合縁奇縁

(6) 百千鳥(ももちどり)

講堂は古かった。というか、アンティークとでもいうのだろうか。木造だけど立派なつくりで、天井も高く大きい。
以前観光で行った神戸の外国人居留地の、あの家のでかいバージョンみたいだなと思いながら中に入り、そこで幾久は仰天する。
「へっ?」
驚きすぎてへんな声が出てしまい、慌てて口を閉じる。まだ式の始まらない講堂内はざわついているが、その原因は絶対にこの様子に違いない。
(一体なんなんだよ、この学校は!)
講堂自体は、別におかしくない。ただの、こう、明治な雰囲気のある、木造で、アンティークな、お洒落な建物だ。中はモダンというのか、和洋折衷で、それも別にいい。しかし。しかしだ。
(入学式って、普通椅子じゃねえの?!)
幾久が驚くのも無理はない。講堂はまるで広い大きな寺のように、どーんと一面が畳敷きで、しかもそこに敷いてあったのは座布団だった。新入生はざわつきながらも、座布団をあまり踏まないように歩き、指定された場所に座っている。
場所はクラスごとに分けてあり、その中で更に寮でわけてあるらしかった。正面に落語の時に見るような演目の書いてあるものがあり、そこに寮の順番が書いてある。幾久の鳩クラスは『報国』や『恭王』などがあり、一番最後が幾久の『御門』だった。
(出席番号、とかじゃないんだ)
一番最後なら、どこに座ったほうが、とか考える必要はない。何も考えずに鳩の一番後ろに座ってればいいや、と幾久は一番後ろの座布団に座った。
式が始まるまで、あと十五分程度ある。知り合いは誰もいないし、暇だ。さっき貰った紙袋の中にあった校内図やパンフレットを見ていると、声をかけられた。
「隣、大丈夫?」
顔を上げると、そこにはちょっと太め、というか、いかにも柔道やってます、みたいながっしりとした体型の子が居た。
「あ、大丈夫っす」
「アリガト」
にこにこと笑って幾久の隣に座る。
まだ時間があるからなのか、胡坐をかいていた。
(どこの寮なんだろ?)
聞いてみようかな、と思っていると、幾久の隣に座った人が逆に尋ねてきた。
「御門?」
そう尋ねられ、うん、と幾久は頷いた。
「御門なのに、鳩なんてめずらしいのな」
「それ、寮でも言われた」
「だろうな。普通は鳳だ」
「みたいだね」
答えていると、相手が手を伸ばしてきた。握手を求めている、と判って慌てて手を伸ばした。
「俺、伊藤俊文。よろしくな」
「あ、よろしく。乃木です」
「ノギイクヒサ、だろ?」
「え?知ってるんですか?」
幾久の問いに、伊藤は頷いた。
「有名だもんな」
有名、と言われてどきっとする。どういう意味で、なのだろうか。表情をこわばらせていると、伊藤が勝手に喋りだした。
「お前、御門っていいよな。俺も御門に入りたかったけど、鳳じゃないからダメって言われてさあ」
「え?そうなの?」
入りたいなんて意外だ、と幾久は思った。
あんな寮らしくない寮なのに。
「鳩でも入れるなら、俺も御門いきてえ」
「あんまいいもんじゃない、と思うけど」
なんたって先輩達がちょっとかなりアレすぎる。
おまけに部屋がいまだに決まってなくて夜は皆で雑魚寝だし。しかし伊藤は言う。
「えー?いいじゃん、だってハル先輩いるんだし」
「え?ハル先輩の事知ってんの?」
「なんでお前、ハル先輩とか呼んでんだよ」
いきなりすごまれ、幾久はびっくりして思わず後ずさる。
「なんでって、だってそう呼べってハル先輩が」
おれは悪くないぞ、と幾久は思う。そもそも本人が強制したのだから、凄まれる筋合いはないはずだ。
と、伊藤の表情が急に温和になった。
「あ、そーなの。じゃ別にいいか」
どうも伊藤は高杉の事を尊敬?しているらしい。
どんな関係なのだろうか、と尋ねようか迷っていると伊藤が自分で説明した。
「ハル先輩は俺の習い事の先輩。俺、ハル先輩の事すっげえリスペクトしてるからさあ」
「へー」
これも意外だ、と幾久は思った。線が細い高杉と、全身から体育会系の雰囲気を出している、ガチムチな伊藤では随分とタイプが違う気がする。
「へーって、お前、ハル先輩のすごさが判んねーの?あんなにすごいのに!」
「なにがどうすごいとか、二三日じゃ判らない」
正直に言うと、伊藤は、うん、まあ、そっか、と納得した様だ。悪気はないのかもしれないが、単純なのかな?と幾久は思う。
「まあそのうち判るって。ハル先輩はほんっとすごいんだからな」
「そ、そう」
よくわからないが反論しても面倒そうだし、と幾久は適当に合わせておく。
「そういえば、伊藤君は寮、どこなの」
「トシでいいって」
随分と親しげだな、と思ったが「みんなそう呼ぶから」との言葉で、その方がいいのか、と納得した。
「トシはどこの寮?」
「俺?俺は報国」
「えー?そっちのほうがいいじゃん!おれ、報国寮が良かったんだよね!」
「えー?だってフツーじゃん。殆どが千鳥の奴ばっかだしさあ、つまんねえよ」
千鳥、はこの学校でも一番下のランクのクラスのはずだ。
しかしその分、人数は多く、そのために入学式も午前中に先に終わったと聞いたが。
「千鳥って、そういえばそのクラスの人だけ御門にいないんだよね」
幾久が言うと、伊藤がぶはっと噴出した。
「おっめ、面白いこと言うんだな」
「なにが」
少しむっとして言うと、伊藤が「本当になにも知らねえのな」と楽しそうに説明してくれた。
「御門って、本来あれだ、エリートしか入れない寮だぞ。つか、鳳クラスしかいねえっていう感じなのが普通なんだよ」
「でも、三年生に鷹の人も居るし、おれ、鳩だし」
三年の山縣は鷹、つまり鳳の次のクラスだったはず。
幾久は更にその下の鳩。確かに二年生の三人、高杉、久坂、栄人は鳳だが。
「だから、そっちのが珍しいんだって。御門で鷹つったって、鷹落ちだろ?」
「鷹落ち?」
なんだそれ、と首を傾げていると、得意げに伊藤が言う。
「鳳から鷹に落ちるのを、鷹落ちって言うんだと」
「へー、そうなんだ」
いろんな言い方があるもんだな、と感心する。
じゃあ山縣は鳳クラスから、鷹に落ちたということだろうか。
「千鳥って、ほんっと、どーしようもねえ馬鹿ばっかりだぞ。そんな奴ら鳳と一緒にしてたって、互いにいいことねえよ」
「ひどいこと言うなあ」
そこまで言わなくても、と幾久は思うが伊藤は言う。
「ちっともひどくねーよ。名前書けりゃ合格とか、絶対にやべえに決まってんじゃん。やべえくらい頭悪いとか、やべえくらい勉強する気ねえとか。まあこの前までの俺の事だけど」
そういえば、と幾久は思い出す。高杉も、この学校のOBの父も、『名前を書いただけで入れるのは千鳥だけ』と言っていた。
幾久が試験を受けた日も、幾久以外の全員が名前を書くだけで試験を終わらせていた。
(ってことは、あの人ら全員、千鳥ってことか)
「俺もさー、最初は千鳥でいっかーとか思ってたんだけど、ハル先輩から『千鳥から鳳はまず登れない』って言われてすんげー焦って、そんで馬鹿なのに無理矢理勉強してさ、なんとか鳩にもぐりこめたって訳」
「千鳥から鳳って、そんな無理、なの」
確かに最低のクラスから最高に上がるのはかなり難しいとは思うが。伊藤が顔を上げて言う。
「無理無理無理!絶対に無理っていうくらい無理なんだと」
「そんなにいないの?」
「そんなに。まあ確かに話聞いたらそうなんだよな。名前書けばいいレベルから一気に市内トップクラスとか、相当勉強するか、もしくは元々、頭良くないと無理だろ」
市内トップ、というのがまた幾久には判りにくい。
東京に居た幾久にはその凄さが判らないからだ。
(全国模試でどんくらい、とか判ったらいいのに)
「入学して千鳥だったら、最初から遅れをとるから、もし鳳に来る気があるなら最低でも鳩に入れってハル先輩に言われて、勉強見てもらったりした」
「怖そう」
入試の日、いきなり蹴られたことを思い出してぼそっと言うと、伊藤が「わかるか?」と食いついてきた。
「ああ、うん、ワカル。ハル先輩、ちょっと怖い所あるよ」
いい人とは思うけど、と言うと伊藤も頷く。
「そうなんだよ!いい人なんだけどこえーんだ!なんかすっげ迫力あるし、目ヂカラもすげーじゃん!睨まれてるみたいだし」
「まあ、確かに」
高杉の目は切れ長なので、確かに冷たそうな印象はある。
「勉強もすっげえスパルタだし。お陰で鳩に入れたからそれは良かったけど」
「鳩と千鳥ってそんなに違うんだ」
「俺がハル先輩に聞いたのは、『千鳥の一年は中学のおさらいだから、一年の最初で千鳥の時点でもう手遅れ』だって。高校の勉強は鳩からでないとやんないって」
「はぁ?そんなレベル?」
驚いて尋ねると伊藤が頷く。
「だから千鳥はやべーんだって。俺もだからすげーがんばった。鳳は無理かもしんねえけど、三年で一回くらい、鳳になりてえ。略綬欲しいし、ネクタイしてえし」
「略綬?」
制服を着た時に栄人も同じ事を言っていた。確か、『がんばったで賞』のバッヂだとかなんとか。
伊藤が幾久のジャケットの胸部分を指していう。
「ここにさ、あんじゃん。学年とか寮とかの。お前がここにつけてるやつ。これが略綬」
校章の下に並べてつけてあるバッヂの事のようだ。
「自衛隊とか、軍隊とか、いちいちでっかい勲章つけらんない場合につけるのと同じで、報国院も生徒に全部この略綬つけさせてんの。おれらがつけてるのが、一年の鳩の略綬、あと寮のな。お前とは寮が違うから、これは違うだろ?」
「本当だ」
言われて気付く。確かに伊藤の胸のバッヂはひとつは幾久と同じだが、寮の部分はデザインが違う。
「御門に入ったのはお前一人だから、一年ではお前しかそれ、つけてねえぞ」
いいなあ、と伊藤はまた言う。
「俺も学期終わりには希望出すけど、鳳じゃないと無理だろうなあ」
「そんなに入りたいんだ」
「入りてえよ。つか、俺、ハル先輩と一緒がよくてここ選んだし」
すごい好かれてるんだなあ、と感心する。
(そういや久坂先輩も、だっけ)
夜に高杉にキスをしていたのを思い出し、幾久はげんなりする。高杉って男にモテるタイプなんだろうか。
「本当はフェニックスとかなってみてえけど、絶対に無理だし」
「フェニックス?」
「あ、千鳥からいきなり鳳に行くとな、フェニックス、って言う名称がつくんだと。フェニックスなんとか、みたいな」
「嬉しくないね」
最低クラスから最高クラスに移動なのに、その茶化したような名称はないだろ、と思う。
「でもすげえよ、まずそんな奴いねえし。俺が聞いたのも、十年前くらいで、以来フェニックス、出てないっていうし」
「フェニックスが出たとか」
変な表現、と幾久が笑っていると、放送のスイッチが入り、がさがざとマイクの音がした。
「始まるみたい」
「だな」
伊藤と話している間に、いつの間にか人は揃っていたらしい。講堂内は新入生だらけで、もう座布団が見えない状態だ。父兄は新入生の後ろに立っている。
(立たされるんだ)
びっくりしたのが、本当に父兄が殆ど男、つまり父親で占められていたことだ。
中には高校生の父親にしては若すぎる人や、どう見てもおじいちゃんでしょ、という年齢の人も居た。
父兄が立つか座るかは自由らしく、けっこうフリーダムな感じだ。
(ほんと変なの)
そして来賓席を見て、あれ、と思う。どこかで見たことのある人が座っている。
「一同、正座」
マイクから聞こえた声に、新入生があわてて正座する。しゃん、と背筋を伸ばし、正面を見据えた。
そして入学式が始まった、のだが。
幾久はまた、ここでこの学校に何度も驚く事になった。




入学式が終わり、幾久は意気消沈、というより打ちひしがれていた。変だ変だとは思っていたが、やっぱり変な学校だった。厳粛なのは確かに厳粛だが、途中でちょいちょいはさまれるネタが地味に辛かった。
いい話もあったけれど、「おいおい、そりゃひでえ」みたいなネタもあった。そしてなにより驚いたのが、来賓席のお偉方だった。
幾久が見たことがある、と思ったのも当然だ。
来賓に居たのは、前総理大臣と、前々官房長官と、おまけに海上保安庁のお偉いさん、とにかく凄いメンバーだった。知らない人も県知事だったりなんだりとなんだかとにかく凄かった。
「県知事はともかく、なんで地方の高校にあんな偉い人が来るんだよ。ここ、防衛大学でもないのに」
そう驚く幾久に、伊藤が言った。
「全部ここのOBだからだろ?」
「ええ?そうなの?!」
「そうらしいぜー。大学は東京だけど、高校はここ出身だって」
そういえば父もそうだった、と幾久は今更思い出す。
「カメラも入ってたから、ニュースにも出るだろ。ローカルで毎年やってるし。ま、映るのはどうせ鳳だろうけどな」
地方とはいえ、そういう学校なのか、と幾久は驚く。
「それより弁当取りにいこうぜ。えーと、乃木?」
「幾久、でいいよ」
伊藤がトシ、と呼べというのに自分だけ苗字もな、と幾久は思う。それに少ないやり取りの中でも、幾久は伊藤の事が少し好きになっていた。おしゃべりだが、人当たりもいいし、悪い雰囲気もない。体がしっかりして大きいせいか、余裕みたいなものもある。いつか転校するつもりとはいえ、暫くは同じクラスな訳だし、仲良くやれたらいいな、と思ったのだ。
「じゃー幾久、学食行こうぜ」
「ん」
携帯の電源をオンにすると、すでに栄人からメールが入っていた。
『いっくんのおべんとゲットしてるよ!安心して来てね!』
「メール?」
「ん。先輩が弁当とってくれてるみたい」
「じゃ、俺は自分のゲットしよっと。一緒に食うだろ?」
「多分」
その場で食べるのか、持って帰るのかは知らないけれど、学食に行けば判ることだ。
幾久は伊藤とおしゃべりをしながら学食へと向かった。


仮入学の時に来た学食は、やはりけっこう一杯だった。伊藤は弁当を受け取り、幾久は栄人を探し、仮入学の時に座った席あたりに向かう。
「あ、いたいた。いっくん、ここ、ここ」
栄人はすでに席に座っていたが、いくつかのテーブルをくっつけて、他にも数名の人と喋っていた。
「あれ?トシじゃん。なに?早速なかよし?」
「知ってるんすか?」
驚く幾久に、栄人は頷く。
「高杉のシンパだから。つか、このへんの連中はだいたい昔からのなじみだし。そっか、そういやトシは鳩だっけ」
「そうっす。なんとか」
「良かったなあ間に合って。絶対に千鳥と思ってたけど」
「つかやっぱ高杉すげえ。馬鹿トシをよく鳩にぶちこめたな」
「あいつ、こういうの上手いよなあ。教師向いてんじゃねえの?」
感心している面々は、多分栄人の友人なのだろう。
「あ、紹介しとくね。これがうちのいっくんです!乃木幾久!乃木大将のお孫さんだよ!」
「お孫さん、ではないっす……」
お孫さんのお孫さんとか、そのくらいじゃないかな、と思う。栄人の友人らしい人たちは、おお、とどよめいた。
「乃木さんとかすごいな。お帰り」
お帰り、と言われて幾久は戸惑うが、その人は手を伸ばしてきた。ぎゅっと握手をする。手が大きく暖かい。そしてまたこの人もイケメンだった。瑞祥とは違うタイプで、整ってはいるけれど、どちからといえば男ウケしそうな、精悍なタイプだ。
「俺は桂。桂雪充。三年、恭王寮。よろしく、いっくん」
「雪ちゃんはね、この前まで御門に居たんだよ」
栄人の言葉に幾久が驚く。
「そうなんすか?」
「うん、でも恭王の世話役頼まれて、引越ししたの。寂しいよね」
「御門はほんっと、自由だったのになあ。一応、戻れるように届けは出すけど」
難しいかもなあ、と桂は言う。
「せめて卒業は御門からしたいんだけど」
「難しいかもねー」
がやがやと喋っていると、一年生らしい子が、お盆にお茶を入れたグラスを沢山載せて戻って来た。
「お、悪いねタマちゃん」
「ありがとー」
タマちゃん、と呼ばれた一年生を幾久は見る。背はそんなに高くない。幾久と同じくらいだろう。
目が大きいので愛嬌があるように見える。
「丁度良かった。こいつ、児玉ってえの。一年の恭王寮。タマちゃん、こいつがいっくん」
「乃木幾久です」
「児玉です、よろしく」
にこ、と微笑んでいる。大人しそうな人だな、と幾久は感じた。
それからも互いに紹介をしたが、一年生は伊藤、児玉、幾久の三人だけで、あとは二年と三年だけだった。
互いに仲がいいらしく、いろいろ喋っている。内容は寮の事や知り合いの話、あとは一年生の話題もあった。
「なーいっくん、御門って寮らしくないだろ?」
桂の問いに、栄人が答える。
「んなのまだわかんないよ。入って数日なのにさ」
「つか、今のメンバーが濃いスギだろ。いっくん、大丈夫?さすがの俺も不安になるレベル」
「そのうち慣れるって。それにいっくんなら大丈夫。すでにガタを倒したし」
ぎょっとする幾久だが、他の面々は楽しそうだ。
「そうそう、さっき聞いてめちゃくちゃ笑ったわ。ガタ相変わらずだよな」
「でもいっくんいい子だから、無視とかしないんだよ。ガタ、かなり気を使ってるよ、アレでも」
「ガタがゲームを一瞬でも手放すとか、すげえな」
なにがどう凄いのかは判らないが、あまりそのことは言わないで欲しいな、と思う。だが桂も栄人も、他の面々も楽しそうだ。
「いっくんさあ、御門飽きたら恭王においでよ。うちなら一年生他にもいるし。ね、タマ」
「ダメダメ!いっくんはうちの大事な一人息子なんです!御門から一年生がいなくなっちゃうじゃん!」
息子ってなんなんだ、と思ったが面倒なのでつっこまないでおく。
「一人ってのもなあ。なんでほかに入れなかったんだろうな?」
桂の問いに、栄人が答える。
「人数が他の寮で丁度良かったんじゃない?おれらだってギリッギリまで一年は今年入らないって聞いてたし」
「いっくんはイレギュラーってことか」
そう言われてドキッとする。確かに自分はイレギュラーな存在だからだ。
「おれは嬉しかったけどね。後輩やっぱ欲しいし」
それより弁当食おーぜ、と栄人が弁当を開ける。
「そうだ、忘れてた。飯食お、飯」
「タマちゃんがお茶もってきてくれたんだろ?ありがとうねー」
にこにこと栄人が言うと、児玉がいいえ、とにこっと笑う。可愛がられるタイプなんだな、と感じる。
それから全員、学食で弁当を食べた。弁当は味付けが薄めだったけどけっこう美味しい。
(ほんと田舎って、食べ物うまいって聞くけどマジなんだなあ)
ここに来てから食事は一度も外していない。素材がいいのだろうと思う。
「あ、そうそう、そんでさ、今度御門と、恭王と、もしほかも居たらみんなで花見しようって話してんだけど。いっくんもここ何年も花見してないって言ってたし丁度いいかなって。な?」
栄人が言うと、他の上級生達が賛同する。
「いいね花見。いつする?」
「明日が月曜で代休だろ?明後日の火曜日は始業式で午前中だし……火曜日にすっか。火曜日の午後。どうせまた弁当だろ?」
今日は日曜日だが、明日の月曜日は代休になっている。火曜日は始業式で、その午後は休みだ。
「また弁当出るんすか?」
幾久の問いに、栄人も桂も出る出る、と答える。
「来週、つか、もう今週か。は、午前中で終わり。殆ど校内の案内とか部活の紹介とか、そんなんばっか。だから大体その週は弁当よ」
「自己責任だけど、もって帰ってもいいわけだから、弁当そのまま持って花見するってわけ」
どこで花見をするか、あの寺が、いやいやあっちのほうが、と上級生達は喋り始める。
今日、来る時に通りの桜が綺麗に咲いていて、まともに花を見たのはいつ以来だろうと考えて、思い出せなかった。子供の頃は造幣局の桜を見たこともあるのに。
いつからか、母がお受験にのめりこみ、将来の為と言うのをそのまま受け入れて、そういうものかと思っていた。
大学受験なんか才能とかそういうものじゃない。結局は作業の勉強で、作業効率のいい奴が受かるシステムだと幾久は思っている。とにかく早く東京に戻るか、もしくはそれに近いレベルの高校で大学受験の準備をしなければ追いつけなくなる。
(そうだ。父さんに言わないと)
この学校を転校して、他の学校に行きたいという希望だけでも伝えておかなければ。
(弁当食ったら、父さんを探そう)
父は同窓会のようなものがあると言っていたので、入学式の後、友人と会うはずだ。それが終わったら、ちょっとくらいは会えるだろう。
弁当をもそもそと食べながら、幾久が考えている横で、栄人や桂は楽しそうに花見の話をしている。
入寮した時はいろいろ頭にくることもあったけれど、学校の雰囲気も悪くないし、同級生の伊藤もいい奴っぽい。同じクラスなら、友人になれるかもしれない。それに、ここでは『無能な乃木の子孫』を言われないのかもしれない。言われたとしても、こんな風に嬉しそうに『乃木さんかあ』と言う人が居るならいろいろがんばれそうな気がする。
はっと気付き、幾久は頭を横に振る。
(いやいや、頑張らなくていいんだって、オレ!)
どうせ転校するんだから無駄な頑張りなんかしたって面倒なだけだ。いい人っていったって入学式から悪い人ばっかりなんて逆にまずすぎるし。
(絶対に、なんか、こう、絆されてる、そう、絆されてんだよ)
乃木希典の子孫というだけで馬鹿にされた環境から、全く逆に来てしまったから、ちやほやされていい気になっているだけだ。
そんなんじゃない。自分はただ子孫だというだけでなにかをしたわけでもないし、その人の歴史もろくに知らない。きっとここに居る面々のほうが『乃木さん』には詳しいのだろう。
(どうして、父さんも母さんも教えてくれなかったのかな)
威張るような事でもないけれど、隠すようなことでもないはずだ。あまり父と話をしなかったのも悪かったのかもしれない。
少しずつでもいいから、父に詳しく聞いてみようか。
それにこの後、どうせ会わなけりゃいけないんだし。
皆が喋っている間に幾久は弁当を食べ終わったので、すみませんと断ってから父にメールを打ってみた。
『ちょっと話があるんだけど、いまどこ?』
父からのメールはすぐに戻って来た。しかし。
「はぁ?」
驚いて声が出たのは、父らしくないメールだったからだ。
「どうしたの?いっくん」
声を上げた幾久に栄人が尋ねる。
「いや、父さんのメールがちょっと、つか、かなり変でどうしたのかと……」
「なに?見せて見せて。見ていい?」
身を乗り出す栄人に、幾久は父からのメールを見せた。
『やっほおいっくん!ぱぱはねえ、まだこうどうにいるんだよぉ!キラッ☆』
なんかへんな顔文字まで入っている。え?どうしたの父さん、一体何が。動揺する幾久の後ろから栄人が聞いた。
「……いっくんのパパってテンション高いんだね」
「いやいやいや。こんなのおかしいッス。こんなメール父さんが打つはずないっすよ」
「講堂にいるんだろ?じゃあOBの同窓会状態だから変なテンションになってるのかも。それか誰かが勝手に打ったか」
桂が言うと妙な説得力がある。落ち着きがあるように見えるのは、声が低めのせいだろう。
「でも会っても無駄じゃない?毎年入学式後の講堂って手がつけられないし」
「手がつけられない?」
どういう意味なのだろうか、と首を傾げる幾久に、桂と栄人は顔を見合わせる。
「見たほうが早いよ。一緒に講堂行こうか」
桂に言われ、幾久は頷く。
一体、講堂はどうなっているのだろうか。