夏虫疑氷

(1)夏虫疑氷

報国院高校のある、城下町報国町にも夏が来た。
山の緑がうっそうと生い茂り、蝉がにぎやかに歌い始め、日差しは強く、まぶしくて目をあけていられないほどだ。
向かいからは海峡の海風、背後からは湿気を含んだ山風が吹くおかげでこの町は、市内の別の町に比べて随分と過ごしやすい。
城下町の中を走る川の水源は背後にある山で、そこから流れる山水が、古くから豊かな城下町を作り上げた要因でもあった。
白い石畳の道は城下町の奥から川と併走しているようにも見える。
道の二メートルばかり下を道沿いに川がうねり、透明で美しい山水を運ぶ。
川は蛇行した所々で小さな浜を作っており、そこは子供達といつのまにか住み着いた鴨たちの休憩場所となっていた。
深さ自体はたいしたこともなく、町中では一番深い場所でもせいぜい子供の腿まで程度しかない。
台風や大雨で増水しない限り、溺れるほうが難しい。
そんな環境なので、川と道の境目になっているちいさな石垣の上にランドセルを置き、昔使われていた水路のための階段を下りて川遊びをするのが、このあたりの小学生のお約束だ。
自然の魚はもちろんの事、山と海が近く蟹もすんでいて、美観に力を入れる町内では錦鯉も定期的に放されていた。
川沿いには桜や楓といった街路樹が並べて植えてあるので影も多く、抜ける風も涼やかだ。

―――――つまり、環境はとても過ごしやすいものであっても、自然がそこらにあるということは当然蝉の数も多いわけで。

みーんみんみんみん、じわじわじわじわ。
しゃわしゃわしゃわしゃわ、ジージージージージ。

電気店の電話が全て鳴り響いても、これほどうるさくはないだろう。
この時期、報国町の中は様々な蝉の声がそれはもう一気に、わんわんと町中にやかましく響く。
木々が多く植わっている神社の中にある、報国院高校も当然同じで、毎日やかましい蝉の鳴く中、生徒達は数日前まで前期の期末試験に追われていた。
前期の期末が終わりさえすれば、あとは夏休みを待つばかり。そんな中、生徒がだらけてしまうのは仕方のない事だろう。
試験が終わって数日は、授業は少し早めに終わる。
先生達の試験の処理があるとかで、授業はどのクラスも午前中で終了となる。
食事を終えれば当然それぞれ自分の寮へ戻る。
夏の昼間、一番日差しが暑いだろうそんな時間に、三人の高校生が出来るだけ木陰を選びながら、学校の敷地内を歩いていた。
「あついのう」
そう呟いたのは、報国院高校、二年鳳クラスの高杉だ。殆ど坊主に近いベリーショートだから、直射日光が頭に当たって暑いのだろう。スポーツタオルを風呂上りのように頭から被っている。
「ほんと、あっついね」
そう言って手で顎からの汗を拭ったのは高杉と同じく、二年鳳クラスの久坂。
高杉とは無二の親友だ。
「暑いなら、髪切ったらいいじゃないっすか、久坂先輩」
そう呆れ顔で言ったのは、一年鳩クラスの乃木幾久。
見るからに坊ちゃん然とした、ちょっとくせのある髪にくりくりとした目は眼鏡越しでもよくわかる。
穏やかそうな外見の割りに、寮の先輩の影響で、最近は毒づくことが増えた。
三人とも報国院高校の学生で、同じ御門寮という寮に所属している。
「やだよ、面倒だし。逆に暑いよ。ハル見たらわかんじゃん」
ハル、と言うのは高杉の名前だ。
高杉呼春よぶはるという名前で、親しいものはハル、ハル先輩、と呼ぶ。
「お前は見た目が暑くるしい。図体もでかいしの」
年寄りくさい長州弁で高杉が言うと、言われた久坂がむっとする。
「図体と暑さは関係ないだろ」
ばさっと前髪をかきあげる、その姿はまるでモデルのように決まっている。
百八十を超える長身に、栗色に近いやわらかな質の長めの髪、それが全く嫌味にならないほど整った容姿で、おまけにびっくりするほどの美声。
右の耳にはピアスが三つ、左にひとつ。右の耳たぶについている馬蹄型のピアスは高杉とおそろいだ。
高校生がそんな格好をすると、軽い雰囲気になりそうなのに、整いすぎた容姿が全くそんな風に見せない。
「いや、あるじゃろ。なんたって表面積がでかいんじゃからの、その分熱も多くたくわえちょるはずじゃ」
「だったら熱の放射量も大きいはずだよね、ハルとは違って」
露骨に、自分より小さい(といっても久坂より大きい人なんかそういないのだが)高杉に言うと、高杉は露骨にむっとする。
高杉だって百七十以上あるのだから、そう小さくはないはずだが、久坂と比べられるのは嫌らしい。
「もー、先輩達いい加減にして下さい、余計に暑くなるじゃないっすか」
ぱたぱたと大きなうちわで仰ぎながら、二人に文句を言うのは幾久だ。
この二人は朝から晩まで一緒のくせに、ずっとこの調子なのだ。
突っ込むほうが面倒くさいのだが、放っておくのも鬱陶しくて、つい文句を言ってしまう。
「じゃから今から冷たいものを買いに行くんじゃろうが」
「そうそう、いっくんのおごりでね」
高杉と久坂は、こういうときはやたら息があう。
幾久はため息をついた。
「そりゃ、オゴるって言ったのはオレっすけど」
前期の期末考査が終わり、今は採点を待つばかりの日だが、多分幾久の結果は悪くない。
というのも、この久坂と高杉、今日はアルバイトに行ったので一緒ではない吉田の二年生三人が、幾久にべったりついて家庭教師をやってくれたからだ。
御門寮の二年生三人は、その全員が鳳という、この学校では成績がトップクラスでないと入れない、一番出来のいいクラスに所属している。
幾久は、鳳、鷹、鳩、千鳥と続く中でも「鳩」と呼ばれる、つまりは中間の位置のクラスだ。
本来なら幾久は、エリートが所属するはずの御門寮に入れるはずがないのだが、入学が決まったのがぎりぎりだったせいもあり、なぜか鳩クラスなのに御門寮に所属している。
しかも一年生は幾久たったひとりだ。
といっても、御門寮に所属しているのは、高杉、久坂、吉田の二年生三人と、高杉を心酔するアニメオタクの三年鷹クラス山縣、つまり幾久を含んでもたったの五人だけで、寮と言うよりは親戚の家に厄介になっているという雰囲気だった。
二年生全員が鳳クラスで、しかも久坂と高杉は二年生のツートップを常に奪い合いという状態なので、当然成績はいいのだが、その二人が今回みっちり幾久について勉強を教えていた。
おかげで幾久は自分でいうのもなんだが、絶対にいい成績である自信があった。
自己採点しても問題はなさそうなので、先輩達にお礼を兼ねて、いきつけの和菓子屋のソフトクリームをおごることにしたのだ。
「だから、さっさと行こうって」
「いそげよ幾久」
「なんでそんなに楽しそうなんすか先輩ら」
二人とも金持ちの家の子のはずなのに、やたらおごられるのが嬉しそうだ。
「え、だってやっぱ嬉しいじゃない、後輩からの感謝ってさあ」
「そうじゃぞ。自分で買うのとは全く価値が違うけえの」
そう話しながら、校内の境内をいつもとは違う道から降りてゆく。
神社の境内なので、当然学校の敷地らしい場所を抜ければ一般の人も通る道がある。
広い神社の境内は学校のグラウンド扱いで、ぐるりと神社内を取り囲む土塀は報国院の校門そのものだ。
幾久たちは学校の正門扱いになっている、正面鳥居の門からいつもは出ているのだが、今日は商店街のある別の方向の門から学校を出た。
奥手にある商店街へ抜ける道は正面の鳥居ほどではないが、ちゃんとした石造りの鳥居があり、天気が良ければ小高い神社の敷地から海も見える。
石畳の階段を降りていけば、商店街を抜けていつもの和菓子屋への近道になるので、三人ともそのつもりで、開けた石段をのんびりと歩いて下っていたのだが。

きゃっという小さな声に、幾久は足を止めた。
声のした方向を見ると、そこには同じ年くらいの制服の女子高生が二人、こっちを見て立っていた。
正しくは『こっち』ではあったが、幾久ではない。
(ああ、先輩らね)
なるほど、と幾久は先を歩く先輩二人を見る。
久坂と高杉、特に久坂のほうは外見が整っている上に、鳳クラスというエリートなので、他校の女生徒にも人気が凄いらしい。
らしい、というのはこの学校が男子校なので、正直よく判らないので話を聞く程度だったが、確かにこんな風に、時折他校の女生徒が待ち伏せをしていたり、通りすがりに顔を赤くしたり、なんてことはしょっちゅうだった。
久坂も高杉も、当然幾久と同じように女生徒の存在には気付いているが、面倒だからだろう、全く気付かない振りをして先を歩く。
「おい!はよう来い!」
高杉がそう呼ぶので、幾久は「はい!」と慌てて後を追いかける。
視線を感じ、一瞬振り返るが、女生徒は明らかに『恋してます』という雰囲気で、じっと久坂の方を見つめていた。
(このくっそ暑いのに、よくつっ立ってられるよなあ)
微動だせず久坂を見つめる女子達に、幾久は呆れつつも、久坂先輩モテていいなあ、とちょっとだけ思ったのだった。


いつも行く和菓子屋のソフトクリームは夏限定でしか売っていない。安いけどとてもおいしい。普通の白いバニラソフト一択なのだが、それでも充分だ。
六畳程度もない狭い店内には、パイプの丸椅子がおいてあり、この店で座って食べたい人や、疲れた老人などがその椅子で休む。
店内は冷房がきいているので、いつもそうするように、三本ソフトを買い、それぞれで持ち、幾久は店内にあるパイプの丸椅子に腰を下ろした。
「……幾久、早めに食え」
ぼそっと高杉が囁いた。
「え?」
「ええから。わかったの」
高杉に言われ、幾久は頷く。高杉がこんな風に言うときは、必ずなにか理由があるからだ。
久坂も無言でソフトクリームを食べているが、なぜか表情が固い。
幾久は二人の食べるスピードを見ながら、それにあわせて自分もソフトクリームを食べる。
さっきまであんなにうかれていた先輩達なのに、もくもくと言葉なく食べているなんておかしい。
異変に気付きながらも、尋ねる空気ではない。黙々とソフトクリームのコーンを半分程度食べているところで、和菓子屋に客が入ってきた。
(……あ、さっきの)
「いらっしゃいませー」
和菓子屋のおばさんが元気よく声をかけるのは、さっきすれ違った、久坂を見て顔を赤くしていた女生徒二人組みだ。
ちらっとこちらを見ているが、二人でこそこそ話し、「ソフトクリームふたつ」と注文した。
「はいっ、ソフトふたつね、ちょっと待ってね!」
そうおばさんが言い、ソフトクリームを作り始めた。
ばくっと高杉と久坂が残りのコーンを食べ終わったので、幾久もあわててそれを食べ終わると、高杉が椅子から立ち上がった。
「行くぞ」
「あ、ハイ」
幾久も立ち上がり、丸椅子をいつものように元通りに重ね、高杉と久坂の後をついて出る。
和菓子屋を出ようとした瞬間、高杉が和菓子屋のおばさんに声をかけた。
「ごちそうさまでしたー」
「ありゃ、もう食べてしまったの?早いねえ、男子高校生は!」
「そりゃ暑いけえ、すぐ食べる」
「そうねえ!」
なにがおかしいのが、賑やかにおばさんは笑う。
「僕もご馳走様」
久坂が言うと、おばさんがまた答えた。
「本当に報国院の生徒さんは、みんなお行儀がいいわねえ」
「歩きながら食べるなんて、下品だよ」
そう久坂が言うと、おばさんは、おお、厳しい!とわざとらしく体を震わせた。
「ご、ごちそうさま、でした」
慌てて幾久もそう言うと、まるで引っ張られる散歩の犬みたいに、高杉と久坂に店の外へぐいぐいと押しやられてしまった。
そして三人とも店を出ると、ある程度のところまで歩き、そして突然、二人はダッシュした。
「ちょ、ちょっと先輩達!いきなり」
なに走ってんすか、と幾久が言う前に、高杉と久坂は先を走って怒鳴った。
「いいから黙って走れ幾久!」
「そうだよ、面倒に巻き込まれたくなかったらね!」
面倒って、さっきの女子二人の事か?あれって知ってる人だったりしたんだろうか?そう首をかしげながらも、幾久は二人の声に、なにかただごとじゃないことがあるのかと、先輩達を全力疾走で追いかけた。


いつも通る道とは違う、和菓子屋の道から外れ恭王寮の方向へ向かい、幾久も知らない、迷いそうになる住宅街の道を二人は軽やかに走り抜けていく。
恭王寮の前を通り過ぎ、細い路地を抜けまっすぐ走っていく。
高杉も久坂もこの町で育っているので、いろんな道をよく知っている。
二人がやっと走るのをやめたのは、なだらかな坂道を登ったところで、見たことも通ったこともない住宅街の中だった。
「先輩?ここどこっすか?」
「寮に向かってるよ」
本当に?と思うが地元民が言うのだからそうなのだろう。
しかし、さすがにある場所で幾久は立ち止まった。
「ちょ、ちょっと先輩達?!どこ行くんすか?!」
「どこって。寮だよ」
「じゃなくて!そこ山の中じゃないっすか!」
幾久が驚くのも無理はない。
住宅街の中にあるとはいえ、突然の空き地と、どう見ても山の入り口にしか思えないような場所を、高杉も久坂も入ろうとする。
「ヘーキだって」
「すぐに抜ける」
「いやいやいや……」
躊躇う幾久だったが、二人は勝手に進んでいく。
「ちょっと!先輩達!」
「置いていくぞ幾久」
「お先に」
「……もー!」
こんな場所で置いていかれては、一人じゃ帰れないしいまどこなのかも判らない。幾久は諦めて、先輩二人の後を追いかけて、山の中へ入って行った。

二人は何の目印もない山道を迷いなく走って抜けていく。緑が生い茂る山の中、蝉の声が、通るたびに静かになり、暫くすると後ろからまたなき始める。
やっと住宅地に入るとそこは何度か通ったことのある、寮の裏手にある山の住宅街の中だった。
「ここまで来れば、大丈夫じゃろう」
「多分ね」
山の中を通ったせいで軽く泥がついてしまった制服をはたきながら、高杉と久坂はほっとしている。
なんであんなにも必死に逃げるのだろうかと幾久は思い、二人に尋ねた。
「さっきの女の子達って、先輩らの知り合いっすか?」
「いや、知らん」
「知らないよ」
「じゃあ、なんであんなに必死に逃げたんですか?」
「面倒じゃから」
「面倒だから」
高杉と久坂が言うが、幾久は首をかしげていた。
別になにをしたわけでもない、多分、久坂を追いかけてきた程度なのに、なにがそんなに必死になって逃げるほどの事があるのだろうか。
二人は追いかけられない安心からか、殊更ゆっくりと寮までの道を歩き始める。
「面倒で、あんなに必死に逃げたんすか?」
疑問を素直に幾久は口にした。折角ソフトクリームを食べていたのに、まるで飲み込むみたいにさっさと食べてしまった上に、逃げるみたいに判りにくい道を通って寮に帰るなんて、理解できなかったからだ。
「あれ見て気付かんかったか?」
「追いかける気満々じゃったろ、あの二人」
「そうっすよね。久坂先輩、威嚇してたし」
たまにちょっとした会話はあるにせよ、わざわざ和菓子屋のおばちゃんとあんな会話をするなんて、理由は幾久にだって判る。
久坂が『歩きながら食べるなんて下品だ』なんて言うから、ソフトクリームを注文した女子は久坂を追いかけるに追いかけられなくなってしまった。
女子がそうしてソフトクリームを注文して食べるその隙に、高杉も久坂もわざと遠回りしてまで逃げた。
「ひょっとして、知らない女子から逃げたんすか?」
「そうじゃ」
「そうだよ」
大真面目な顔をする二人に、幾久は多分、これがこの二人でなければ笑い飛ばしたのだろう。
女子に追いかけられて逃げるなんて、まるで小学生か照れ屋の中学生みたいだからだ。
しかし、どう考えてもそんな風な「照れ屋」で可愛いように見えない先輩たちが、そんな態度を取ること自体がおかしい。
「なんで逃げたんすか?」
「決まってるだろ。面倒くさいからだよ」
「面倒って……」
さっきもそう言っていたが、一体なにが面倒なのだろうか。いきなり告白されて、迫ってくるわけじゃなし。幾久はそう思ったのだが、久坂は心底うんざりした表情で言った。
「そろそろだとは思ったんだよね。試験終わったし」
「そうじゃの。ちょっと油断しとったの」
「だから、何の話してるんすか?」
試験が終わったら、なにがどう面倒くさいことがあるというのか。疑問に思う幾久に、高杉が言った。
「決まっちょろうが。この時期になると、夏休みに『カレシ』が欲しい女が湧くんじゃ」
らしくなく、『カレシ』の『シ』の部分を強調して、高杉が言う。
「湧くって、そんな虫みたいに」
「虫と似たようなもんだよ。この季節になるとびっくりするぐらい湧いてくるからね」
「……」
(モテるイケメンの言葉怖ぇ!女の子を虫扱いかよ!)
そう幾久は思ったが、久坂の外見を見ると無理もないとは思う。なんといっても少女マンガに出てきてもおかしくないくらいの、理想の男性と言ってもおかしくないほどの外見なのだ。
それに久坂がやけに目だっているが、高杉だってけっこうモテる。ただ、女性よりなぜか男子にモテることが多くて目立たなかったが。
「そういや、今までは告白とかなかったっすね」
幾久が言うと、高杉と久坂が同時に言った。
「あったぞ」
「あったよ」
「えっ」
そんなの全く知らなかった幾久は驚いてつい立ち止まる。急な下り坂のせいで、つんのめりそうになり、慌てて体を戻した。
「嘘!オレ、全然知らないっすよ!」
「そりゃ、わざわざいちいち言わないよ」
「幾久に言う意味あるか?」
「ないっすけど!」
またこの先輩達の『関係ないことは言わない』主義が出たよ、と幾久は肩を落とす。
「そんなの全然知らなかったっす。今日が初めてかと思ってましたよ」
「けっこうあったけど、無視できるものは無視してるし」
「無視……」
なんだかあまり聞かないほうがいい気がするが、ここまで来たら興味が出てしまう。
「無視って、どんな?」
男子校なのだから当然女子は居ない。帰りは一緒に帰ることも多い幾久が、そんな事を知らない。ということは。
「呼び出されても行かないとか」
「うわあ」
「なにが『うわあ』だよ」
「だって女子っすよ!告白っすよ!」
「それが何か?」
「告白って、告白っすよね?」
「それ以外に何が?」
イケメンすぎるとこういうのが麻痺するんだろうか。
幾久は久坂に尋ねた。
「可愛い子が居たらつきあいたいとか思わないんすか?」
「ないね」
きっぱりと久坂が言う。
「誰とも付き合う気はないし、そもそも学生の本分は勉強だろ」
「え、そんなの本気で言ってるんすか」
リア充な青春が目の前にあるのに、しかもこんなに絵に描いたようなイケメンなのに、女の子に全く苦労しないのに、付き合いたいと思わないなんて。
「勿体無さすぎっすよ、久坂先輩」
「そうかな」
「そうっすよ」
幾久だって、彼女が出来るものなら欲しいとは思う。
ただ、今はそれどころじゃないので考えもしなかったが。
「だってイヤだろ、図々しい女なんて」
「図々しい?」
付き合ってもいないのに、どうしてそんな風に言うのだろうか。幾久が不思議に思っていると、久坂はそれに気付き言った。
「図々しいだろ。いきなり告白とか自分の感情を押し付けてくるんだから」
「……告白って、んなもんじゃないっすか?よくわかんないっすけど。それに、それだけ本気で久坂先輩の事を好きなのかもしんないじゃないっすか」
知らない人にいきなり告白されたら、びっくりはするけど嬉しいのではないのかな、と幾久は普通にそう思う。誰だって嫌われるよりは好かれるほうがいいし、嫌われるとなにかと面倒だし、やっぱりダメージがあると思うのだが、久坂にとってはそうではないらしい。
「本気で好きなら、こっちが迷惑していることを受け入れてくれればとは思うよ」
「うーん」
幾久は考える。誰かを好きになってしまったら、どうしても夢中になってしまうのじゃないのかな。
ただ、幾久もそこまでの恋なんてものをした事がないので判らないが。
「相手の事を考えられなくなるくらい、好きになっちゃう、っていうのはやっぱおかしいん、すかね」
恋愛事情は判らないが、そんな激しい感情があるというのはドラマや物語でなんとなく見知っているので、そんな風に幾久は、ただ言った、だけだった。
「じゃあ質問するけど、もしいっくんの進路について、母親が『幾久の為』って夢中になって感情を押し付けるのは、いっくんはアリ?」
母親と女の子は違う、と一瞬思うけれど、感情の押し付けと言う点では同じかな、と幾久は思う。
「なし、って感じです」
「僕も同じ。なしって感じ、だよ」
そういわれてしまえば、確かになぁ、とも思う。
母親だろうがよその女の子だろうが、自分にその気がない上での感情の押し付けは厄介だし面倒でしかない。
「なんかそう言われたら、納得せざるを得ないっすよね」
騙されてる気分ッス、と幾久が言うと草かは苦笑して言う。
「だって仕方ないだろ。本当にそうなんだから」
「ハル先輩も同じなんすよね?」
久坂と高杉は同じ考え方なので、違うことはありえないのだが念のためにそう尋ねると「そうじゃ」と頷く。
御門寮に到着し、門をこえて敷地内へ入ると、二人ともほっと肩の力が落ちた。
幾久も、この寮になじんでいるので敷地内に入ると帰ってきたなと心が緩む。
ただいま、と言いながら玄関を引くとまだ誰も帰って来ていなかったらしく、鍵がかかっていた。
「あれ、めずらしい。ガタまだ帰ってきてないんだ」
「本当じゃの」
高杉が鍵を取りだして玄関を開ける。寮母の麗子さんは夕食を作りに来るだけなので、まだ寮には来ていない。多分買い物にでも出かけているのだろう。
制服は山の中を歩いたせいでけっこうほこりまみれだった。
「これ、全部洗ったほうがいいよね」
「そうじゃのう。けっこう汚れとるの」
幾久も制服のズボンを叩くが、なかなか汚れが落ちてくれない。
「よし、じゃあもうこのまま風呂場行くか」
「そうだね。さ、行こうかいっくん」
「え?あ、ハイ」
久坂と高杉に引きずられるように幾久は一緒に風呂場へ向かい、全員が制服を脱いで洗濯機へほうりこんだ。



2016/05/15 up