合縁奇縁

(1) 春疾風

まずい。
壁の前で、幾久(いくひさ)は焦っていた。
壁と言っても人生の壁とかそういったものじゃない、リアル壁だ。
城下町らしい石垣に土の壁に瓦屋根。延々とそんな塀が続いているのはいいとして、肝心の校門が見当たらない。
(ここで間違いないのは判るのに!)
瓦がついた壁の向こうに見えるのはいかにもな学校で、幾久が受験する学校がこの場所で間違いはない。
だが、校門が判らない。
神社の境内の一部にあるという話だったが、タクシーに降ろされた場所は神社の境内のまん前で、仕方なく壁伝いに校門らしい場所を探しているのに全く見つからないのだ。
入試、しかもこれは最後の追加の入試でこれを逃してしまえば幾久に残されているのは高校浪人と言う不名誉だけだ。
(高校浪人なんか、冗談じゃないぞ!)
そう、高校浪人なんか絶対に嫌だったからこそ、こんなど田舎の、名前も知らない、父の母校というそれだけの高校を受験しに来たのだ。
どの学校も二次募集を過ぎていて、父が無理に母校に渡りをつけてくれたから良かったものの、そうでなければ幾久は高校浪人の道しかなかった。
好きで受ける学校ではないが、高校浪人よりはマシだ。なんなら入学後に転校すればいいわけだし。
なんて事を考えていたのに、これでは受験前に脱落してしまう。
どうしたら中に入れるのか誰かに尋ねようにも、すでに春休みのせいか誰も通らない。
どうしよう。どうしたらいいんだろう。
行けば判るから、と安穏と考えていたので学校の連絡用番号すら聞いておかなかった。失敗だ。
おろおろとして腕時計の時間を見る。
試験開始まであと五分。
(学校がこの中にあるのは間違いないのに……くっそ!)
背に腹は変えられない。
きょろ、と幾久はあたりを見渡した。
(入りさえすりゃ、判るんだから)
どうせ誰も通らないなら、壁を越えて入ればいい、
こんな塀ならセキュリティがかかっている事もないだろう、そう思って幾久はリュックを下ろし、塀の向こうに放り投げた。どさっという音がした。
(よっし!)
石垣に足をひっかけ、手を伸ばして塀の瓦を掴んだ。
よし、いけそうだと思い、ぐっと力を入れた。
勢いをつけ、塀を蹴りあげると、なんとか壁によじのぼれた。
運動神経が悪くなくてよかった。
上半身がやっと壁の天辺の瓦に乗ったので、さらにざりっと塀を足で蹴り、勢いをつけて塀の向こうに向かおうとしたその時、ぐいっと足を引っ張られた。
「お前、なにしちょんじゃあ!」
怒鳴り声に焦って振り向くと、高校生くらいの男が幾久の足を引っ張っていた。
いつの間に、と思ったがこっちも急いでいる。
「離せ!」
「誰が離すかぁ!てめ、土塀削りやがって!」
どべい?
がり、と暴れた足がまた塀を削ったらしい。
「おまええええええ!」
ぐっと一層強く引っ張られるが、こんな事に構っている暇は無い。
「ごめんってば!後からいくらでも謝るから!今は急いでるから!」
そういうと馬のごとく、幾久は思い切り足を蹴り上げた。
げしっとどこかを蹴り上げた感触があったが、構っている時間は無い。試験まであと二分。
「本当にごめん!」
そう怒鳴ると幾久は敷地内に飛び降りた。
足元のリュックを拾い、掴んで背負った。
敷地に入ればこっちのものだ。
勢いでずれた眼鏡を戻す。
まてえ!とさっきの男の声がするが構ってはいられない。
こちとら高校浪人するかどうかの瀬戸際なのだ。
「マジでごめん!」
塀の向こうに向かって、そう大声で怒鳴ると幾久は
リュックを掴んで走り出した。
試験開始まで、あと一分三十秒をきっていた。






校舎だろう建物に近づくと、一人の先生らしき男が立っていた。
年齢は三十歳くらいで、きちんとしたスーツに眼鏡、携帯灰皿を持って煙草を吸っている。
すらっとした印象で少し怖そうな雰囲気だが、気にしている状況ではない。
「誰?」
けげんそうな表情に、幾久はびくっと体を震わせた。
やっぱり試験だから、卒業していても中学の制服を着てくるべきだったのだろうか。
幾久の外見は、かるいくせっ毛に黒く太い縁の眼鏡、ポロシャツにパーカー、チノパンツにスニーカーだ。
試験なので気を使って、それなりにきちんとした格好をしてきたつもりだったのだが。
「あの、オレ、今日試験で、」
びくつきながら幾久が言うと、目の前の男は、ああ、という表情になった。
「余裕だなあ。もうすぐ試験始まんぞ」
「迷ってしまって……」
慌てて靴を脱ぎ、用意してきたスリッパを履く。
「試験会場はどこですか?」
「すぐそこ。付いてこいよ。俺試験官なんだよね。便所は?」
携帯灰皿に煙草を押し付けながら試験官が言う。
トイレは必要ないと首を振ると、そう、と試験官は頷いた。
「じゃ、行きますか」
背中をぽんと叩かれ、幾久は試験会場である教室へ試験官と同時に入った。


教室にはすでに二十人程度の生徒がいた。
制服を着ている生徒がいないことにまずほっとし、試験を受けるのが一人じゃなかった事も安心した。
指定された机に座り、試験票と文具を出す。
幾久と一緒に教室に入った試験官が言う。
「試験開始。時間はボードに書いてある通り。じゃ、開始」
ばっと試験のテキストを開き、そして幾久は驚いた。
試験は三教科あるのだが、その三教科ぶんのテキストが全部揃えてある。
(……あれ?)
「あの、先生」
「おう、なんだ。便所か?」
どれだけ便所に拘るんだこの先生、と思いながら幾久は尋ねた。
「三教科ぶんのテキストがあるんですけど……」
最初は国語からだったはずだ。だけど手元には他の二教科のテキストもある。なぜ他の教科もあるのだろうか。すると試験官は言った。
「おー、それまとめてやっていいから。最後の時間さえ守ってくれりゃ、どういう配分でもいいぞ」
(はぁ?そんな試験あっていいのか?)
一気に幾久は不安になるが、そんな事に構っていては時間がなくなる。
ちょっと変わった学校だと聞いていたから、こういうのもありなのかもしれない。
戸惑いながら幾久がテキストを開くと、幾久以外の生徒が立ち上がってテキストを提出した。
「できましたー」
他にもそう声をあげて、生徒がぞろぞろとテキストを渡していく。試験官はそれぞれ生徒になにか封筒を手渡ししている。一体どうなってるんだ?と幾久がきょとんとしている間に幾久以外の生徒は皆、出て行ってしまった。ぽつんと教室に一人残され、幾久は思わず手を上げた。
「あの、先生」
「なんだ?」
「他の生徒はどうしたんですか?」
どう見ても試験が終わるには早すぎる上、全員が出て行って意味が判らない。
「試験終わったから、出て行ったんだろ」
「え?」
そんなはずはない。あの時間で出来るのはせいぜい名前を書くくらいだ。だが試験官はにっこりと笑って言う。
「他人より自分を気にしろよ。お前、試験落ちてもいいの?」
そうだった。自分はこの学校に試験をしにきたのであって、他に構っている場合じゃなかったのだ。
出て行ったほかの生徒は気になるが、幾久はまず自分の進路をどうにかしなければならなかった。


試験のリミットはそれぞれ十五分の休憩をはさんで三時間弱だった。教室には幾久と試験官の二人だけで、途中の休憩時間を守った以外に試験に制約は全く無かった。
お陰で苦手な数学はゆっくり時間をかけて解くことができたし、国語なんかほぼパーフェクトに回答できたはずだ。
試験が終わると時間は昼の一時前だった。
ペンを置いてテキストを回収されると、気が抜けたのか、思わずため息が出た。試験官はぺら、とテキストをめくり、中を確認すると、幾久に封筒を渡した。
「じゃ、これ、はい」
「え?」
「合格おめでとうございまーす。来月からうちの生徒だな、よろしく」
「……え?」
ちょっと待て。自分は今試験を受けたばっかりのはずだ。それなのに合否がどうして出るのだろうか。
驚いて何も言えない幾久に、試験官が告げた。
「クラスはまた資料と一緒におうちに送られるから、そんとき確認して。あ、それとこの呉服屋さん行って採寸してきてね。制服のだから」
「あ、ハイ……」
地図を手渡され、また背中を軽く叩かれる。
「じゃ、来月からね。よろしく!」
「……よろしくお願いします」
訳がわからないまま、幾久はぺこりと頭を下げて教室を出て行った。



学校を出てすぐの所に呉服屋があり、そこへ行くと丸い眼鏡の老人が待っていた。けっこうあちこち採寸されて、ちょっとサイズを確認するだけじゃないのか、と不思議に思ったが、高校はこんなものなのかもしれない。入学後もお直し致しますので、何かありましたらお越しくださいね、と言われ、はぁ、と頷いたがそんな事は多分ないだろう。
呉服屋を出て時計を見ると、三十分が経過していた。
けっこう時間はくったが、空港へ行くタクシーが来るまではもう少し余裕があった。東京へ戻る飛行機は夕方出発だ。
(お腹、へったなあ)
朝、空港のコンビニで買っていたサンドイッチとジュースがリュックに入れてある。どこかで休んで食べようと幾久は辺りをうろついた。この近辺は全く判らないので知っている場所から動きたくない。
神社に行けば座る場所があるはず、と幾久は目の前の神社へと入って行った。神社の境内に入るとそこにはベンチが数箇所に置いてある。
「ここでいいじゃん」
ベンチに腰を降ろし、幾久はパックのジュースにストローを刺し、リュックからサンドイッチを出す。
ほっとしてサンドイッチにかぶりついた。
父の言うとおり、空港のコンビニで買っておいて正解だった。この近辺には中々コンビニがないのだ。
(オレ、大丈夫なのかな)
コンビニもなかなかない上に、観光地としてもぱっとしない。まだ田んぼが見えない分、田舎じゃないのかもしれないが、それでも視界には山が入る。
(東京と比べりゃ、そりゃどこも田舎だけど。しかし電車が一時間一本程度とか、マジないわ)
区内で育った幾久にとって、山が見える場所というだけでも田舎だ。おまけにこのあたりにはJRの駅すら近くにないというのだから驚きだ。
もしかしたらここで三年過ごすかもしれないのに、うまくやれるのだろうか。
今更後悔しても仕方ないが、ちょっと失敗したかなあと思う。
サンドイッチを食べていると、近くに鳩が寄ってきた。神社のせいだろう、鳩が多い。
「餌なんかねーよ」
そう幾久は言ったが、ぞろぞろと鳩が近づいてくる。
最初は気にしなかったが、ベンチの周りに増える鳩に段々不気味になってきた。
「……んだよっ」
立ち上がり、ベンチから離れようとすると、鳩が幾久の肩に乗る。
「ちょ、おい!」
どかせようと肩を動かすが、絶妙なバランスで鳩は肩に乗っかって、そして幾久の持ったままのサンドイッチに近づくと。
ずぼっ!
「うわっ!」
つつく、なんて可愛いものじゃない。鳩が頭からサンドイッチに突っ込んできたのだ。鳩が顔を出すと刻んだ卵まみれの顔があって、幾久はサンドイッチを思わず投げ捨ててしまった。
「なんなんだよっ!」
ばっと体をねじって鳩をどかせたが、鳩は投げ捨てられたサンドイッチにわらわらと群がって幾久から逃げて行く。
「もーどんだけアグレッシブなんだよ」
ばたばたと上着を手で叩く。
半分は食べることができたが、半分はすでに鳩の餌だ。コンビニの場所は判らないし、かといって携帯で探すのも面倒くさい。腕時計で時間を見ると、空港へ向かうタクシーが来るまで一時間ちょっと。
(コンビニ探して、飯買って、戻ってきてって、面倒くさ)
サンドイッチをつつく鳩を横目で見ながらため息をつく。なんだかついてない。
パックのジュースにストローをさす。これでも飲んでおけばすこしは紛れるだろう。
「くっそ、昼飯」
ジュースを飲み干し、箱をべこべこに潰しながらぶつぶつと文句を言っていると、境内の向かいから誰かが近づいてきた。鮮やかな明るいオレンジのジャージを着ている。
(……あれ?)
見覚えのある姿に思わずじっと見つめていると、ジャージの男は幾久を見つけ、だっとかけよってきた。
「てめ、土塀どうすんじゃ!」
「―――――あ、」
見覚えがあるもなにも。
「さっきの!」
朝、塀を乗り越えた時に幾久の足を引っ張った奴だった。しかもなんか、顎にガーゼが張られている。
「えーと……それ、オレのせい、かな」
うわやべ。まさか本当に後から会うなんて思ってなかった。これだから田舎は。
「他に誰がおるんじゃ」
―――――じゃ?
年寄りくさい言葉に、幾久はきょとんと目の前の男を見た。
黒いニット帽に、明るいオレンジ色のジャージにはグリーンの鮮やかなラインが入っている。
細身のジャージは正直、東京で見ても多分カッコイイと思えるようなやつだ。なのにどことなく違和感があるのは、時代劇みたいな言葉のせいだろうか。
身長は幾久よりちょっと上だ。
痩せて細いせいか、不遜な態度のせいか、もっと大きく見えたがそうでもないらしい。目が細く鋭く、神経質そうで、左の耳にUの形のピアスをしている。
「どうせ暇じゃろ。塀なおすの手伝え」
問答無用で幾久の襟首を掴み、ぐいぐいと引っ張っていこうとする男に幾久は驚き、抵抗した。
「ちょ、待ってくれよ!蹴っ飛ばしたのは悪いと思うけどさ」
「じゃあ手伝え」
「無理!無理だって!」
あと小一時間で父が用意してくれたタクシーが学校の校門前に来るはずだったし、あまり場所を移動するとまた道が判らなくなる。面倒に巻き込まれるのはこれ以上ゴメンだ。
「なにが無理じゃ」
「空港までの乗り合いタクシーが来るんだよ。オレ、このへん詳しくないから動きたくない。マジで悪いんだけど」
幾久の言葉に男はふーん、と顎を軽く上げると襟首から手を離した。
「まあ、ええわ。入学したら手伝わせるけぇの」
うっわ。マジで言葉が時代劇みたい。そう思ってふと幾久は気付く。
「入学したらって、あんたもこの学校の生徒?」
「わしは次、二年になるけ、お前の先輩じゃ」
「ってか、決定なんだ」
「お前、さっき試験受けたんじゃろう?」
「受けたけど」
「テスト用紙に、名前書いたな?」
「?当たり前だろ?」
「じゃ、受かっちょる」
「へ?」
ちょっと待て。じゃ、この学校って、まさかあの、漫画によくあるような、名前書いたら合格とか、そういうレベルの。ざあっと幾久の頭から一気に血が下がる。冗談じゃない。今まで居た私立中学はそこそこのレベルでここまでひどい学校なんて聞いて居なかった。
「うわあ……マジでやばい。学校失敗した」
「なんでじゃ」
「こんなレベル低いなんて聞いてない」
男があからさまにむっとした。
「低いとはなんじゃ。この辺りじゃ一番レベル高い学校なんじゃぞ」
「名前書くだけで合格とか、低くなけりゃなんなんだよ」
「ばぁーか。合格するだけでレベルが決まるか」
「え?」
「名前を書いただけで合格はするが、クラスのレベルが全然違う。お前、この学校がどんなんかも知らんで受けにきたんか?」
幾久は頷く。
「全く知らない」
「そんなんでよぉ受けにきたの」
呆れて男が肩をすくめる。だってしょうがない。幾久には選択肢がなかったのだ。
「しょうがないだろ。ここしか受けるところなかったし、ここじゃないと金出さないって親に言われたし」
「ほー。なんで」
「なんでって……父さんがここの卒業生なんだよ。本当は元々通ってた中学からエスカレーターで高校に入るはずだったんだけど、駄目になって」
「トラブルでもあったんか」
びく、と幾久の肩が揺れた。
「ま、そんなとこ。高校浪人は嫌だって思ってたけど、こんなギリで受けてくれるところも中々なかったし。でもこの学校は大丈夫だって聞いて試験を受けにきたけど」
そこそこの進学校だから、その気になれば大学は東京に戻ることも可能だ、なんなら高校でどこか編入してもいい、と聞いたのでこの学校を受けたのに。
「まさか馬鹿田高校とか」
「はぁ?」
がしっと幾久の脛にローキックが入る。
「うわっ!」
痛む膝を抱えて思わず片足で飛び跳ねる。
「な、にすんだよ!」
「お前こそなに言っちょんじゃあ。蹴るぞ」
「蹴る前に言えよ!」
思わず怒鳴るが、男は静かにもう一度言った。
「蹴るぞ」
もう一回、という意味だろうか。
冗談じゃない。さっきのキックだって相当痛かった。
というより現在進行形で痛い。
慌てて幾久は謝った。
「うそ、やめろよって!ごめんってば!オレが言い過ぎました!」
「わかりゃええ」
ふん、と男がジャージのポケットに両手を突っ込む。
「えーと……言い過ぎました。スミマセン」
「おー、」
男はまだむっとしている。
そうだよ、レベル低いなら乱暴者が多いに決まってんじゃんか。気をつけないと。
「あ、で、でも」
話題を変えようと幾久は必死になって言った。
「名前書くだけで合格とか……」
あれ。ひょっとして話題の選択間違ったか。地雷踏んだ?やば、と思ったが、男は不機嫌そうなまま、幾久に言う。
「言ったろ。この学校はクラスで全然レベルが違う。名前を書くだけで合格するのは千鳥だけじゃ」
「千鳥?」
なにそれ。必殺技?と幾久が首をかしげていると男が言った。
「クラスの名前。上から鳳、鷹、鳩、千鳥。成績順でクラスも授業内容も違う。まあ、鳩と鷹は似たようなもんか。お前、試験はちゃんと受けたんじゃろ?」
幾久は頷いた。試験の内容はかなりレベルが高かった。だから名前を書いただけで合格と聞いて驚いたのだ。
「クラスの名前、変わってんだ」
「この学校の伝統じゃからの」
普通は特進とか、そういうのがつきそうなものなのに。
「東京でもいいトコにおったんなら、上手く行きゃ鷹、まあ最低でも鳩くらいには入れるじゃろ。悲観するほどレベルは低くないはずじゃけどの」
「そう願うよ」
ふう、と幾久はため息をつく。
そして違和感を覚える。あれ?今、オレ東京から来たって、こいつに言ったっけ?
「よそは知らんが、うちはええ学校じゃと思うけどの。犯罪とか、マナー違反とかしなけりゃ基本自由じゃ」
「へー……」
こんな田舎で自由を許されたってなあ、と幾久は思う。のどかと言えば聞こえはいいが、ぶっちゃけ何もない田舎にしか見えない。
学校と言っても、神社の敷地内にあるとか。変わっているといえばそうだけど。
「タクシー来るんじゃないのか。時間、大丈夫か」
「えと、あー、ぼちぼちかな。校門前に来るって」
「こっちじゃ。案内しちゃる。迷ったら目もあてられん」
ありがとう、と礼を言うべきだろうけどかちんときたので言うのはやめた。案内されたのは境内の真正面。つまり神社の、鳥居の真下だ。
「……ここ、神社の前じゃないの」
男がくいっと鳥居の傍にある石柱を指すと、そこは文字が刻んであった。

【報国院男子高等学校】

「は?」
まるっきり見逃していた。っていうかこれ校門って無理があるだろ!
「だまされた!」
「なにがじゃ。ちゃんと書いちゃあろうが」
「見落とすだろ普通!うわあ……じゃ、こっから入りゃよかったのかよーマジでか」
あんなにぐるぐる回って入り口を探したのに、ここから入ればよかったとか。信じられない。
「めちゃくちゃ探したっつーの」
「注意力が足りないだけじゃな」
「こんなん見つけろってほうが無理だろ。フツーじゃねえじゃん」
そう幾久が呆れると、男がふっと笑った。
「ああ、そう、それじゃ」
「へ?」
「『フツーじゃねえ』じゃ。この学校にフツーを期待せんほうがええ」
「……なんかさい先怪しいんだけど」
「名前書けば受かるクラスと、市内全域でトップクラスじゃないと受からんクラスが同時にある学校じゃから、普通は期待せんほうがええ。多分、全部足して割ったら普通になるかもしれん」
「それでもオレには、ここしかねーもん」
どんなに嫌でも、一旦はここに来ると決めたんだし、そうしないで高校浪人は絶対に嫌だ。
「じゃ、諦めえ」
男が言う。
「郷に入りては、って言うじゃろ。それになんだって慣れるもんじゃ」
「そうかなあ」
どうもこの学校にはピンとこないというか、自分がこの学校に入るというイメージが湧かない。
多分、つい先月までは今までの学校に通うと信じていたせいかもしれない。
本来なら、中学からの持ち上がりでそのまま高校に進学できるはずだったのに。
(面倒くさい)
本当に一回だけの失敗がここまで引きずるなんて考えもしていなかった。
だけど今更もとの学校に戻るのも嫌だし、戻るつもりも無い。
ひょっとしたら大学で以前のクラスメイトにがち会うかもしれないけれど、そこまで考えていたら何も出来なくなってしまう。
たった三年。
中学のときみたいに普通に過ごしてさえいればいいんだし、大学までの我慢だし、三年なんかなにもなければあっと言う間だ。
「ま、なんでも経験じゃけ、来てみるとええ。歓迎するぞ。なんだって慣れりゃ普通になるじゃろ」
そういうものなのかな。
そう考えていると二人の前にタクシーが止まった。丁度時間になったらしい。
ドアが開き、運転手が尋ねた。
「空港まで行く人?」
「そうです」
答えると幾久はタクシーに乗り込む。
タクシーのドアが閉まり、知り合いと思ったのだろう、ドライバーが気を利かせて窓を開けた。
「またな乃木」
え?だから、オレ、名前言ったっけ?
首をかしげた幾久に男がなにか放り投げた。
思わず受け取ったそれはお菓子の箱だった。
(ビスコ……なんで?)
「腹の足しにせえ」
じゃあな、と男が手を振る。幾久は思わず身を乗り出した。態度はあれだが、それなりに世話になったのは間違いない。
「あの、いろいろありがとう!あと、名前教えてください!」
男は笑って幾久に言った。
「高杉」
じゃあな、と男が軽く手を上げ、振る。窓が閉まり、タクシーが発進した。