合縁奇縁
(7) 春惜しむ
「……これはひどい」
講堂に入る前から、ちょっとだけ予感はした。講堂の外まで、おっさん達の賑やかな声が聞こえていたからだ。
おまけにあろうことか、酒くさい。
「酒くっさ。おっさんくさ」
煙草のにおいがしないのがまだ救いなのか。おっさん連中は座敷に座り、あちこちで楽しそうに喋っている。
まさに田舎の宴会場そのものだった。
ビール片手に、弁当を膝の上にのせて喋りながらつまんでいる。
さっきまでの厳粛な雰囲気はどこにいったんだ。
と、呆れる幾久に桂が言った。
「毎回、入学式の後はこうなるんだよ。これが目当てで参加するOBも多くてさ。子供が居る訳でもないのに毎年来るOBも居るんだよ」
「そうそう、んで大体、夕方までここで話した後、飲み屋に行くんだよ。ここにいるのは飲み屋が開くまでの時間潰しって聞いた」
ひどい。なんなんだこの学校は。
「……学校施設でいいんすか」
いくら飲んでいるのが大人だけだとしても、校内で飲酒はないだろう。
そう言う幾久だが、桂が説明する。
「正しくはこの講堂は学校施設じゃないんだ。あくまで学校が『借りて』いるだけで、講堂自体は個人の持ち物。だから古いけど使えるんだって」
「え?個人の?こんな立派な建物が?」
どんだけ金持ちなんだ、と驚く施設なのに。こんな建物、学校か、地域か、国が管理してもおかしくないだろうに。
「だから学校が入学式の時に『借りて』いるだけ。そんで今は入学式は終わったから別の団体が『借りて』るんだよね。ほら、舞台。入学式の垂れ幕じゃないだろ?」
「本当だ」
さっきまで舞台の上には『入学式』の垂れ幕がかかっていたのにいつの間にか『報国院OB親睦会』になっている。
「それより父さんを探さないと」
こんな酔っ払いの中に居たくない、と思ってウロウロしていると、あからさまに怪しい団体が見えた。
(なにあれ)
大体がスーツの中で、そこだけ妙に怪しい。
数人が派手な頭と派手な革ジャンを着て笑っている。栄人がすぐに気付いて言う。
「なにあれ。つか、エアロスミス?」
「ミュージシャンじゃね?たしかOBにそんな人いたろ?」
桂の言葉に、栄人がああ、と言う。
「いたいた。なんつったっけ、なんかバンドの人だっけ。へえ、じゃああれ芸能人か」
嫌だ。あんな変な人たちに近づきたくないと思って背を向けようと思った瞬間。
「―――――」
ぎょっとして幾久はそこを見つめた。その派手な、大人気ない、ロケンローラーな格好の大人の隣に、あろうことか、父が居た。
(なに話してるんだよ父さん!)
いやいや、きっとただの同級生に違いないし、たまたまあっただけかもしれないし。それより話をしなければいけないのだ。
この学校じゃなく転校の話をしてほしいと。早くしないと、きっと自分は流されてしまう。
ここもいいかな、とか思ってはいけない。
そんな事をするときっともう大学に間に合わなくなってしまうのだ。
「父さん!」
意を決してその団体に近づくと、よりにもよって、一番関わりたくない派手な大人が顔を上げた。
「おお!お前幾久か!乃木の息子だろ?うわーそっくり!まじまんま、高校のときの乃木じゃん!」
大人のくせにマトモな挨拶もできないのか、とむかっときたが、幾久は「はじめまして」と不機嫌そうな顔のまま挨拶をした。
「なんだよぉ、つれねーな。はじめましてじゃねーよ?お前が赤ん坊の頃に会ってんのに忘れたのかよ」
「判りません」
抑揚のない返事はもろに不機嫌さを表している。おや、と派手な大人が少し驚いたようだった。
「乃木、息子さん」
別の大人と話していた父はやっと幾久に気付いた。
「幾久か。どうした?」
「入学式のあと、話があるって言ったじゃん。覚えてないの?」
むっとしたまま言うと、父はすまん、と頭を下げる。
「すぐ終わるならここで聞くが。どんな内容だ?」
「それは……」
話そうとすると、派手な大人が父と肩を組んで、幾久に笑いながら言った。
「幾久良かったなあ!この学校はすっごく楽しいぞ!東京なんかより絶対にこっちだって!お前をこの学校に行かせてやりたいってこいつ、昔っからそう言ってたし、もう悲願叶って親ばか炸裂……」
かちんと来たのはどこにか、なにがそんなに腹がたったのかは判らない。でも、自分がこんなにも悩んで、考えて、どうしていいか判らなくて、父にも気を使っているというのに、東京の学校に居たかったのにどうしてこんなところでこんな事をしなければならないのか。おまけにこんな大人気ない格好の人に馴れ馴れしく呼び捨てまでされて。
「―――――父さん。オレ、転校したいんだけど」
低く言うと、父も、派手な大人も、そしてそばに居た栄人も桂も、伊藤も児玉も固まってしまっていた。
「幾久?」
機嫌のよかった父の表情が、すっと普通の父に戻った。
「どうした。またなにかあったか?」
幾久は首を横に振る。
「入学前から考えてた。本当はさ、高校浪人が嫌だったからとりあえずここ受けたけど、オレは東京に戻りたい。……ここに居るより、東京のほうがいい。塾もあるし。レベルだって」
幾久の言葉を派手な大人が遮った。
「はぁ?お前、鳳のレベル舐めてんじゃ」
「黙ってくれ。今、親子の会話をしてるんだ」
父の真剣な声に、派手な大人は口をつぐんで、ぐしゃぐしゃと頭をかいて黙る。
「幾久、座りなさい」
父に言われ、幾久は正座をする。
父も向かい合って、幾久の目を見た。
「お前が転校したいなら、それはそれでかまわない。金のことは気にしなくてもいい。お前がそう言うかも知れないって考えていたからな」
幾久が驚いて父を見る。
てっきり怒られると思っていたからだ。
だが、父は微笑んで言う。
「ただ、入学式が終わった後で、『辞めたい』というのは早計すぎると思う。実際、母さんもうるさく言うだろうし、東京の学校っていうことは家に戻るってことだぞ?どうなるかは判るな?」
幾久は頷く。
またあの母のヒステリーに付き合わなければならないのはうんざりするが、そんなもの塾に通って遅くまでどこかで勉強すればいいだけの話だ。
どうにでもなる。
「それとな、幾久。これは単純に父さんの我侭なんだが、父さんはこの学校が好きなんだ。本当は、お前が生まれた時に真っ先に考えたのが、この学校に通わせたいって事だった。そのくらい愛着がある」
うん、と頷く。それは幾久にも判っている。幾久が興味を持ってからの父の行動と、嬉しそうな毎日はちゃんと見ていたからだ。
「正直に言えば、入学金だって高いし、制服も高かった。今から編入すればまた別にその金もかかってくる。それよりもこの学校に息子を入れるっていうのは父さんの夢だしな。ただ、お前の人生はお前のものだ。転校したいのならそれでもいい。但し、条件がある」
「条件?」
「そうだ。前期、一学期の間だけ、我慢してこの学校で過ごしてみないか?」
「一学期……」
「そうだ。ほんの三ヶ月だ。その間だけは我慢できるだろう?」
幾久は少し考えるが、父は言う。
「大抵の学校はすぐの編入を受け入れないし、最低でも夏休み前くらいまではここに通っておいたほうがいい。辞めてもすぐに受けさせてくれるような学校は、お前の求めるレベルでは多分ないだろう?」
それは確かにそうだった。入試が終わってすぐ編入、なんて真似ができるなら誰も必死に入試の為にがんばったりしない。落ちてもまたその学校に編入すればすむだけの事だからだ。今のレベルよりも低い学校なら幾久を喜んで受けいれてくれるだろうが、それでは何の意味もない。
「父さんとの取引だ。三ヶ月、お前は父さんの夢の為に我慢をする。その代わり、三ヵ月後は自分の好きな学校に行ける。どうだ?」
どうだ、と言われても逆らえるはずがない。お金なんか父に任せるほかないわけだし、その父にいま『お願い』されている。それに実際、今からすぐに編入も難しいだろう。
「―――――わかった。じゃあ、そうする」
「そうか。じゃあ、話は決まったな」
ぽん、と幾久の頭に手を乗せる。
「お前の人生だっていうことを忘れるなよ、幾久。どうしたいのか、自分は本当はどういう気持ちなのか、しっかりとこの三ヶ月の間に考えなさい」
「……アリガト」
「先輩達、ですよね?」
幾久の父の言葉に、栄人がはっとしてしゃきっと背を伸ばした。
「は、はい!二年、鳳、御門の吉田栄人です!」
「御門なら、息子と同じ寮ですね。お世話になります」
ぺこ、と父が頭を下げると、栄人が慌ててまた頭を下げる。桂が自己紹介した。
「俺……僕は桂雪充です。三年鳳。今は恭王ですが、この前まで御門でした。こっちは一年で、報国寮の伊藤。クラスは乃木君と同じ鳩です。こっちが児玉で、一年鳳、恭王寮です」
「そうですか。短い間かもしれませんが、息子をよろしくお願いします。あと、申し訳ありませんが、この話は内密に、ということでお願いできますでしょうか」
幾久の父の言葉に、面々は顔を合わせて、はい、と頷いた。と、またあの派手な大人が横から口出しする。
「やぁーだ乃木さんてば、子供相手になにげに口止めさせ……」
ぎろっと乃木の父が睨み付けると、派手な大人はすごすごと肩をすくめる。その表情も驚いた。
幾久ですら、父のそんな表情を見るのは初めてだったからだ。
と、近くに居た、またど派手な、髪を赤く染めた大人がニヤニヤしながら声をかけてきた。
「気にすることないよ。そいつ激しく馬鹿だから。ごめんな馬鹿な大人で。こんな大人になっちゃいけないよ、少年達」
「なんだと?俺様を誰だと思ってやがんだてめえ!」
赤い髪の男に派手な男がつっかかるが、ニヤニヤしながら幾久たちに尋ねた。
「ねえ、ピーターアートって知ってる?」
幾久たちは首を横に振る。そんなの聞いた事がない。
そもそも、幾久は音楽に興味がない。
栄人と桂は、聞いた事があるような、ないような、微妙な表情だ。そんな様子を見て赤い髪の男がげらげらと笑う。
「ホラな!ホラな!今時のリアル高校生への認知なんかそんなもんだって!ほーら、恥ずかしい!恥ずかしい!ひょっほー大御所気取り、恥ずかしい!」
げらげら笑う赤い髪に、派手な男は顔を手で隠しながら、ごろごろと転がって叫んでいた。
「悔しいいいいい!なんなの!アタイの頑張ってきた年月ってなんなの!紅白出場やランキング1位ってなんの意味があったっていうのおおおお!アタイは悪くないの!レコード会社の営業が悪いのよおお!不況のせいよおおおお!」
ごろんごろん転がる派手男に、父が拳骨をくらわす。
本当になんというか、意外すぎる面ばかり見た気がする。
「幾久、ここはいいから帰りなさい。もしなにかあったらいつでもメールでも電話でもしなさい」
「うん。ありがとう、父さん」
「こっちこそ。お前のそんな制服姿を見られるとは思っていなかった。よく似合ってる」
誉められるとどうにも照れる。栄人達の手前もあって恥ずかしいので、じゃあ、と講堂を出る事にした。
講堂を出て、靴を履き、寮に戻る事になった。
「あの、すみませんでした。へんなこと聞かせて」
ぺこっと幾久が桂たちの前で頭を下げる。桂はいいよ、と笑った。
「なにか事情があるんだろ?別にいいよ。トシもタマも黙っててくれるし。な?」
桂に言われると、伊藤も児玉も、うん、と頷く。
「それよりさあ、折角なんだから三ヶ月楽しむ方向でいくべきだと思うんだよねおれは!」
栄人の言葉に桂もそうだな、と頷く。
「折角長州市にいるんだから、その間思う存分楽しむべきだよな。うん、俺も協力するよ。面白そうだし」
「ひょっとしたら気が変わるかもしんないし、ね、いっくん!」
「はぁ、まぁ、わかんないっすけど」
本当にそれは判らなかった。今まで進路の事を深く考えたことなんかなかったからだ。
漠然と、中学から高校はエスカレーターで進んで、そのまま問題なければ大学へ、できれば上のレベルの大学にも進めたら、そう思っていたからだ。
(本当は、どんな気持ちかって言われても)
そんなの、父と同じくらいの職につけたらいいんだろうな、程度にしか考えたことがない。学力なんかレベルが上のほうがいいんだし。
(あれ?でも、なんでそんな事考えたんだっけ?)
思い返せば、父に凄く憧れたからとか、父の職業がいいな、と思ったことはない気がする。なのにどうして、そんな風に考えていたのだろうか。
(……?)
本当の気持ちを考えなさい、と言われてもいざ考えてみると、そんなもの、考えたことがあったのだろうかと不思議になる幾久だった。
桂達とは校門からまっすぐ歩いて、つきあたりの川の正面で分かれた。
恭王寮はその川沿いの上にあるそうで、歩いても近いのだという。
寄っていくか、との誘いに今回はいいや、また今度ね、と栄人が断ってくれた。
別れ際、伊藤が「きにすんなよ!また明後日な!」と笑ってくれたのが救いだった。
御門寮への道を歩きながら、はー、と栄人は長いため息をつく。
「なんかさあ、かっこいいお父さんだったね!」
「そんなことないっす。普通っす」
「そうかなあ。なんか良かったじゃん!あのエアロスミスが茶化した時に『いま、親子の話をしてるんだ』って黙らせたの、すっげえ格好よかった!」
いつの間にか栄人はあの派手な大人にあだ名をつけている。ただ、実際、自分もそこは格好いいな、と思った。
「あんな父さん、見たことないからびっくりしたっす」
「そうなの?普段からあんなかっこいい感じなのかって思ったよ」
栄人はなぜかテンションが高い。
「よくわかんないっす。父さん、忙しくて家に帰るのも遅かったし、ここ何年もマトモに会話なんかしたこともなかったんすけど、オレがこの学校に入るかもって所からなんかすげえ話するようになって」
「へぇー。でもなんかいいなあ、ああいう父親って」
楽しそうな栄人に、幾久は尋ねた。
「栄人先輩のお父さんって、どんな人なんです?」
「おれのトーチャン?どクズ」
「……え?」
聞き間違いかと思って思わず栄人を見つめたが、栄人はにっこり笑って答えた。
「ギャンブルに走りまくって、金つかいまくって、生活できなくなって、挙句借金残して蒸発。今はもう知らねーし、知るつもりもねーし」
しまった、と思って幾久は口ごもる。が、栄人はからからと笑う。
「だーかーらー、もう大丈夫なんだって!父親が居なくなったのなんてもう十年近く前の話だしさあ、いまんとこ生活に問題はないわけだし。ギャンブルしてたやつさえいなけりゃ、ちゃんと生活できんのよ?」
「すみません」
「や、だからマジ気を使わないでっていうか。つか、家の事情はしょうがないじゃん。誰のせいでもないし」
「……っすけど」
うかつだ、と幾久は自分が嫌になる。
しかし栄人は苦笑する。
「まあ、だからかな、ああいう『キチンとしてる父親』って感じのああいう人、おれ好きなんだよね。憧れる。将来、あんな風になりたいなって思うわ」
「……」
なんと答えていいかわからない。とぼとぼと歩いていると、気を使ったのか栄人が喋り続ける。
「きちんとスーツ着て、仕事して、そんで子供の友達の前で『うちの息子をよろしくね』ってちゃんと言えるってさ、かっこいいよ。でもうちのトーチャンはそれができなかったんだよな。そういうのが子供心にすげえ嫌でさ。トーチャン居ると貧乏だし、カーチャン殴るし、もうなんていうか、不幸なんよね。でもさ、それっておれのせいじゃないわけで、気にしてもしょうがないし。せめて同じ遺伝子持ってても、あんなやつになんねえぞ、と思うしかないわけで」
黙るしかない幾久に、栄人は足を止め、振り返った。
「変な話しちゃったなあ。ごめんね」
「こっちこそ、すいません」
もうちょっと気を使えればよかったのに。そう思う幾久に、栄人がくしゃっと笑って言った。
「あのさ、おれらって、寮、なわけじゃん?」
「はい」
歩こう、と栄人が幾久を隣に誘う。幾久は栄人の隣で歩き始めた。
「寮ともなるとさ、当然だけど一緒に居る時間、長いわけじゃん?そうすると話もするし、互いの家庭っていうの?そういうのもやっぱ、言うし、言わなくても見えてきたりするわけよ。で、やっぱり衝突も多いわけ。いっくんとガタが喧嘩したとき、おれら動揺してなかったろ?」
そういえば、と幾久は思い出す。
突然山縣に、幾久が喧嘩を売ったようなものなのに、全員止めるどころかむしろ喧嘩を助長させるような事ばかりやっていた。
「ああいうの、ほかは知らないけど御門じゃよくあったんだよ。まあ、ガチの喧嘩で結局収まらずに出て行った奴もいるけど。あ、雪ちゃんはマジで世話役で出てっただけだから」
「はい」
「特に御門はなんていうか……けっこう性格が濃い奴も居たりするんだよな。つまりまあ、そういう家庭環境だからそうなった、っていうのも当然あるわけで。だから、そういうのはみんな慣れてるし、話聞いたり聞かれたりしても気を使われるとかえってしんどいっつうか。なんつうか、困る」
「……はい」
そうだろうな、と幾久も思う。今日居た桂たちは、入学式にいきなり『転校したい』とか親に言う幾久を見てびっくりした事だろう。だから別れるとき、『気にすんな』と言われて嬉しかったのだと気付く。
(オレ、ほんっと子供じゃん)
山縣に馬鹿にされてもしょうがないかもしれない。
高校生でこんな子供とか、ないわ、と思う。
「丁度良いから先に言っとくけど、高杉とかけっこう複雑だし、久坂に至ってはもうヘヴィーな一言だからさ。もしそういうのを聞いても、気にしないで欲しいんだよね」
「難しいっす」
気を使うな、と言われても使わなければまた子供くさいことをやらかすのではないのかと心配になってしまう。
「うーん、つまりさ。例えばいっくんがおれと話してる時に、トーチャンの話になるとするじゃん?そういう時に『あ、ヤバイ』って話を反らされたり、変えられたりするほうがなんか嫌っていうか。逆にそのまま話をしてくれた方が、ああトーチャンってそうなんだ、って素直に聞けるんだよな。特におれは、ろくでもないトーチャンしか知らないから、ちゃんとしたトーチャンがどんな風なのか知りたいってのもあるし」
そういうものなのか、と幾久は感心する。
「オレはそんな風に考えられないっす。こいつ自慢かよって思うかもれないし」
「あはは。いっくん素直」
「つか、栄人先輩のほうが凄いっす。オレ、母親がけっこう勉強にはうるさいし、ヒステリーおこすんですけど、もしそういうんじゃない、優しい母親の話とか聞いたら、すげえ羨ましいだろうし、自慢かって絶対に思うのに」
「だよねえ」
御門寮の前につき、栄人が門の横から入る。幾久も後からついていく。敷地内の寮までの道を歩きながら、栄人は言う。
「例えばさ、いっくんがトーチャンを自慢に思ってるとするじゃない?」
「はい」
「で、それをろくなトーチャンのいないおれにさ、羨ましがらせようとか、わざわざ『立派なトーチャンがどういうものか教えてやるよ』とかっていう気持ちで話すってありえる?」
「ないです。ありえないです。つか、失礼だし最低じゃないっすか」
「でしょ?だからいいんだよ。そういうのが判ってるいっくんだから、おれはいっくんのトーチャンの話ならそのまま聞けるし、そういうのが父親なのかあって勉強になるからさあ。だから、気にせずにいていいんだって」
それに、と栄人は言う。
「おれ、いっくんの言う最低で失礼なことをやらかしたことあるからさ。実際、されても文句言えないんだなこれが」
はは、と力なく笑う栄人に、え、と幾久は驚くが、それ以上なにも聞けなかった。
制服を脱ぎ、私服に着換えた。寮に戻るとすでに高杉も久坂も出先から戻っていて、居間でだらだらとしている所だった。幾久が戻ったのを知ると、高杉と久坂は二人でお茶の準備を始めた。
「シュークリーム買って来たから、コーヒー入れちゃる。栄人とガタ、呼んできてくれるか?」
「あ、ハイ」
立ち上がって山縣と栄人の部屋へ向かおうとすると、高杉と久坂はぴったりとくっついている。その様子を見て、幾久はもごもごと口を動かしてしまう。
(やっぱり、つか、あれでなんで気付かないんだろう、ハル先輩)
いくらなんでもおかしいと思うレベルの密着っぷりだったり、べたべたとしたスキンシップだったり、とにかく気付かない高杉がどうにかしているとしか思えない。しかし高杉は全く気にしていないようだし、久坂も気にせずに高杉の傍に居る。ばちっと久坂と目があった。やっべ、と思う幾久に、久坂がすばらしく美しく、素敵で、しかし目はちっとも笑っていないという表情で微笑んだ。怖い。
(うわああああ、こっぇええよぉおお)
怖い。とにかく怖い。久坂が怖い。逃げるように廊下を走り、山縣の部屋へ向かう前で足を止めた。
(そういや、ガタ先輩とか、栄人先輩は気付いてるの、か?)
久坂は『高杉は気付いていない』と幾久に告げた。
他の二人が気付いてない、とはこれぽっちも言ってない。ということは。
(そうだよ!なんで今まで気付かないんだオレ!)
あんなにあからさまにべったべったしていて、どうして山縣も栄人も何も言わないんだとか考えたこともなかった。とにかく久坂単体が怖くて怖くて仕方なくて、他の目がどうとか気付きもしなかった。
「いっくん?」
「うわぁああああはぁははあああああい」
「なに変な声出してんだよもー」
「えいと先輩……」
ああもう、びっくりした、というか心底驚いた。着換えた栄人が部屋に戻るところだったらしい。
「あの、ハル先輩がシュークリーム買って来たからコーヒー入れるから、って」
動揺のあまり変な言葉になったが、栄人には充分通じたらしい。
「え、じゃああの店のシュークリーム買って来たんだ。やった。じゃガタも」
「あの!」
気になっていることは今聞くしかない。でないと多分、絶対に機会を逃してしまう。三ヶ月、我慢しているのもできないことはないが、正直、絶対に、したくない。
「なに?いっくん」
どっく、どっく、と幾久の心臓の音がやけに大きく響きだす。
「あの、あの、これ、あの、マジな質問、なんすけど」
「?うん?なに?」
「えと……あの……すごいデリケートな問題で、オレ、ぶっちゃけ言っていいのか悪いのかマジでわかんないんですけど、でもどうしても気になってどうしようもないっていうか」
「いっくん落ち着いて。ほら、深呼吸。吐いてー、吸ってー、吐いてー、そうそう」
深呼吸して、やっと少し落ち着いても、心臓の音はどっどっどっどと脈打っている。
「落ち着いた?」
栄人の言葉にこくんと頷くが、正直そこまで落ち着いていない。だけど今の勢いでしかきっと聞けない。
そう思って、幾久は意を決して栄人に尋ねた。
「あの!久坂先輩とハル先輩って、あの、つまりは、その、つまり久坂先輩はハル先輩の事を、つまり友情以上の」
「ちょちょ、いっくん、マジ落ち着いてって。なに言ってるか意味がよく……」
「ぶっちゃけ、久坂先輩ってガチホモなんですか?ハル先輩に対して!」
一瞬の間の後。
栄人がぶはーっと噴出して爆笑した。
「わ、笑い事じゃないっすよ!」
「や、充分笑い事なんだけど!や、確かにあいつらできてるって言われてるけどさあ、んなことないない、つかありえないって!なんでそんな事に」
「おい、いま聞き捨てならねえこと言ってたな」
トイレにでも行っていたのだろうか、山縣が栄人の後ろに居る。
「あ、丁度よかったガタ。ハルと瑞祥がシュークリーム……」
「いい機会だから教えてやろう、一年生」
じろり、と山縣が幾久を睨み付ける。
「お前がなにをどう思おうが、絶対にこれだけは覚えておくがいい。いいか」
真剣な山縣の表情と言葉に、幾久はごっくんと唾を飲み込む。
「高杉は俺の嫁だ!」
そう山縣が叫んだ途端、がすっという音がして、山縣が派手に正面から倒れた。
山縣の後ろには鬼の形相の高杉が立っていて、しかも足が片方浮いている。
山縣が後ろから思い切り蹴っ飛ばされて倒れたのだと気付いて幾久は青ざめる。
「なに馬鹿をゆっちょんじゃあガタ。ええかげんにせえよ」
声が怖い。
「まあまあ、だからガタもそういうスラングやめろって言ってんじゃん。ほら、ハルも足下ろして下ろして。いっくんがどん引きしてるじゃん」
栄人のフォローもむなしく、高杉は不機嫌そうにジャージのポケットに手をつっこんだまま、じろりと幾久を睨み付ける。
「幾久」
「うわっ、ははははい!」
「お前、それ、誰に聞いた?」
誰に聞いたって。ってことはハル先輩は気付いてて、そんでもって、久坂先輩はその事に気付いてなくて?
え?じゃあ二人とも両想いのガチホモ?
ぐるぐると考えていると、高杉が再び問う。
「幾久。誰に聞いたんだ」
言うなと久坂には脅されたが、目の前の高杉に逆らう勇気などとてもない。
(ああ……なんて間が悪い上に運が悪いんだおれの馬鹿……久坂先輩に締められる……絶対にもう終わりだ……父さん、おれ、ひょっとしたらもうすぐに転校する羽目になりそう……)
「いーくーひーさー」
「すいませんっ!久坂先輩にっ」
「は?」
本当にすみませんでした久坂先輩。もう限界です。
そう心の中で謝ってから、幾久は告げた。
「久坂先輩が、『言うなって』」
「……何をだ」
うわああああハル先輩がマジ切れしてるよおおお。
べそをかきたい気持ちを堪えて、というかもうすでに半泣き状態で幾久は喋った。
「えと、あの。おれがガタ先輩と喧嘩して、皆が一緒に寝たじゃないっすか、初日の夜」
「おお」
「で、夜中にトイレ行こうと思って目をさましたら、久坂先輩がハル先輩に、その、キス、してて」
「はぁ?」
高杉はすっとんきょうな声を上げたが、栄人はぶはあっと噴出していた。
「で、あの、おれが気付いた事に、久坂先輩も気付いてて、それで」
「それでどうした」
益々高杉の機嫌が悪くなる。最早背後に不動明王のように炎でも見えそうだ。
「く、久坂先輩が、『しっ』って内緒にしててポーズとって」
「それから」
「そ、そんで次の日に、久坂先輩に、『高杉は何も知らないから黙っててね』って脅され……」
ぎろっと高杉の目が幾久をにらみつけた。もう駄目だ、怖すぎる、と幾久が思わず「すみませ……っ」と頭を抱えた瞬間、御門寮にすさまじい声が響いた。
「ずいしょおおおおおおおおおおおお!!!」
さっきまで目の前にいた高杉はすさまじい足音と共に居間へと向かい、そして暫くすると居間の方から、これ以上ないくらいの久坂の馬鹿笑いと、がっしゃーん、という派手な音が響いてきた。