睨むが。
「じゃないとマジ汚す。わりとマジで」
「……」
ちっと舌打ちし、ジャージのポケットにPSPを仕舞いこむ。
「あの」
「なんだよ一年」
「なに、いっくん」
同時に尋ねられ、幾久はびくっと肩を揺らす。
「あの、PSP、壊れてるんすか?」
「は?」
「え?」
栄人と山縣が同時に顔を見合わせた。
「だって、なおせって」
さっき栄人は山縣にPSPを「なおせ」と言った。
修理でもしろって意味なのかな、と単純に思ったのだが。
「それ方言じゃぞ。なおせって長州では、片付けろって意味で使う」
高杉の声がした。
「はよ、ございます」
慌てて幾久が挨拶をする。
「おう、早いの、……って入学式か」
「そそ。おれがいっくん、学校に連れてくから」
「ほぉか」
高杉が席に着く。と、栄人がごそごそと戸棚を探る。
どうやら今日は、栄人が全員の朝食の仕度をするらしい。
「オレ、なんかしましょうか」
食事も済ませたし、黙って座っているのは心地が悪い。
「あ、そお?じゃ、その御椀出して」
「はい」
栄人に言われたとおりに御椀を出し、差し出す。
栄人は手際よく御椀にレトルトのお粥をうつし、レンジに入れた。
「瑞祥は?」
栄人が尋ねると高杉が言う。
「まだ寝ちょる」
「やっぱね。ずっと寝かしとく?」
「や、ぼちぼち起こす。ちょっと出てくるけぇ」
「あそ。じゃ、飯は」
「置いちょけ。勝手にするじゃろ」
「了解」
そう話しているうちにレンジが出来上がりの音を鳴らした。栄人がミトンを使い、暖められた御椀を高杉の前に置いた。
「なんすか、それ」
一見するとお粥のようだが。
「お粥。健康に超いい、五穀米入り」
栄人が答える。
「ハル先輩、お粥、好きなんすか?」
朝から渋いな、と思っていると栄人が苦笑した。
「年寄りみたいだろ」
「うるさい」
ぶすっと高杉が言う。
「ほんと、朝なんでもいいんすね」
幾久が言う。本当にここは寮らしくない。
「そうそう。だからいっくんも食べたいものがあったらリクエストしていいよ」
個人で持ってくるのは勿論いいし、基本的に寮費で賄えるものは買ってくれるのだそうだ。
「いや、特にそんな……なんでもいいっす」
「いっくんは楽でいいねー」
「最初だけだろ。そのうち尻尾出してあれが嫌だとかこれが嫌だとか言い出す」
つんと山縣が言う。本当にこれで幾久の事をなんとも思ってないとは思えない。
「山縣は最初から尻尾丸出しだったけどね」
「うるさい」
からかう栄人にやはり山縣は不機嫌そうだった。


食事中の二人をおいて、栄人が洗い物を始めたので幾久もそれを手伝った。
そうこうするうちに久坂も起きてきて、意外な事に朝食の仕度は高杉がやっていた。
山縣は、久坂が出てきた途端、さっさと食事を済ませ、まだコーヒーの入ったマグカップを握って部屋に篭ってしまったらしい。
久坂はずっと寝ぼけたままなのか、黙ったまま用意された食事を黙々と口に運んでいて、幾久の挨拶も聞こえてないようだった。
「瑞祥起きたから、次は居間の布団をなお……片付けるよ!」
幾久に判るように栄人が言いなおす。が、幾久はちょっと笑って言った。
「なおす、で判りますよ。覚えましたもん」
「あ、そお?」
布団はすでに、畳まれていたので、栄人と幾久は押入れまでそれを運んだ。
「栄人先輩って、親切っすね」
まだ二日程度しか関わっていないが、よくやっているな、と思う。確かに最初はだまされて山登りをさせられたが、寮の中で一番くるくると動き回っているのは栄人だ。雑務というか、細かい片付けや、食器を洗ったり、そういうちょっと嫌な仕事は全部栄人がやっているように見える。
「おれ、貧乏性なんだよね。なんか動いて仕事してないと勿体無いとか思ってさあ」
「面倒じゃないですか?」
「まあ、面倒っちゃ面倒だけど、ここでさっと片付けとけば後が面倒じゃないなーとか」
「茶碗とか、けっこう洗ってましたし」
「いっくんよく見てんね。うん、あれは茶碗が痛むのが嫌でさ。あいつらは気にしないっぽいけど」
コーヒーを飲んだり、お茶を飲んだり。そうすると人数が五人も居れば自然とカップが溜まる。テーブルの上に置きっぱなしだったりするそれをさっと片付けるのは栄人が殆どだ。大体、皆シンクまでは持って行くが、洗っているのは今のところ幾久だけで、あとはほぼ、栄人がやっている。
「いっくんも気にしなくていいよ。ま、自分のものは自分でやってくれたらありがたいけど」
「自分のくらい洗うっす」
けど、と幾久は言う。
「他の人もそれしたら、いいのに」
そしたら栄人の仕事は減る。そう言いたかったのだが。
「いやー別にいいって。あいつらだってできるときゃやってるし。おれが気にしないの知ってて置いてるわけだし」
「栄人先輩ってなんでそんなに世話焼きなんすか?」
「お兄ちゃんだからかなー。おれ、下に弟いるんだ。母子家庭だし、必然的に弟の面倒見てたし」
「……」
母子家庭、という言葉に幾久は引っかかった。
これはひょっとしなくてもプライベートな事で、あまり聞いてはいけないような気がする。だが、栄人は気にしないのか続けた。
「世話すんの嫌いじゃないし、それにまあ、ハルと瑞祥とはつきあい長いからねえ」
「そうなんすか?」
「そうそう。物心つく前くらいのおつきあいよあの二人。おれも幼稚園は一緒だったけど、あいつらとつるむようになったのは小学生くらいからかな」
「へえ」
なんだかいいな、と幾久は思う。そういう、昔からの幼馴染、というのにはちょっと憧れがある。
「山縣は中学が同じだけど、学年違うと付き合いないし」
確かに、この近辺に住んでいれば皆同じ中学に行っているから、それはそうなのか、と幾久は納得する。
そんな雑談をしながら、幾久は栄人の手伝いをした。なんというか、幾久がまさに寮母さんみたいだった。
布団を押入れに突っ込み、寮、というか屋敷中の窓を開け、洗濯をしながら散らかった部屋を簡単に片付け、洗濯物を干す。けっこうな労働だ。
そうこうするうちに着替える時間になった。
昨日、高杉達に教わってはいたものの、やはりこの面倒な制服は少々厄介だ。
シャツを着て、トラウザースをはき、ブレイシーズをつける。着ながら言葉を反復してみたものの、言いなれない。
「ズボンはトラウザース、サスペンダーは、ブレイシーズ……」
ぶつぶつと呟く幾久に栄人が笑う。
「普段はそんな使い方しないけどね。ま、豆知識みたいなもんだと思って!」
カフスボタンをとめ、かっちりと髪をまとめる。
「入学式には、親御さんは?」
「父が来ることになってます。OBなんで」
携帯のメールでやりとりしたが、父は同級生との約束があるとかで、会場で落ち合うことになっている。
一応、入学式の後に話があるとは伝えたが果たして真剣に取り合ってくれるかどうか。
着替えをすませ、姿見の前に立った。
「お、いいじゃんいいじゃん!やっぱ新しい制服って、気持ちがぴっとするよね!」
「なんか、制服っていうより、ほんとスーツ、って感じっすよね」
制服はどこでもだいたいだぼついてて、いかにも新入生、という雰囲気があるはずなのに、この制服にはそれがない。
「そりゃそうでしょ、全部オーダーなんだから」
「普通制服って、そうですよね?」
どこでも制服がある学校はそんなものだろうと幾久は思うが、栄人は首を横に振った。
「ちがうちがう。そういうお仕着せのオーダーじゃなくってさ、フルオーダーってこと。制服の採寸のとき、めっちゃあちこち採寸しなかった?」
「しましたけど」
制服の採寸にしてはやけにあちこち調べるなあとは思ったが。
「だから、あれ全部個人に合わせてオーダーしてんの。シャツとかすごいぴったりだろ?」
確かに初めて着た昨日も、やけに着心地がいいな、とは思ったがてっきり素材がいいものだと思っていた。
「そのうち着続けたら判るよ。体に合わせてあるから、すごいなじむし、しわもつかないし。ま、その分制服はお高いけどねー」
「そんな高いんすか」
「高い高い。でもまあ、ブランド品とかじゃないから、その分安いとは聞いたけど」
どっちなんだ、と思ったが栄人も詳しくは判らないのだろう。
話をするうちに、出かける時間になった。
栄人も制服に着替える。ネクタイは黒だ。
「式典関係は全員黒なんだよ」
さすがにここから帽子をかぶっていくのは恥ずかしい、と言うと栄人も俺も、と笑う。
二人ぶんの帽子を栄人の手提げに入れて、玄関で靴を履く。靴も決まっていて、きちんとした黒の革靴でないといけないらしい。一体これらにいくらかかったのか、考えると父に「転校したい」というのも気が引ける。
(いやいや、駄目だろ!ここはやっぱちゃんと希望通さないと)
なにせ高校時代なんて、一生がかかっているといっても過言じゃない。いい大学、最低でも元居た学校の大学レベルでないと自分でも納得できない。
勿論、元の学校に戻るつもりは毛頭無いし、大学だってそこを選ぶつもりはなかったが。
「じゃ、行ってきまあす」
そう叫んで、玄関の引き戸を閉め、鍵をかける。
「なんで鍵、かけるんすか?」
寮にはまだ久坂と高杉に山縣もいるはずだ。
だが、栄人は言った。
「ガタは部屋に篭るから居ても意味ないし、ハルと瑞祥は出かけたはず。さっき見たけど靴なかったし」
ああ、それと、と栄人が言う。
「本当は今日、いっくんの鍵作るつもりだったけど、どうする?」
それは、この寮にこの先も居るのか、という意味だ。
じっとみつめてくる栄人に幾久はぼそりと答えた。
「わかんないっす、まだ」
正直言えば、東京に戻るつもりだ。一旦入学してしまったから、早々編入はさせてもらえないだろうけれど、できれば早く戻りたい。でも戻るという事は、用意したこの制服とか、荷物とか、鍵とか、そういったものが無駄になってしまうということだ。
幾久が東京に戻りたいと思っているのをこの寮の人は皆知っている。
「じゃ、暫く作らないでおこっか。勿体無いしね」
スミマセン、と答えると別にいいよ、と返される。
「べつにおれが損したり得したりするわけじゃないし。いっくんだって気が変わるかもしんないしね」
そんなことあるのだろうか、と幾久は思う。
こんな田舎で、しかも寮生は自分ひとりで、先輩達はなんか癖があって。
もし他の寮なら、他にも一年生が居て一緒に学校へ行ったりとか、話しでもできたかもしれなかったのに。
あまりにも今までの自分の生活とは違いすぎる。
寮の敷地内を出て、門の前に着いた。
まるでお城の門のような立派な門はしっかりと閉じられている。
(赤門よりもでかいよなあ)
東大にあるあの赤門を幾久は母と見に行ったことがあったが、それよりも立派のような気がする。
通用門から出て、栄人はそこにも鍵をかける。
「普段は麗子さんがいるからいいんだけどね」
鍵をかけ、二人は学校へ向かって歩き出した。



方向は、この寮に来たときと全く逆へと向かった。
本当に全然別の道だったんだな、と今更ながら栄人に少し呆れる。
学校までの道のりは、高杉が言ったように、平坦そのものだった。国道沿いを少し歩き、細い道へと入っていく。生活道路らしいが、車は遠慮なしに通っている。細い道を通ると、やがて城下町らしい街並みの通りに入った。
まっすぐに道路が通っていて、道路をはさむ両側の家は殆どが土塀だった。
「ここが昔お侍さんが住んでたっていうとこ。いまは開発が進んじゃったけどね」
「へぇー、昔は武家屋敷とかあったんですか?」
土塀に日本家屋!なんてすごくかっこいいなと思い尋ねたが。
「戦争で焼かれたりとか、その後にも大きな火事があったりで残らなかったみたい。天皇陛下も来られたっていうくらいだから、相当大変だったんだろうなとしか」
「なんで天皇陛下が?」
「災害レベルだったってことっしょ」
ああそれでか、と幾久は納得する。
「この見える場所、全部が焼けたくらいひどかったらしいよ」
残念だなあと幾久は思う。
もしこんな土塀に武家屋敷がずらっと並んでいたら、かなり迫力あるだろうに。
土塀の向こうに見えるのはどれも最近建てられたような、モダンな家ばかりだ。
それでも街中には城下町だという雰囲気を残すものがいくつもある。
川の欄干も木で出来ていて、まるで神社の中のようだし、中道の道沿いには桜が植えてあって、いままさに花をつけていた。
「散歩したいなあ」
独り言のように呟く。花見なんかここ何年も出かけていない。
「じゃ、帰りあっちの道通ってみよっか」
「いいんですか?」
「いいよそんくらい。そうだなあ、じゃ、弁当も外で食うか」
「弁当?」
なんのことだ、と幾久が目を丸くすると、栄人が言った。
「あれ?言ってなかったっけ?入学式の後、弁当が出るんだよ。新入生全員と、あと寮の代表もね」
「寮の代表?」
「そそ。新入生の世話役で、寮の代表とか、でかい寮は何人か代表とプラスで出るわけ。で、出ると弁当と饅頭がもらえるって言う」
「はー……」
田舎だ。なんかすごい牧歌的だ。弁当に饅頭とか。
そんな入学式、聞いた事もない。
「それで入学式、昼前からなんですね」
「や、違う違う。入学式は二回あるから」
「へ?」
またこの学校は妙な事をするのかと思った幾久に栄人が言う。
「じゃなくて、午前は千鳥クラスの入学式。午後は鳩、鷹、鳳の入学式ってなってんの」
「そんなに人数多いんすか?」
「っていうか、講堂が狭いんだよ。あと、式の内容もちょっと違うし。まあ、行けば判るって」
「はあ」
そう話しているうちに、学校の門の前、つまり神社の鳥居の前に到着した。さすがに敷地内に入ると人が多い。ぱりっとした制服で一年生がすぐにわかった。
鳥居の横には受付があり、そこで在校生が新入生の受付をしていた。
「受付しますので、クラスと名前と、寮名をお願いします」
受付の在校生に尋ねられたが、幾久が言う前に栄人が答えた。
「鳩。乃木幾久。御門」
在校生が名簿にチェックを入れた。
「はい、受付おわりです。ご入学おめでとうございます」
そして差し出されたのは紙袋だ。中には式次第や、校内の案内図やパンフレットなどが入っていた。
ちいさい白い箱もある。中身が気になったが、封がしてあるのでいま開けられない。ぺこ、と頭を下げると、在校生が胸章を取り出した。紅白の小さな胸章だ。
「あ、いいよ、こっちでつけます」
ひょいと栄人が胸章を受け取り、幾久の制服の胸の部分につけてくれた。
「式が終わったら学校の食堂で弁当もらえるから、そっから合流しよ。食堂の、いっちゃん奥の、覚えてる?一昨日いっくんが座ってたあたり」
「あ、ハイ」
入寮式のとき、ぼっちで座っていた場所だろう。
「あのあたりのテーブルに居るからさ、弁当受け取ったらそこ来て。携帯はあるよね?」
「あります」
この学校は携帯の持ち込みも使用も禁止されてない。
「じゃ、講堂まで一緒、式が終わったら食堂にね」
「判りました」
携帯の電源をいまのうちに切っておこう、と幾久は電源をオフにした。
「あといっくん、帽子!」
「あ、はい」
帽子を受け取り、それを被る。栄人も帽子をかぶり、講堂へ近づく。
「じゃ、あとで食堂!」
「……はい!」
ばいばいと大きく手を振り、栄人が遠ざかった。
ここからはひとりで行かなくてはいけない。
(ま、大丈夫だろ)
別に周りを気にしなくても、入学式なんか二時間もないはずだ。
適当に話を聞いて、適当にあわせて、弁当貰って食堂で食べて帰れば、それで今日はおしまい。
どうせこの学校に長く居るつもりは、ないのだから。


そしてそう思っていた幾久は、さして時間がたたないうちに、また新しい世界を知るのだった。