夏虫疑氷

(2)夏虫疑氷

暑い中をかなり歩いたせいで、汗でずぶぬれ状態の三人だったが、シャワーをあびるとすっきりした。
幾久はいつものTシャツにハーフパンツと言う格好で、高杉も同じデザインのものだ。
幾久がはいているハーフパンツは高杉のお下がりで、もらったのはこれで二本目になる。
高杉は金持ちの子らしく衣装持ちで、新しい服も毎月増えているように見えるくらい、新しい服が多かった。
一方久坂は祖父の形見だとかで、着物や浴衣を普段着にすることが多い。今日も浴衣を羽織っている。
寮は日本家屋なので、窓を開け放てば風とおりがよくてクーラーが必要ないほど涼しい。
扇風機をまわしていればことたりるという、贅沢なつくりだ。


つめたいお茶を冷蔵庫から出して幾久は三人分グラスに注いだ。
ちゃぶ台にそれを置くと、とっくに腰を下ろしていた久坂と高杉が受け取った。
「ありがと、いっくん」
「悪いな、幾久」
必ずお礼は言うくせに、この二人は自分から動くことがまずない。
しかしそれも別に悪気はないし、幾久だって自分のついでなので気にはしていない。
風呂上りにつめたいお茶を飲むと、疲れが一気に消えた気がする。
「そういえば、そろそろ梅サワーの季節だね」
「そうじゃの。麗子さんに聞いてみるか」
「梅サワー?」
なんだそれ、と幾久が首を傾げると、二人が言う。
「先月、梅をもいだじゃろう」
「ああ、そういえば」
御門寮の敷地内にはさまざまな木が植えてあって、そのひとつが大きな梅の木だ。梅の実をたわわにつけて、麗子さんが喜んで沢山拾っていたが。
「あれって梅干にしたんじゃないんですか?」
こまごまと麗子さんがなにかしているのは幾久も目にしていた。梅の実を甘く煮て寒天の中に入れたり、梅シロップなんてものも幾久は初めて味わった。
「麗子さんは自分用に梅酒をつけとるんじゃが、ワシら用には梅サワーをつくってくれとるんじゃ」
うまいぞ、と高杉が言う。
「梅と氷砂糖と、あとはサワー、つまり酢、じゃの。それをつけてあるんじゃが、そろそろ出来るはずじゃ」
「夏の疲れが一気に飛ぶよ」
「へえ」
のんだことないや、と幾久は楽しみになる。
麗子さんは寮母さんというよりは、料理研究家の人のようだ。
「麗子さんってなんでも出来るんすね」
「おお。お嬢様じゃからの。お茶にお花に着付けに、あと三味線に踊り、ピアノもちょっとは出来たか」
「うわすげえ、本当になんでもできるんだ」
だから上品で落ち着きがあって、なんだか頼りがいがあるって感じなのかと幾久は改めて感心する。
「じゃあ、麗子さんみたいな人だったら、久坂先輩も告白されたら嬉しいんだ?」
「まだそれ引きずってたの?」
呆れる久坂だが、幾久としては興味深々の内容だ。
「だってオレ、知らなかったっすもん、先輩が告白されてるとかそういうの」
「意外に恋愛話が好きじゃったんか、幾久は」
高杉が言うが、そうじゃなくて、と言う。
「ってか、先輩達のってのが重要なんすよ。なんかそういうの、全く話しないじゃないっすか」
吉田なんかはバイトをしたり、人当たりがよく顔が広いせいもあって、あちこちに知り合いや友人が多い。
他校の女子も、「よしだくーん」と気軽に声をかけてくることもあったし、コンビニでなにか喋っている事もあった。
だけど、この二人についてはそう言うことが一切ないし、見えなかった。あくまで外から、それっぽい情報が入ってくるだけなので、正直言うと興味がある。
「ワシらにとってはただの面倒じゃからな」
「だよね」
「もー、なんでそう興味ないんすか。モテまくるとそうなるんすか?」
ちょっとだけ羨ましくてそう幾久が言うと、久坂と高杉が顔を見合わせた。
「じゃあ聞くけどの、正直、いきなり告白っておかしいと思わんか?」
「え?」
「だって考えてもみなよ。僕らって寮じゃん」
報国院は全寮制と決まっていて、例え地元で近所であっても、寮に入る決まりだ。
実際、高杉も久坂も、自宅のほうが報国院によっぽど近いらしいのに、わざわざ遠くの御門寮になっているのでかえって遠くなっている有様だ。
ただ、本人達は御門寮が気に入っていて、全くそういうのはどうでもいいらしいのだが。
「寮で、男子校で、女子と接点が全くないのにさ、本気で好きって言われても、説得力ないよね?」
「そりゃ、そうかもっすけど。でも一目ぼれとか」
「それって外見しか見てないか、もしくは他の誰かを投影してるってことだろ?」
「……そうなんすかね?」
「それ以外に何が?」
正直、久坂とは込み入った話をした事がないので答えに困る。
高杉は話をするときに、幾久に判りやすい筋道をたてて誘導するようにしてくれるのだが、久坂はそんなことはしない。
多少、幾久が一年だから考慮はしてくれるけどそれだけだ。会話をキャッチボールに例えるなら、高杉は幾久に届きやすく、次にどんな球を投げればいいか誘導してくれるのに、久坂の場合は剛速球がほんの少し遅くなるか、もしくは『いまから投げるから』と予告だけして剛速球を投げるような、そんな感じだ。
「それでも別にいいんだよ。『僕』がそれでいいならね」
勘違いであったとしても、一目ぼれであろうがなかろうが、外見だけだろうが見世物にされようが。それでいいと言われたほうが判断すれば、それで構わない。
「けど、『僕』はそうじゃない。だから駄目。それだけの事が、彼女達には判らない」
「判らない、って?」
「僕が『嫌だ』と言えば、どんな理由があろうがなかろうが、引き下がる。それが『僕』に対する礼儀だろ?」
「そうっすね」
告白して駄目、つまりは振られてしまったなら、確かに諦めるべきだ。
ただ、女子がそう簡単に引き下がりそうもない、というのはちょっと判る。
久坂のような存在なら尚更。
「だからさっさと断るんだけど、『せめて一回付き合ってみて決めて欲しい』とか言われるわけ」
「判らんでもないっす」
確かに、いきなり振られるよりは一旦、ちょっとでも付き合ってからなら、納得のいきようもあるだろう。
だが久坂は冗談じゃないとため息をつく。
「付き合うもなにも、最初から『ない』って断言しているのに、どうして無理矢理付き合わせようとするのか不思議だよ」
「ちょっと付き合えば気が変わるって思ってるとか」
「ないね。無理につき合わせようとしている時点で、気分は最悪だし。好きでも嫌いでもなかったものが、そこでもう嫌いになってるよ」
「そうっすね」
久坂の面倒くさがりようと、融通のきかなさっぷりを知っている幾久からすれば、一旦久坂が『嫌』といったものがひっくり返るとは思えない。
高杉がこつんと机を指先で叩いて言った。
「それに大抵、ああいう手合いは自分の感情にばっかり夢中なんじゃ。『恋に恋する』とでも言うか」
「なんかハル先輩、大人っすね」
「見りゃわかろう。本当に好きだなんだ、ちゅうならそれなりに考えたり調べたり、相手がなにを望むかを考えるもんじゃろ。けど、たいてい、ああいうのは感情やら自分の都合を押し付けてくる。じゃけ、わしも瑞祥も、ああいった手合いは好かん」
自分も高校生だから思うけれど、正直、高校生にそういうのって難しいのじゃないかと思う。
久坂が続けて言った。
「つまりさ。彼女らは夏休みに自分の描いたような、理想の『カレシ』ってやつが居れば、それでいいわけ」
「理想?」
「優しくて、素敵で、自慢できて」
「それ自分で言います?」
確かにそう見えるけど、と幾久は言うが久坂は心外な、という顔になった。
「僕の事じゃないよ。女子の理想って奴。優しくて、自慢できる、まるで漫画みたいな素敵なカレシと夏休みを過ごして、ガタ風に言うなら『リア充』生活がしたいってやつ。海に行ったり、祭りに行ったりとかさ」
「それのどこが、いけないんすか?」
「いけなくはないよ。ただ、僕をからませずに勝手にやればってだけで」
「ああ、そういう」
確かに人嫌いの久坂なら、関わって欲しくないとそう思うだろう。
「つまりね、綺麗な心のいっくんに判りやすく言うなら、彼女らは僕を『見世物』にしたいんだよ」
「見世物……」
また判りにくい例えをするなあ、と幾久は久坂を見た。久坂が足を組み替えたせいで、しゅるっという衣擦れの音がした。
「外見が整ってて自慢できる。クラスが鳳で自慢できる。あとは、そうだな、背が高い、優しそう、わがままを聞いてくれるから自慢できる」
「先輩絶対にそんなことしないじゃないっすか」
むしろ逆だ。
久坂は静かで大人しいけど、けっこう融通がきかないし、高杉がなにかとフォローを入れているし、面倒なことは高杉任せだ。
朝なんか寝不足が酷すぎて、顔を洗ってタオルを取ることすらしないし、ネクタイだって毎日高杉が結んでやっている。
「判ってるねいっくんは。そう。つまり僕は、優しくもないし、わがままも聞かない。面倒も見ない」
「むしろ逆っすよね」
うんうんと幾久は頷くが、それを見て高杉が苦笑いをする。
一緒に暮らしているから隠しようがないのだが、あまりにきっぱりと言われると久坂も少々、居心地が悪いらしい。
「……彼女達の妄想というか、理想のカレシには程遠いんだけどさ、そういうの関係ないんだよね。とにかく自分の思い通りにしたいっていうのが見えて」
「そうなん、すか?」
女子に告白なんか一度もされたことがない幾久にとって、久坂の言っていることは全く意味不明だ。
だけど、ここまでイケメンであるなら、やはりイケメンにはイケメンなりの苦労があるのだろう、という事は判る。
「自慢したくなるっていうのはなんかオレ、判りますけ。だって久坂先輩、実際かっこいいっすもん。ハル先輩も別の意味でかっこいいっすし、二人とも頭いいし。成績ってだけじゃなくって」
そこは素直に幾久は認められる。
久坂と高杉が並んでいると、とても特別な雰囲気になって、時々絵のように見えることがある。
高杉はなにか言いたげだが、それを遮って久坂が言った。
「いっくんはいいんだよ。同じ寮の後輩で家族だろ。自慢されたってなんとも思わない。でも、ああいう『カノジョ』狙いはそうじゃない」
「違いがよくわかんないっす」
幾久は自分がたまたまこの寮に所属して、たまたまうまく?行っているだけで、もし久坂に彼女が出来て、その彼女が久坂の存在を自慢に思うなら、つい自慢なんかしてしまうのではないのだろうか。
「心の綺麗ないっくんを傷つけるつもりはないんだけどさ」
「?」
「―――――言葉を選べよ、瑞祥」
「判ってるよ」
高杉の静かな声と、久坂の言葉のトーンに、なにかあるのかな、と幾久は身構えた。


この二人は時々、さりげないことから話を深くまで掘り下げてたまにとんでもない爆弾を落とすからだ。
「今の僕の存在ってさ、ハルとか、祖父とか兄とか、環境とか、自分の努力とか。そういったもので出来てるんだよね」
哲学?と思うが幾久は黙って頷く。言っている意味は判る。いまは、まだ。
「だから、そういう人やなんかが、僕を自慢にするのは構わないんだよ。だってそういったもので、僕は出来たんだからさ」
まだ判る、と幾久は頷く。
「けど、そういったものの努力をすっとばしてさ。僕『を』『好きだから』っていう理由だけで、自慢しようっていうの、おかしいよね」
判らなくなって幾久は止まってしまう。久坂はなんていおうか、迷っているようだった。
「僕を作った人でもない、突然来て『好き』と言っただけで、僕を手に入れて、自慢できる道具にするってさ、僕だけじゃなく、僕って言う存在全部に対する無礼だよね?」
「……よくわかんないっす」
なんとなく判りそうな気がするけど、まだちょっと難しいなと幾久はうなる。
高杉が横から幾久に言った。
「トシがおるじゃろう」
「あ、ハイ」
トシ、とは幾久と同じ一年鳩クラスに所属している伊藤俊文のことだ。昔ヤンチャだったせいで、一部の生徒には憧れられたり、喧嘩にめっぽう強いので、すりよってやろうと思う奴もいるらしい。
そんな伊藤は高杉を心酔しているし、擦り寄りなんて全く意に介していなかったが。
「トシとちょっと話したからって、威張りそうな馬鹿を知っちょるな?」
「はいはいはい。判ります」
そんな事をしそうな存在を、幾久はよーく知っていた。幾久を伊藤に対する擦り寄りと決め付けて喧嘩を売ってきたのが同じ鳩クラスの奴で、そんな事をしそうな奴だ。鷹クラスにも似た様な奴がいて、幾久はそいつと喧嘩の真っ最中だ。
「その馬鹿はなんで馬鹿か、ちゅうと、自分の努力はしねえくせに、トシの努力を勝手に自慢道具に使うからじゃ」
なんとなく判ってきた、と幾久は頷く。
「トシが喧嘩が強いのは、ああ見えて武術もやっちょお、実際場数も踏んじょお、他人の面倒も見てやるから、それなりに人も集まってくるんじゃ。じゃけど自慢したいやつは、そんなトシの努力なぞ、全くどねえでもええわけじゃ」
「まあ、そうっすよね」
判ってきたぞ、と幾久は頷く。高杉はいつもわかりやすく説明してくれるのでありがたい。
「自分の為に、他人を使うのは、まあつまり、いうなれば他人の努力の結果をかすめとって、泥棒しちょるみたいなもんじゃ。努力してメダルを取ったやつからメダルを借りて、自分の首から下げて悦に浸る、とでも言えば判るかの」
「―――――判った!」
やっと幾久は、久坂と高杉が何を言わんとしているのかが判った。
「ああ、そっか。そういう意味か。判った。判りました」
そりゃあ、イヤだよな、と幾久はすとんと納得が心の中に納まった。
いくら好きだといわれても、そういう自分になったのはその人のためではなく、自分の周りの人のおかげだ。それなのに、外面だけ借りるような真似をして、見せびらかすなんて。
「そうっすね。わかるっす。確かに下品っすよね」
確かに、メダルを得た本人が、『この人のおかげで』という気持ちがあればそれでいいのだろう。
だけどちょっと関わっただけとか、最初からそれ目的で近づかれてはたまったものじゃない。
「瑞祥に告白なんかしようって女は、大抵が瑞祥なんぞ目に入っちゃおらん。自慢の道具に丁度ええからじゃ。そういう女は大抵、勘違いしちょるか、コンプレックスが強いか、もしくは変な妄想をしちょるかのどれかじゃ」
「手厳しいッスね、ハル先輩」
「事実じゃけ、しょうがない」
久坂とずっと一緒にいる高杉だから、余計にそんな風に見えるのだろうか。
「じゃあ、もし、もしもっすよ。久坂先輩を好きになる人が、本当に久坂先輩を好きな人が出来たら、それってどう判断するんですか?」
「どうする、とは?」
「だからつまり、自慢とか、コンプレックスとか、そういうのじゃない人が告白してきたら判らないじゃないっすか。見えないんだし」
それとも、高杉にも久坂にも判るのだろうか。
それが幾久は知りたかった。どんな風にそうじゃないと判断するのか。
だが、自信満々に、高杉は答えた。
「世話ない。そんなん、見りゃ判る」
「そうだよね」
世話ない、とは長州弁で心配はない、という意味だ。
久坂も高杉と同じく頷いた。あまりに自信満々に、きっぱりと答えたので逆に幾久は不安になった。
「え……と、それってどういう基準なんすか?」
「基準もなにも。見たら判る。そういうもんじゃけ」
当然、という風に高杉が胸を張る。どこにそんな自信があるのかと思うほどだ。
「なんかそれって、判らないっす」
幾久が納得いかないという風に高杉に言うと、高杉も久坂も妙に大人びた表情になった。
「一回でも、ちゃんと見たら絶対に判る。本当に人を好きになる、ちゅうのがどういう意味なんか」
久坂も微笑んで高杉に向かい頷く。
「だよね。あれはもう、なんていうか。尊敬だよ」
さっきまでさんざん恋愛をディスっていた二人からは信じられないような言葉に、幾久は再び判らなくなった。
「え?先輩らって恋愛話嫌いじゃないんすか?」
「逆だよ。僕らだってそういうのは好きだよ」
「そうじゃ。但し、『本当の』恋バナ、ちゅうやつじゃな」
なー、と互いに顔を見合わせてにっこりと微笑む姿は、さっきと違いすぎて、別人かと思うほどだ。
「なんか先輩らって、複雑すぎっす。意味不明っす」
「失礼な、僕達だってちゃんと恋愛に憧れる普通の高校生だよ」
さっきまで散々面倒だのなんだのディスりまくっていたのにこの言い分だから、幾久が混乱するのも無理はない。
「そうじゃ。ワシだって、ちゃんとした彼女なら欲しいぞ」
「またもう。ちゃんとした彼女になれる人なんて、存在しないみたいな話したくせに」
ふうと肩を落とす幾久に、久坂も高杉も笑顔で言った。
「ちゃんとた男にゃ、ちゃんとした女がつくんじゃ。妙なのが湧いちょるワシらは、まだまだ、ちゅうことじゃな」
「そういうことだね。隙が多いのかもね」
そう言って楽しそうに笑う高杉と久坂の二人に、またこの二人が二人にしか判らない話になってる、と幾久はちょっとがっかりした。
「先輩らはモッテモテですけど、オレなんかそんな話全然ないっすよ」
はあーとわざとらしくため息をつく。
「じゃったら、制服で鳳のネクタイして市内うろついてみろ。あっちゅうまにナンパされる」
高杉の言葉に幾久が顔を上げた。
「えっ、マジっすか?」
「そうだよ。なんなら僕のネクタイ貸そうか?一緒に出かけたら面白いくらい引っかかるよ」
ニヤニヤと二人は人の悪い笑みを浮かべる。
「んなの、鳳でもないのにネクタイ締めてたら馬鹿みたいじゃないっすか」
「そんなん他校にゃばれん」
「実際、そういうことする奴いるよ」
「マジっすか」
そんな恥ずかしいことを平気でやるなんて信じられないと幾久は思う。
「他校の文化祭にね、鳳のネクタイ締めて行った千鳥がいるよ」
「マジで」
千鳥なら無駄に行動力だけはあるから、確かにそういうことはしそうだけども。
「で、モテたんすか?」
「最初はね。で、文化祭で女子ゲットして付き合ってたんだけど、そのうちすぐバレたよ」
「なんで?」
他校の生徒で、会う時だけネクタイをしているのならばれそうにないのに、と思ったが、その疑問は久坂が教えてくれた。
自分の浴衣のあわせ、鎖骨の上あたりを指で指した。
「ああ、略綬!」
「正解」
報国院ではネクタイのほか、略綬という小さなバッジでクラスや寮が判るようになっている。
「でも略綬って、他校じゃわかんなくないっすか?」
小さい上に、マーク化されているし、しかもけっこう皆いろんな略綬をつけているので一見しただけではどこの何に所属しているのか判らない時もある。
他校の生徒なら余計に判らないだろう。
「彼氏が鳳クラスだから、写真とって見せびらかしたら流石に略綬までは変えられなかったみたいでさ。報国の他クラスに彼氏が居る子がそれに気付いて、ばれちゃったんだってさ」
「へー、確かに写真なら拡大できますもんね」
「だまされていた子も知らなかったみたいでさ」
「かわいそうっすね」
「そうかな?」
いつも通りの、よくみる人の悪い久坂の表情だ。
「だって、いっくんの言うように彼女が彼氏を『本当に好き』なら許してあげたらいいんじゃないのかな」
これが久坂以外の人の言葉なら、そうだよな、と賛同もするが久坂相手ではそんな適当に賛同できない。
「や、だってそれこそ彼氏が彼女を『本当に好き』なら、早く正直に嘘を謝ればよかったじゃないんすか」
「もし本当に好きなら、つまらん嘘はつかん」
高杉が言うと、久坂も幾久も「だよな」と二人で頷いた。
「結局さ、本気で恋愛なんて僕らの年じゃそうないって」
「完全否定はせんけどの」
高杉と久坂が言うと、幾久もなんだかそんな気がしてきてしまう。
「なんだかつまんないっす」
幾久はがっかりする。高校生にもなったのだから、彼女とか付き合いとか、そういうのはちょっと憧れがあったのに、なんだか先輩達と話すとがっかりだ。
「まあそうフテるな。ちゃんと付き合っちょうのもおるぞ」
「オレの知ってる人っすか?誰、誰?」
わくわくしながら尋ねるが、それは思いがけない人物だった。
「直ちゃんじゃ」
「時山先輩っすか」
えーとがっかりしたのは、そこまでの意外性がなかったからだ。
「なんかチャラそうっすもんね、時山先輩」
ダンスが得意で、あのひねくれものの山縣と親友というのだから多分誰に対しても人当たりは抜群に良いのだろう。彼女が居ても不思議じゃない。
「他にはそんなにおらん。もしくは知らん」
「えー。鳳モテるなら彼女率高そうなのに」
「残念ながら、僕らが言われるのは『モテてんのはお前らの肩書きだけでお前らじゃない、信じられないなら鳩か千鳥のネクタイでも締めてみろ』だからね」
「厳しいっすね」
「実際、ネクタイで左右されるから仕方のないことだよね」
久坂と高杉はずっと鳳のはずだから、そういった目にはあっていなさそうだけども。
不思議そうに幾久が見ていると、久坂と高杉が教えてくれた。
「千鳥のタイをして、市内に遊びに行った事あるんだ」
「正しくは、千鳥の奴らとネクタイ交換して、の」
「どうでした?」
久坂の外見はじた共に認めるくらいだし、高杉だってそう悪くない。だからきっと、そんなに差は出ないと幾久は思っていたのだが。
「いやー、全く世界が違ったよ」
「おお、なんか千鳥に同情するようになったわ」
「そんなに違うんすか?」
絶対に久坂なんか、千鳥でもモテるはずなのに。
だが、久坂は笑いながら首を横に振った。
「外見がいい分、逆に扱いが酷かったよ。おばちゃん連中に、『色男で頭が悪いとろくな男にならない』とかいきなり言われたり」
「知らない人にっすか?!」
それはそれで随分と失礼じゃないのか、と幾久は思うのだが、そんなものらしい。
「ワシはいきなり知らんおっさんに『そんなふざけた格好しとるけ、千鳥なんじゃ、親に申し訳ないと思わんのか』とか言われたの」
「えーっ!怖い!」
報国院は式典と、期の最初と最後の日以外ジャケットを着ていく必要はない。
けっこう校則もゆるゆるだが、それでも皆学校なので一応遠慮みたいなものはある。
だけど鳳クラスは全くそんなものは気にせず、高杉のように派手なパーカーとニット帽で通学する人も居る。
「そんときも、いつもの格好っすか?」
「おお。ネクタイだけ変えての」
パーカーにニット帽、そして千鳥のネクタイ。いつもの高杉とネクタイだけしか違わないのに。
「ピアス外せとかね。ホンッとあれは参ったね」
「ふへー、そんなに……」
なんか怖い、と幾久は体を震わせる。
「余計なお節介、っすよね。子供が報国院にいるとしても、なんかやりすぎっていう感じする」
「それが田舎ってもんだよ。この地域は報国院に誇りを持っているから、そういう目で皆見てる。だから逆に、助けてくれることも多いんだよ」
「一長一短、ちゅうやつじゃな」
そうかもしれないけど、幾久は釈然としない。
言い訳みたいだけれど、自分達はまだ子供だ。
それなのにそんな露骨な差を見せるなんて、学校としては問題ないのだろうか。
「じゃあ、なんで学校はそんな風にするん、すかね。折角賢いクラスでも、勘違いしまくるなら、ネクタイなんか色変えなきゃいいのに」
式典の時は各クラス関係なく、制服のジャケットと同じ黒のネクタイを全員使う。
だったら、そんな風に分けたりせずに、千鳥も鳳も、なにもかも制服は一緒にすればいいのに。
「そんなん意味ないじゃろ」
「なんでっすか?」
「こうすれば露骨にわかるよね。世間の評価や判断基準って、どういうものかって。絶対にやるじゃん、ネクタイの交換なんてさ」
「確かに、興味はあるっす」
幾久だって、久坂に言われたみたいに鳳のネクタイをしてそんなにモテモテになるなら、一度くらいは試してみたい。
ネクタイひとつでそんなにも人の評価が変わるというのを、しかも大人までもがそんな事をするなんて理解できないからだ。
「そういうことを学んで、上手く使うもの大事だってよく言われるよ」
「意識高すぎっす、この学校」
「鳳に入るなら、必要な事じゃぞ」
高杉がそう言うが、幾久は鳳に入るどころか、この先どうするかも決めていないのに。
「もしそうなったら、そんときにいろいろ考えます」
それよりも幾久は、来学期をどこで過ごすのかを本気で考える必要があるのだが。



気がつくといつの間にかかなり時間がすぎていて、麗子さんが御門寮に到着した。

夕食の支度がはじまるまで暫く、皆適当に、風呂掃除や洗濯物など、自分でできる寮内の仕事にとりかかったのだった。



2016/05/15 up