合縁奇縁
(8)初電 (はついなびかり)
暫く。
それはもう、派手な喧嘩というか、じゃれあいというか、もう訳が判らなかった。
完全に怒った高杉は、久坂を放り投げようとしたが、久坂は久坂で高杉をいなし、途中からは武道の試合状態だった。
結局途中で久坂が(多分わざと)負けて高杉に一発殴られて、それで話はついたらしいが、久坂は殴られたのににこにこしているし、高杉は不機嫌の極みだ。
栄人はひとりでげらげら笑いっぱなしで、山縣は相変わらずゲームに夢中だ。
幾久は一体なにが起こったか判らずに、目の前に積まれたシュークリームの山を呆然と眺めている。
認識する前に、高杉と久坂の喧嘩が始まって終わり、びっくりしている間に居間に座らされ、なぜか二人が買って来たであろうシュークリームの殆どを幾久の目の前に積まれた。
「幾久、それ全部食っていいからな」
むすっとした高杉が言うが、幾久はこんなにも要らないと首を横に振る。
お詫びのつもりなのだろうが、一体今、なにがどうなっているのか状況がさっぱりだ。
「あれ?いっくんいらないの?じゃ僕が」
手を伸ばした久坂の手の甲を、高杉がばしっと叩く。
「痛いなーハル」
「アホがあ!お前に食わせるシュークリームがあるかあ!くそばかやろうが!全部幾久にやれ!」
いやいや、こんなにもいらないです。
だって十個以上もあるじゃないですか……と、げんなりする幾久に、高杉が頭を下げた。
「本当にすまん、こいつがこんな馬鹿な事するとは思ってなかった。本当にすまん」
ごっつ、と久坂の頭をテーブルに叩きつける。
「痛いって。ひどいなハル」
「あほんだらぁ!こんくらいで済んでありがたく思え!次やったらマジで退寮させっぞ!」
「えー職権乱用」
「やかましいっ!」
二人の様子を見て、栄人が笑いながら言った。
「そんなことよりさあ、説明してあげたら?いっくん、まだポッカーン状態じゃん」
高杉と久坂が顔を見合わせ、高杉がはぁ、と肩を落した。
「あのな幾久、お前が見たのは、キスしてたわけじゃないんじゃ」
「でも……」
あんなに顔を至近距離に近づけるなんてキス以外にあるわけないじゃないかと幾久は思う。
「あの、大丈夫っす。オレ、誰にも言わないっすし」
幾久が言うと、高杉が久坂の頭を再び叩いた。
「この馬鹿が!幾久が誤解しちょろうが!」
あれ。本当に誤解なんだろうか。でも、なにをどうすれば、あれが誤解になるんだろうか。
シュークリームをもぐもぐ食べながら、栄人が言う。
「説明するよりさあ、やってみせたほうが早いんじゃないの?」
「そうだね。それじゃあ」
久坂が幾久に近づこうとするが、幾久は思わず避けてしまった。それを見て、また栄人が笑う。
「駄目じゃん、瑞祥もうガチホモ認定食らってるよ!避けられてる!」
「ええーいっくんひどいなあ」
「当然じゃろうが。自業自得じゃ」
一体、なにがどうなのか。びくつく幾久に栄人が近づいた。
「しょうがないなあ。じゃ、おれが近づくよ。あ、いっくん大丈夫、おれはチューなんかしないしお断りだから!」
「はぁ……」
よく判らないが、今一番信用できるのは栄人しかいないので、大人しく黙っていると、栄人が幾久の手を取った。手の甲をキスでもするみたいに、唇の近くに近づける。
「……?なにしてるんスか?」
「息がかかるの、判る?」
そういわれて幾久は手の甲に意識をもっていく。
と、確かに栄人の吐く息が手の甲にあたってくすぐったい。
「じゃ、次は、こっち。おれが寝るからいっくん近づいて」
ごろんとその場で横になった栄人に幾久が近づく。
「で、さっきみたいに、おれの呼吸。手の甲で判る?」
「……」
静かにしてもらってみたが、さっきとは違い凄く判りにくい。
「わかんないっす」
そう答える幾久に、栄人は指で「おいで」をやった。
「じゃ、次はさ、いっくんのほっぺたで確かめてみてよ」
抵抗はあるが、しょうがない。幾久は寝ている栄人の上に覆いかぶさるように、栄人の唇のあたりに頬をそーっと近づける。
「……ちょっとわかるッス」
「じゃ、次は唇があるだろ?そこで確認してみて」
「ええっ!」
「いいから早く。おれだっていっくんとキス寸前とかやだよ。でもじゃハルとか瑞祥にする?」
慌てて唇をそっと近づけてみる。と、幾久はばっと顔を上げた。
「判るッス!」
その答えに栄人が起き上がってニヤニヤとする。
「判った?これがつまり、種明かし」
「えーと……はい?」
え?つまり呼吸を確かめていたって事なのか?そんな馬鹿な、と幾久は目を丸くしたが、栄人は頷く。
「そうなの。瑞祥がやってたのは、つまり、それ。いっくん、その場面見て、瑞祥にからかわれたんだね」
「―――えーと……はい?」
苛々した高杉が、幾久に説明した。
「そいつ、癖があってな。とにかく、わしが寝てると呼吸があるかないか確かめないと寝れんのじゃ」
言い訳に聞こえる、と幾久が思っていると栄人が笑う。
「ホモ隠しの言い訳にしか聞こえないよねー実際」
「うるせえ。本当なもんはしょうがなかろうが」
「ま、実際そうなんだけどね」
ニヤニヤと笑って栄人が言う。
「本当にそうだよいっくん。こいつら、近隣の女子にもガチホモ呼ばわりされてるけど、そうじゃないから」
「でも、じゃなんですごい、ハル先輩にべたべたしてるんすか?久坂先輩」
「最近妙にべたつくと思ったら、幾久をからかっちょったんか!」
「ごめん。面白くてつい」
ごつっとまた久坂の頭を高杉が殴った。
「本当にすまん、幾久。もう二度とふざけさせんようにするから許してくれ。こいつ、滅多にこんな悪ふざけせんのじゃけどの」
「は、ぁ……」
もうなにがなんだか判らない。
とにかく久坂先輩はガチホモじゃなくて、べつにキスしてたわけじゃなくて、そんでもって呼吸してたのを確認しただけとか。
「あれ?じゃ、ガタ先輩の、『高杉は俺の嫁』っていうのは一体……」
「あれはもう相手にするな。あいつの冗談とスラングをまともに相手してたら馬鹿になる」
あれ。
じゃあ結局、ホモだと思っていた人がそうじゃなくって、そうじゃない人が実はホモで。
「結局ホモは居るんじゃないっすか。プラマイゼロなだけなんじゃ」
幾久がぐったりと肩を落した。
結局シュークリームは全員で分けて食べた。おかしなことに、高杉と久坂の好物はそろってシュークリームなのだという。イメージに合わないなと思う。
地元の洋菓子店で買ったというそれは、コンビニであるような大きなものではなくて、いかにも手作りといった感じの小ぶりのシュークリームだ。中はこってりのカスタードのみで、バニラの香りが濃い。一人三個ずつは多いと思ったが、わりとそうでもなかった。
「ガタはさあ、ハルをすごい尊敬してるんだよ」
「なんかトシも同じ事言ってましたよね、そういや」
山縣はゲームの続きをするからと部屋に引っ込んでしまい、居間には栄人、幾久、高杉、久坂の四人が残った。さっき寮母の麗子さんが来て、料理の準備を始めている。
「もうトシと話したんか」
「はい。入学式で、話しかけられて」
「そうか」
ほっとしたように高杉が言う。
「アイツは馬鹿じゃけど、素直じゃしフットワークも軽いから、ええ友達になれるじゃろう」
「だったらいいんですけど」
「あ、トシは変な風にハルを好きじゃないから安心してね!」
栄人の言葉に高杉がうんざりとした表情で言う。
「だからそういう誤解を招く言い方をやめれって」
「ごめんごめん。まあでも、なんていうか、本当にそうじゃないんだよね。久坂のあれは、もう癖っていうか病気っていうか」
「なんでそんな癖があるんすか?」
幼馴染の呼吸を寝ている間に確かめるとか、あまり幾久には理解できない。むしろ実はやっぱり本当にホモで、それを隠しているほうがまだ理解できる。
高杉と栄人が顔を見合わせた。
どうしようか、と迷っているような表情だった。が、久坂があっさりと説明した。
「単純にトラウマなんだよね。僕さ、高杉しか家族いないから。毎日、本当に生きてるのか心配になるだけ」
「瑞祥!」
「いいじゃない。いっくんだったらべらべら喋ったりしないでしょ。それに誤解されたままだったらハルだって困るだろ」
「それは……」
めずらしく高杉が口ごもる。にこっと久坂が微笑んで、幾久に告げた。
「どうせそのうち判るだろうから先に言っておくね。僕、厳密に言うとそうじゃないけど、ほとんど天涯孤独なんだ。で、僕が家族と思っているのはこいつだけ」
隣に居る高杉の肩を抱く。それは今まで幾久に見せたわざとらしい、どこかしなった雰囲気ではない、がっちりとしたものだった。そこで幾久は、本当に今までただ自分をからかっていただけだったんだと、すとんと納得した。
「僕らの関係をホモくさいとかおかしいとか、どう思っても構わないよ。ただ、僕にはハルしかいない。兄弟っていうか、双子のつもり。勿論、実際に血の繋がりなんかないけど」
はきはきと喋る久坂に、この人は本当はこんな人だったんだな、と幾久ははじめて久坂を見た気がした。
「あとさ、いっくん気付いてないみたいだけどこれ。なんか判らない?」
久坂が髪をすくって右の耳を見せる。相変わらずピアスが三つついている。
「……?」
「ハルの左のピアス」
「……!」
高杉の左耳をじっと見つめて、ようやっと気付いた。
「それ、同じ、つか、お揃い?」
「正解」
久坂のピアスは常に髪で隠れていたし、まともに見たのが最初の一回だけだったから気付かなかった。
高杉の左の耳にもピアスがあったが、久坂が右につけているピアスと同じ、つまり対のものだ。アルファベットのU文字に見えるが、よく見たら小さなデザインが入っている。
「兄の遺品と同じピアスなんだ。僕の兄だけど、ハルにとっても兄、みたいなものだった。けど知らない人から見たら、僕らがホモだと勘違いするのも無理ないって思わない?」
「思うっす」
ははっと久坂が笑う。
「いっくん本当に正直だね。でも実際はこんなもん。僕は家族がハルしかいないから、ハルが生きているか毎日心配になるし、誰に誤解されても確かめたい。家族への思いがあるから、なにを言われても同じピアスをつけていたい。ハルも同じ気持ちだから、こうしてる。それだけ」
「毎日、そんなに心配になるんすか」
家族をまだ失ったことのない幾久には、久坂の気持ちが理解できない。ただ、もし、自分の両親がいなくなったら、それか一人になったら、残った親を失わないように凄く不安に思うのだろうか。
久坂が答えた。
「毎日心配だし、毎日怖い。僕にはハルしかいないから絶対に失いたくない」
その、あまりにもストレートな心情に、つい顔が赤くなった。外見もすごいイケメンで、感情のゆらぎなんかこれっぽっちも見せないような久坂が、そんな赤裸々な感情を出すこと自体が信じられなかったからだ。
だが、それは高杉も同じだったらしく、顔を赤くして、もごもごとなにか呟いている。
栄人が説明した。
「ハルさ、こう見えて、つか、いまもそこまでじゃないけどすっげえ体弱かったんよ。そりゃもう、小学校の時はなにかっちゃ保健室、早退して病院、食事の制限、喘息の発作、アレルギーだなんだと、凄かった」
幾久もそこで、朝の事を思い出す。高杉の朝食は体にいい五穀米のお粥だとか言っていた。てっきりそういうのが好きなのかと思っていたが、実際は体の為にそうしていたのか、と気付く。
「今はそこまでじゃないけど、ハルが倒れたりなんかあったりするのを瑞祥は昔からそばでずっと見てる訳。ひどいときなんか発作で命がヤバイときもあったし」
「そんなに酷いんですか?」
驚く幾久に、高杉が言った。
「酷『かった』。今はそうでもない。ちゃんと管理しちょお」
でも管理、ということはやっぱりそういうのがあるのだろう。
「おれもさ、一応そういうの横で見てたから、瑞祥が焦るのも判るし、心配になるのもなんとなく判る。はたから見たらおかしいとか思われてもしょうがないけどな。ただ、今回のは瑞祥が悪乗りしすぎ」
「ごめん」
瑞祥は栄人に素直に謝る。そして幾久に向かい、瑞祥が言う。
「いっくんにも申し訳なかったね。つまり、実際はそういう事。信じられなくてもいいけどね」
苦笑する久坂に、幾久はすっかり気が抜けていた。
あんなに脅されたのもあの緊張感もただの悪ふざけだったとか。怒るのを通り越してなんだかもうどうでもいいや、と思う。
「朝が不機嫌って、そのせいなんすね」
低血圧とかそんなものじゃなく、単純に寝不足なだけなのか。栄人がそそ、と頷いた。
「ハルのは単純に低血圧。瑞祥のは寝不足。でももうこれはしょうがないっしょ」
「いっくん、呆れた?」
瑞祥の問いに、うーん、と考える。
呆れたといえば呆れたが、悪ふざけが過ぎただけならしょうがない、と思う。確かにかなりびびりはしたが、それだって幾久が勝手に久坂に引いていただけで、実際に種明かしされるとそんなものだったのか、と思うくらいだ。
ちゃんと謝ってくれたし、何より実際にホモの方が困る。そうじゃないならそのほうがいい。
「別にもういいっすよ。納得もできたし。心配っていうのならしょうがないんだろうし」
幾久の言葉に、高杉と久坂が顔を見合わせる。
「オレにはそこまで心配するのってわかんないすけど、ハル先輩と久坂先輩が双子って聞いたら、まあそれも納得っていうか。双子って片方怪我したら片方も同じ場所痛くなるっていうし。それならそんくらいありかなって。双子でおそろいのピアスなら、ああそっかって思うし」
きょとんと幾久を見る高杉と久坂に、幾久はまたなにか変な事を言ったのだろうか、と心配になる。
「あの、オレ、なんかへんなこと言いました?」
「どうしよう、いっくん」
「へ?」
「僕、ホモじゃないけど、いっくんをぎゅっとしたくなった」
久坂の言葉に思わず後ずさりそうになるが、栄人が頷いた。
「判る!いっくんってさあ、なんかあれだよ!いいよ!ぎゅっとする!わかる!」
「……判らんでもない」
むっとした表情で高杉が言うと、幾久はうそ、と後ずさった。
「止めて下さいよ!オレ、男は無理なんで!」
「安心しろ。全員無理だ」
「じゃ、なんで先輩達、じりじり寄って来てるんすかぁ!」
「気のせい、気のせい」
気のせいなんかじゃない。三人がじわじわと近づいて来るので、幾久はもう慌てて、なぜか必死に立ち上がって、逃げた。
逃げられると追ってしまうのか、三人が幾久を追いかけてくる。なぜかやばいという気持ちだけで焦って、ノックもなしに山縣の部屋のドアを開けた。
「ガタ先輩、たすけ……」
「おっふ!」
どっしゃーん、という音とともに並べられたフィギュアが倒れ、山縣の絹を切り裂くような絶叫が御門寮中に響いた。
くどくどと麗子さんにお説教された後、全員で食事を済ませて、幾久は山縣に土下座した。外れただけなので許してやるが、壊してたら追い出してやった、と文句を言う山縣に謝る。
「まさかあんな目にあうとは思わなかったんで。本当にすみませんでした」
土下座して山縣に謝ると、山縣はもうええ、とそっぽを向く。
「お前ほんと、マジむかつくわ。なんなんだよ」
「返す言葉もありません」
自分は悪くないと言いたいが、ほかに助けてくれそうな、というかもう誰もいない状態では山縣に頼るしかないではないか。
「あの、オレ、なんか手伝いましょうか」
フィギュアを並べようとすると、山縣が「触るな!」と怒鳴った。
「ポースだって適当じゃねえし並びのバランスもあるんだよ!触るな素人!」
「……」
「いいかくそ一年。高杉が謝ったから許してやってんだよ。わかってんのか。お前、高杉に頭下げさせるとか何様のつもりだよ。つかよくやったな。高杉が俺に謝罪とかまじ初めてだし。お前は許せんけど御褒美くれてやんよ」
「は?」
わけのわからない山縣の言葉にぽかーんとしていると、うまい棒を差し出された。
「アリガトウゴザイマス」
「フィギュアを倒したのは許し難いし許すつもりもねーけど、高杉が言うならしゃーないっつうか。高杉が俺にごめんとか言うとかご褒美にも程がある。高杉マジ天使」
駄目だ。この人の言っている言葉の意味がいまいち、というかかなり理解できない。
「あの、山縣先輩って、高杉先輩の事好きなんですか?」
「好きとか超越してる。俺の神」
「そうですか」
もうスラングが多すぎて本当に意味が理解し難い。
幾久もネットのスラングはそこそこ知っているが、山縣みたいに多用されるとちょっと困る。
「あの、つまり山縣先輩って高杉先輩をホモ的な意味で」
「ホモォ……でも全然俺は気にしないね!」
「気にしろ」
冷たい声でツッコミが入る。
いつの間にか高杉が部屋に来ていた。
「ちょっとは悪いことしたかと思って来たら、なに馬鹿話してんだガタ」
「本当の事だろ。俺はマジでお前を尊敬してるし神だと思ってる。実際男でもいけるレベルで好きだ!」
「ワシは無理。さっさと風呂入れ。栄人は先に入っちょるぞ」
「へいへい」
そういうと立ち上がってさっと風呂へ向かう。なんだか本当に変な人だ、と幾久は不思議になる。
「あいつ、変だろ」
高杉の言葉に、幾久は「はい」と頷く。
「変だけど、あいつにはあいつなりのルールとか、ペースとかがあるんだよ。それにあいつ、話はちゃんと聞くんだよな。言動はおかしいけど」
「……そうっすね」
思い返せば、確かに言っていることは変な言葉が多いが、意味は繋がっているし、妙な筋は通っている。
「高杉先輩って、ガタ先輩の事嫌いって言う割にそこまでじゃないんですね」
「嫌ってもあいつは気にせんし、そもそも同じ寮なら家族みたいなもんじゃろ。嫌っても意味がない。嫌いだけどな」
なんだか高杉も変な人だなあ、と幾久は思う。
嫌ってるのに家族としては認めているのか。
それってなんだか、幾久の思う『嫌う』とはまたちょっと違う気がする。
「なんか今日、濃いかったなあ。一気にいろいろあってもうオレ、処理おいつかなさそう」
「そういや雪にも会ったんだってな。どうだった?」
「どうって、イケメンでした。あと花見するとか言ってましたよ」
「そうらしいな。栄人がゆっちょった」
「ハル先輩も行きます?」
「おお。雪がおらんのも寂しいしな」
高杉の言葉にどきっとする。この人も、久坂も、びっくりするくらい自分の感情を正直に言うのだ。
「どうした?変な顔して」
「いえ、なんか。ハル先輩も久坂先輩も、素直だなあって」
「は?」
「久坂先輩も、ハル先輩が生きてるのが心配とか正直に言うし、ハル先輩も寂しいとか口に出すし」
自分なら、と幾久は思う。こんなにも素直に気持ちを言えるだろうか。
「オレ、今日父さんに、東京へ戻りたいって言ったんス」
「素直に言えちょろうが、お前も」
「でもオレって、結局、不平不満しか言えないんスよね」
思えば中学の卒業間際、同級生を殴ったのも、不平不満を吐き出しただけだ。
今日だって父に『転校したい』とか、その学校に受かって喜んでいる同級生の前でよくも言えたものだと思う。
「最初はそんなもんじゃろ。赤ん坊だって泣き喚くところからスタートじゃ」
「オレ、そんな子供っすか」
ぐしゃっと髪を撫でられた。
「今はお前が御門で一番子供じゃからの」
嬉しくない。だけど高杉に頭を撫でられるのは、別にそんなに嫌じゃなかった。
「学校、どうするんじゃ。結局すぐ転校できるんか?」
廊下を歩きながら高杉が言う。幾久もついて歩く。
「いえ、入試終わったばっかりですぐ転入は、今のレベルより下の学校しか無理っぽいです。父さんの希望もあるんで、一学期の間はお世話になろうかと」
「そうか。それなら思い切り遊ぶ予定を立てんにゃな」
「にゃ?」
意味はなんとなく判るが、語尾の『にゃ』が猫みたいで反復すると、高杉が嫌そうな顔をして言い直した。
「予定を立てないとな!」
「言い返さなくっても判りますよ、ハル先輩」
「うるさい」
「うるさくないんにゃ」
そう言うと高杉は、なんともつかない複雑な顔をして、「ガタみたいにオタクくさくなるからやめろ。あと使い方がなっちょらん」と呟いた。
始業式の当日、学校までは先輩達が一緒だったが、学年は当然違うので、幾久は一人で教室に入った。
と、すぐにトシが気付く。
「お、幾久じゃねーの!おはよう!」
「おはよう」
互いにネクタイの色を見て、にへ、と笑う。
「本当にクラスで露骨にネクタイの色が違うのな。朝、先輩らの見て実感した」
幾久の言葉に伊藤が笑った。
「な、すっげー差別感丸出しだろ」
レベルにあわせてクラスが違うのは当たり前だとしても、ネクタイの色が違うと一目でクラス、つまりランクがばれてしまう。
鳳は金、鷹は茶色、鳩は緑がかった灰色、千鳥は千鳥格子の柄になっている。
鳳の金はぴかぴかの金色ではなく、上品で少しくすんだ色なので黄土色っぽくも見える。
朝、幾久のネクタイの色を見た山縣に早速「クルッポー」と鳩の真似で馬鹿にされたので「鷹落ち」と返してやったら、キレられた。どうやら図星だったらしい。
「そういや鷹落ちのこと教えてくれたろ?サンキュー。先輩に早速使ったら切れてた」
「おま、先輩によくやるなあ」
伊藤が呆れるが、幾久は別にいいよ、と答える。
「なんかその先輩だけは、ちょっとだけ関わり方覚えたっていうか」
山縣を舐めている訳ではないが、やりかえしてもいいのだと判ったので遠慮はしない事にした。山縣は性格が悪い割に、ひきずる事はあまりないらしく、その場でカチンと来たらその場で怒って、発散したらそれでおしまいになるらしい。
決着をつけるという事には興味がないらしく、ストレスを吐き出したらそれですぐに収まるようだ。
単純と言えば単純だが、幾久は山縣がそこまで嫌な人には見えなくなっていた。
「そうそう、その先輩もトシと同じで、すげーハル先輩を尊敬してた。気持ち悪いくらい」
「あー、なんだガタ先輩の事かぁ。でもよく会話成立するな。あの人わけわからんくね?」
「訳判らないなりに、なんとなく判るって言うか」
「ふーん」
喋っていると、トシの友人だという人が何人か話しかけてきた。
同じ寮だったり、幼馴染だったりと様々だったが、どの人もなんとなく落ち着きがある。
やっぱり高校生になると違うのかな、と感じて自分もしっかりしなくちゃなあと幾久は思う。
「一緒にいた、児玉君だっけ?あれは恭王寮の人だっけ」
「そそ。鳳とかスゲーよな。レベルが違う」
思い返してみると、確かに頭がよさそうな雰囲気はあった。
「そんなに鳳って凄いんだね。オレ、全くわかんなくてさ」
ばっと伊藤が食いついてきた。
「すげーすげー!だって東大進学率かなりだし」
「へ?」
びっくりしていると、同級生が頷いた。
「去年も何人か進んだろ?」
「毎年出てるってだけでもすげーのにな」
「マーチだったら鼻で笑われるってマジなの?」
「わかんねえけど、鳳ならアリって感じするよな」
「……けっこう凄いんだ」
あっけに取られて幾久が言う。
「だからそう言ってんじゃん。本州最西端の灘、って言われてるし」
灘といえば知るも知ったりの進学校だ。
「ま、ただし鳳に限る、だよな。ウチは学校の平均値はそんな高くないから」
それでか、と幾久は納得する。こんなに学力に差があったら、平均値はほんとうに『平均』になる。
「そそそ、なんたって千鳥がほぼ半分だろ?そりゃいくら鳳が化け物じみてたって意味ねえよな」
「鳳だけ、学校じゃなくて塾とか予備校みたいなもんだろ。あそこに引っかかるだけですげえし」
そこまで聞いて、幾久は父やあのエアロスミスが言っていた事がやっと少しわかった気がする。
「どうしてただの進学校にならないんだろう」
素直にそう疑問を口にすると、伊藤が言った。
「んなの決まってんじゃん、コレだよコレ」
指でわっかを作って見せる。
「千鳥からまきあげて、それで学校の経営とか千鳥以外の教育を充実させてんだと。千鳥の担任とか、モロに言っちゃうらしいぜ。お前らなんか授業料だけ払ってくれりゃ、もう学校来ないほうがありがたい位だって」
「ひっでえ」
「金払ってエリートの踏み台になりに来るドM共、ご入金、じゃなかった、ご入学ありがとうとか挨拶で言われたって、千鳥のダチがへこんでた」
「格差社会すげえな」
「その千鳥の教師ってあれだろ、なんか元ヤンでしかもコネで入ったって言う」
「武器持ってるってマジ?」
「それがマジだって先輩が言ってた。でもしょうがないよな、千鳥って馬鹿ばっかりじゃん」
「そんなに酷いの?」
幾久の問いに、伊藤やその他が頷く。
「本当に大人しいだけの金持ち馬鹿もいるけどさ、もうここしかないからって来る奴も多いよ」
つまり、どの学校も受け入れてくれないような連中も多いのだという。
「でもさ、千鳥ってかなり凄くなかった?入学金とか寮費とか」
「そうそう、俺も親父に『千鳥なら行かせない』って言われていたから、鳩でほっとしたわ」
どこの親も言う事が一緒なんだなと幾久は思った。
午前中に担任の紹介と校内の案内があり、鳩というクラスのせいか、わりとのほほんとその日は終わった。
入学式の時と同じく、食堂で弁当を貰ってあとは解散という事だった。
携帯メールに栄人からのメッセージがあり、前と同じく学食で待っているので来いとあった。
「花見の話、聞いてる?」
伊藤の問いに幾久が頷いた。
「聞いてる。オレは場所知らないけど、先輩らも一緒に行くからいっかなって」
「ハル先輩来てるんだろ?うわー、マジ嬉しい!」
楽しそうに伊藤が言う。
「本当に好きなんだ」
「めっちゃ!めっちゃ尊敬してる!あーマジ幾久羨ましい。俺も御門いきてー」
言いながら食堂に入ると、やはり凄い人だった。弁当を受け取って栄人を探すと、窓際の席にたむろっている人たちが居た。
(……うわ)
「あ、いっくん!」
「おー、来た来た」
なんていうか、登校時には気付かなかったが、この人たちなんか、派手だ。なんというか雰囲気が。
どうしてだろうとまじまじ見ると、多分それはネクタイと胸の略綬のせいだと気付いた。
「なに?なんかめずらしい?」
「いや……なんかあの、ネクタイの雰囲気」
幾久の言葉に久坂が首をかしげ、栄人を見る。
「ああ、このうん……」
「金色のネクタイ、ね」
久坂がさきに言った。いま絶対にうんこって言おうとしたよ栄人先輩。食事前なのでそこにはあえてつっこまずに言う。
「やっぱなんか圧倒されるっすね、鳳って」
自分がそのレベルをなんとなく理解したから思うのか、それとも単に御門の先輩達が派手なのか。
(絶対にまあ、どっちもなんだろうなあ)
やっと見慣れたが久坂は相当なイケメンだったし、栄人だってちゃらい風貌で派手なほうだ。高杉に至っては妙な存在感があるし。それに傍に居る三年生の桂も堂々としている。
「あ、」
ぺこりと無言で幾久に頭を下げる人が居た。以前桂に紹介された、恭王の一年生。
「児玉君、だっけ」
「うん」
ネクタイは金色、ということは鳳だ。
「凄いね、鳳」
「なんとか入れたって感じだから。あくまでも三ヶ月だけの暫定だし、油断はできないよ」
「え?一年間はずっと鳳じゃないの?」
幾久の質問に児玉がきょとんとする。
「違うけど」
桂が説明してくれた。
「いっくんは知らなかったのか。この学校は学期毎に試験があって、その成績でクラスが変わるんだよ」
「そうなんですか?」
「うん。一学期、というかここは前期、中期、後期って言ってるけど、学期ごとの二回のテストで成績を計算して、上から10%くらいまでが鳳、その下15%くらいが鷹、その下25%が鳩、それ以下が千鳥。人数はきっかり決まってないけどね」
「じゃ、学期毎にクラス替えがあるみたいなもんっすか」
「そうなるけど、そこまで激しい入れ替わりはないかな。代わっても鳳が鷹と、とかその逆か、鷹と鳩、とかたまに鳩と千鳥程度だろ?全クラスごちゃまぜになるわけでもないし」
「いっくんは早く鳳に来ないと!御門の義務だよ」
茶化して言う栄人に幾久は唇を尖らせた。
「なんかすっげえプレッシャー」
「なに言ってんの。東京でいい学校にいたんだろ?それにいっくん、けっこうあちこちに喧嘩売ってるから、からまれるかもねえ」
「なんすかそれ!オレ、喧嘩なんか売ってないっすよ!」
ちっちっち、と栄人が指を動かし、舌を鳴らす。
「鳳じゃないのに御門にいるってだけで、嫌な顔するやつもいんの。ま、ごく僅かだけどね。ねぇ、タマちゃん?」
ちらっと栄人が児玉を見ると、児玉が慌てて顔を逸らす。
あれ?なんかいい人そうに見えたのに、ひょっとして嫌がられているんだろうか。
幾久がじっと児玉を見ると、さっきまでそうでもなかった児玉の目が少し鋭くなった気がする。
「別にオレは入りたくて入ったわけじゃ」
「いっくんの事情はそうでも、中には入りたくても入れなかったやつがいるってこと。トシだってそう言ってたっしょ?」
「そうなんすよ!」
伊藤が、がしっと幾久の肩を抱いて腕で引き寄せる。
「もーこいつめちゃめちゃ羨ましい!今年は御門が誰もいないって聞いたから諦められたのに、後からなのに御門に突っ込まれるとか!」
ぐりぐりと頭を拳骨でねじられる。
「痛い!痛いってトシ!」
「こんくらい我慢しろよ。この幸せものめ!」
ちらっと伊藤が児玉を伺うと、ふいっと児玉が目をそらす。そのなにげない一瞬に、桂と栄人が目を合わせるが、一人幾久だけはそれに気付かず、ぶつぶつ文句を言いながらずれた眼鏡を戻していた。
結局、花見に集まったのは二十人くらいだった。
栄人達が集まっていると、他の二年や三年が「なに?どっか行くの?」と尋ねてきて、花見に行くと言えば「じゃ俺らも!」とぞろぞろと付いてきたのだ。
紹介されたが、一々覚えることはできなかった。
思ったのは千鳥がいない、という事と報国寮に所属しているのが伊藤しかいない、という違和感だった。
花見をするという、近くの寺へ自分の弁当を持って向かいながら伊藤と話す。
「報国寮って人数多いんだろ?なのにこのメンバーでトシだけなんだな」
そういう幾久に伊藤が言う。
「そりゃそうだろ。報国寮ってほとんどが千鳥だぜ。俺が鳩なのに報国寮っていうほうがおかしいんだし」
「そうなんだ」
「それに、千鳥って大体それ以外とスケジュールが違ったりするんだよ。クラスごとにそりゃスケジュールは微妙に違うけどさ、どっちかっていうと千鳥とそれ以外ってくくりになる事が多いし。だからつるむのも自然、千鳥とそれ以外になるってさ」
「そっかあ」
集まった先輩達のネクタイを見ると、確かに色は色々だが千鳥の模様が一人も居ない。
「御門ほど少ないのはまれだけど、どの寮もそんなに人数居る訳じゃないからどうしても付き合い深くなるしな。報国寮は出入りが厳しいけど、他の寮はわりとゆるくて、他寮でも出入りするし」
「なんでそんなに千鳥は違うんだろ」
「言ったろ。この市内で『どこにも行けない』やつばっかなんだから、そういう柄の悪いのも来るって事だよ。報国寮はそういうのが多いから、わざわざでかくして設備も整えて、外に出ないようにしてるんだから」
「そうなのか」
パンフレットで見たときにはけっこう綺麗で設備が整ってて、ちゃんとしてる寮なんだと思ったのに、実際はそういう事情があったとは。
「御門なんかかなり自由だろ?それって結局、自己管理ができるって信用されてんだよ。頭のいい奴はそんくらい判るだろっていう」
「そう言われたらそうかもしれないけど、でも問題児が多いとか」
入寮式の日に言われた言葉が気になる。それに栄人も、問題をおこしても見つからなければいいとか言っていたし。
「そりゃ嫉妬もちょっとはあるだろうな」
伊藤の言葉に、後ろから桂が首を突っ込んだ。
「新入生なら、噂だけ聞いてそれ信じてるのかもしれないな。御門ってさ、やたら広いじゃん」
寮としては小さいが、個人の小さな旅館程度の広さはある。そして敷地は尋常じゃなく広い。
「いっくんって御門の敷地内、全部見た?」
幾久は首を横に振る。
「今度全部案内してもらったらいいよ。あの敷地内に、山ひとつ入ってるんだから」
「山?!」
「といっても小さいよ。だから池に流れてくる水も、山水なんだよね。ぐるっと回ったらいい運動になるよ」
「蜂もいるんスよね!」
伊藤の言葉に幾久が驚く。
「蜂!」
「しかもスズメバチ」
「スズメバチ!あれってさされたら死ぬんじゃないんですか?」
「場合もある」
うわあああああ、やっぱりあの寮嫌だあああああ!
びくつく幾久に桂が笑う。
「ちゃんと駆除してくれるって。それにいきなり突撃してきたりしないよ。蜂は最初に様子を見に来る偵察部隊がちゃんといるから」
「そそ、偵察部隊とがちあったら、静かにしずかに帰れば大丈夫」
「こええ……」
スズメバチどころかミツバチだってろくに見たことが無いのに、環境がヘヴィーすぎる。
「大丈夫、猪はあの山には出ないし」
「……さすがに嘘っすよね」
いくら田舎でもこんな町中で猪なんか、と幾久は思うが桂は肩をすくめる。
「このあたりなら、ちょっと奥に行けば狸は出るよ?」
「嘘っすよね?」
「鹿は出たっけ?猿は最近見ないよね」
「熊は三年前に一頭しとめられたって」
話をする桂と栄人に、さすがに幾久は「嘘だ!」と言うが、栄人はにこにこ笑いながら言った。
「さて、どこまでが嘘でしょう?」
全部だろ、全部。だけど桂も栄人もニヤニヤしている。
「おい幾久、さっき九尾の狐があの山の向こうに」
いつの間にか傍に居た山縣に指さされて、思わずそっちを見てしまった。
馬鹿だった。
「子供かばーか」
「反射的に見ただけッス!信じたわけじゃないっす!そもそも九尾とかありえないし!」
「はぁ?当たり前だろ。信じたのはさっきのお前だけだっつーの」
「鷹落ち」
山縣に言うと、むっとした山縣が幾久を蹴ろうとしたが幾久はさっと避ける。
高杉みたいに鋭い動きならともかく、山縣のへなちょこな攻撃は怖くもなんともない。
「鳩のお前よりマシだっつーの」
「オレ、落ちたわけじゃないっすから」
「俺は!あえて!鷹を!選択してんの!」
「またまた。言い訳がましいっすよガタ先輩」
「てめえこの前やったうまい棒返せ今すぐ返せ」
「もう食いましたよ」
「倍にして返せ!」
「いいっすよ。十倍にして返しましょうか?」
うまい棒なんか一本十円だ。十倍にしても百円にしかならない。ぐだぐだ言い合いをしていると、山門の前に到着した。両側に鬱蒼とした木が生えていて、道は薄暗い。
「え、こんな場所で花見?」
確かに山門の上の方に桜が見えるが、こんなじめっとした冷たい場所はどうだろう。
「大丈夫、上はちゃんと広くて明るいよ。花も丁度満開だったし。そろそろ散るんじゃないかな」
久坂の言葉にそうなのか、と納得する。
大きな石段を歩き、頂上に到着した。
「わ」
眩しさに一瞬目がくらんだ。
鬱蒼とした道を越えればそこは寺の境内で、広いグラウンドのような場所だった。古い桜の木が何本もあり、あざやかな枝を広げている。
「すっげえ、満開」
自分たち以外にも花見に来ている人がいる。
どこかの家族だったり、報国の生徒も居る。木の下にはベンチがあったが、そこはお年寄りがすでに占拠していた。
「こっちこっち、いっくん」
桂が呼ぶのでそちらへ向かう。寺の境内を抜けて、別の場所へ向かう。資料館らしい建物の横に皆集まった。
「ここも寺っすか?」
「敷地内ではあるよ。奇兵隊とか、七卿落ちとか知ってる?」
「なんとなく、程度っす」
首を傾げる幾久に、桂が言う。
「このあたりはそういう歴史が多いから、教えてあげるよ。そのうち、ね」
「幕末っすか?」
「そそ。幕末」
そういえば、と幾久が尋ねた。
「そういや維新志士の子孫とかこの学校多いんすよね。高杉先輩とかもそうでしょ?他にも居るんすか?」
「いるいる。だから誰も気にしないよ。そもそも本家筋だの分家筋だの入れたら洒落にならない数だし」
「そんなに沢山?」
「俺ん家の話だけど、この前家系図を作り直したんだよね。そしたらさ、俺らのひーひーじいちゃん、ばあちゃん、その二人の子孫が一体いくら居たと思う?」
全く見当がつかずに幾久は首を横に振る。桂が答えた。
「その数、なんと百人超え!たった二人の遺伝子が、そんだけも広がってんだぜ。びっくりしねえ?」
「します」
「乃木さんなんかさ、もっと前の人な訳じゃん?じゃあもっと多いよ。子孫はいっくんだけじゃないでしょ?」
「多分」
親戚づきあいはあまりないし、詳しい話を聞いた事もないが、誰も居ない、とは聞いていない。そんな事初めて考えた。
「じゃあ、オレのほかにも嫌な思いした人がいるかもなんだ」
あのドラマで言いがかりをつけられたり、そんな人が自分以外に居るとは考えもしなかった。桂が尋ねた。
「嫌な思い、なんかしたんだ?」
「……しました」
つい出た言葉にぼそっと答えた。
すると桂が、ぽんっと肩を叩いてくれた。
「ここに居る連中も、そういうのけっこう判るから。今度から誰かに言えばいいよ」
不覚にも、突然、涙が出そうになった。慌てて目元を拭い、眼鏡をかけなおす。そんな幾久の様子に、桂は気付かないふりをして言う。
「気にするなって言われても、本人が気にしなくても他人が気にしていちゃもんつけてきたらどうしようもないだろ?そういう事があったら、ハルにでも俺にでも聞けばいいよ。俺ら経験者だし」
「桂先輩も?」
誰かの子孫なのだろうか。
そして嫌な目にあったりもしたのだろうか。
「多いよ、ここの連中。だから結局、そういう連中でつるむっていうのもあるかも」
昔は、と桂は話しだす。
「なんかドラマがある度にさ、今回は悪くされてないのかな、とか、言いがかりをつけてくる奴にそうじゃないとか説明してたけど、そんなの何の意味も無いって判ってからは何も考えなくなったな」
「そんな風に割り切れるものなんですか?」
少なくとも、幾久はまだ割り切れていない。
殴ってしまった事については、絶対に自分が悪いのは判っているけど、後悔しているか、といえばそんなことは無い。事実であったとしても、『人殺しの子孫』なんて言われて黙って我慢するほうが嫌だった。
「オレ、そんな風に割り切れない、かも」
例え誰かにそれを話しても、きっとなにかしこりが残りそうな気がする。子孫である限り、解決する方法はどこにもなくて、ただやり過ごすしかないような気がしていた。
が、桂が言う。
「だってさ、所詮、小説やドラマだろ」
「……?」
「事実はあっても、その時にどうしてそうなったのか、そこに居る人しか判らない。歴史なんて結果論でならなんでも言えるし。それに所詮、ドラマに小説だろ。漫画やゲームと一緒。娯楽で嘘で、作り物にしかすぎないのに。そんなのに生きてるこっちが振り回されるっておかしくないか?」
ぱっと世界が突然明るくなったような気がした。
ひょっとしたら本当に、日差しが強くなっただけなのかもしれないけど。
突然、色のついたレンズの眼鏡を外したみたいに、幾久の世界は明るく見えた。
「って、これ受け売りだけどな。ああそうだなって思ったんだよ、俺も」
そうだ。どうして振り回されたりしたんだろう。
幾久はあんまり驚いて、本当にびっくりして動けなかった。
所詮ドラマで小説で物語で作り事で。
そんなものにどうしてこんなにも傷つけられて振り回されるのか不思議だった。
でも所詮、ただの物語だ。それだけでしかない。
「本当にさ、調べる人はいろいろ調べるよ。乃木さんはよくやったし、あの状況ではあれ以外に方法がなかったって言う人もいる。みんなが歴史学者でもなければ、その戦いのあった場所に行った訳でもない。言い方悪いけど、結局どんな意見でも、なにもかも終わった今では下衆の勘ぐりってやつになっちゃうだろ?」
そうそう、と栄人も言う。
「新撰組なんかさーいいよなあ。もうすげえフューチャーされててイケメンにされてるし、こっちいつも悪人扱いだし写真けっこう残ってるからイケメン詐欺もできないし」
「そうそう、新撰組ファンの奴にいきなり怒鳴られたりとかさあ、俺関係ないってのに」
「あるあるある!変な知識だけはあるからもうくっそ面倒くせえっていう」
皆がわいわい話し始めるのを幾久は見つめていた。
「いいじゃん悪人。かっこいいじゃねえか、湘北みたいで」
「またガタは漫画かよ」
「つか、お前なんでゲームしてんの?画面見えんのかよそれ」
「それよりガタ、俺のスマホ、カスタマイズしてくんね?なんか動きが遅い気がすんだけどさ」
「貸せよ」
スマホをひったくり、早速弄り始める。
「いいから先に弁当食おうって。腹へりまくりじゃん!」
栄人の声に、皆そうだな、と言って、横に倒れた長い木の傍に集まった。ベンチがひとつ空いており、そこに桂と幾久は腰掛けた。
「じゃ、僕、いっくんの隣に座る」
楽しげに久坂が言い、回りがわずかに驚いた顔をしている。
その後ろから、どっと栄人がよっかかってきた。
「じゃあ、一年生の入学を祝って!」
「はえーよ!」
「まだ弁当あけてねえっつーの」
「つか音頭取るの二年かよ!」
賑やかに喋りながら、まだ人が集まってくる。
楽しいな、と思いながら幾久は空を見上げた。
満開の桜が咲いている。
咲き誇る花の中、馬鹿騒ぎの声が長く響く。
たった三ヶ月しかそこに居るつもりはないし、誰かに『居ろよ』と言われたわけでもない。
それなのにまるで、この場所にずっと居たらいい、誰もがそんな風に言ってくれる気がした。
「―――――ただいま」
何度も言われた『お帰り』の言葉に、いまやっと、きちんと返すことができた気がした。
合縁奇縁・終わり