岡目八目

(4)岡目八目

「幾久、メシいこーぜ」
「あ、うん」
今日は伊藤も弥太郎も何も予定がないので、いつも通り伊藤がそう声をかけてきた。
教室を出て学食に向かう途中、幾久が伊藤に躊躇いがちに声をかけた。
「あのさ、飯の時なんだけど」
伊藤は「わーってるって」と幾久の肩を組み、ぼそっと言った。
「タマちゃん誘うんだろ」
「!なんで判ったの」
「判るさ。幾久そういうの、しそうだからな」
ニヤッと笑う伊藤はこういうとき頼りがいのある先輩のようにも見える。
「いっくんが言わないなら、俺が言うところだったけどね」
弥太郎も言う。
「別にメシんときに一人増えたってどってことねーしさ。幾久がいいなら別に俺らも問題ないわけだし」
児玉と幾久が微妙な雰囲気だったのは皆知っている。
だからあえて関わることもなかったが、幾久と児玉が仲が良くなったというなら関わらない理由もない。
「でも、タマ、居るかな」
学食に来てくれていればいいけれど、購買でパンを買っていたりしたら学食まで来ない可能性もある。
だが、弥太郎が言った。
「大丈夫、俺今日朝に呼んでるから」
「え?」
「もしいっくんとトシが嫌って言ったら俺が離れればいいんだしって思って」
「んなことねーって」
「そんな事ないし」
伊藤と幾久が言うと、弥太郎も「だよねー。そう思った」と想定内だった事を言う。
「タマがちょっと状況よくないからさ。そうして貰えたら俺も嬉しい」
こそっと弥太郎は幾久に言った。
「実はこの前、トシにも相談してたんだ」
「あ、それで」
「前いっくんにさあ、トシの件で絡んでた同じ鳩クラスの奴いんじゃん」
「ああ、」
伊藤と一緒にいるから幾久を擦り寄りと言っていちゃもんをつけてきた奴が、確かに同じ鳩クラスに居る。
寮の所属も恭王寮ではあった。
「あいつと、仲いーのが同じ恭王寮の鷹の奴なんだよ。いっもつるんでる」
「え、じゃあタマが嫌がらせされてんのって、オレのせいもあるんじゃ」
それじゃあ、幾久を助けたばっかりに、児玉は恭王寮で孤立していたり嫌がらせを受けているというのか。
児玉を助けるつもりが逆に助けられている立場じゃないかと幾久はがつんと頭を殴られた気持ちになった。
「それだけじゃないとは思うよ。もともと、あいつらとタマは相容れない感じだったし、逆にだからタマもいっくん助けたのかもだし」
「でも、オレのせいもあるじゃん」
絶対にそうだ、と幾久は慌てた。
「落ち着きなよ。タマだってんなお人よしじゃないって。いっくんだって知ってるだろ」
確かに児玉は他人に対して、そんなお人よしなタイプには見えない。
「タマにはタマなりの道理があるんだから、そこはいいじゃん」
「そうかもだけど」
「だから、こうやって協力するんじゃん?このくらいで充分だって」
そう弥太郎は言うが、幾久はどこか気持ちが晴れなかった。


「タマ!」
先に学食に到着していたらしい児玉を見つけ、弥太郎が声をかけた。
「おす」
と児玉が手を上げると、伊藤が言う。
「わりぃな、待ってた?」
「お前は待ってねえよ」
そう伊藤と児玉がふざけている。この二人は習い事で同じだったことがあるそうで、顔見知りではあったらしい。
「よう、幾久」
「ん」
「なに食う?」
「オレ、まだメニュー見てない」
そう言ってメニューに近寄ろうとすると、児玉が馴れ馴れしく幾久の肩に腕を乗せ、ぼそっと幾久にだけ聞こえるように言った。
「巻き込んだみたいで、悪いな」
「……たいしたことないよ、メシ食うくらいじゃん」
ぼそっとそう幾久も言い返す。そうすると児玉は相変わらずの怖い目つきではあったが。「そっか」と言う。
「そーだよ。気にしすぎ」
ふん、と幾久も鼻を鳴らす。児玉は頬を緩めていた。
「で、今日のメシなに?なんかうまそう?」
肩を組んだまま、二人でメニュー表を覗き込む。
幾久がメニューを読み上げた。
「和風は魚のハンバーグ風。洋風は、今日は中華になってる。中華丼だってさ」
「幾久はなににすんだ?」
「オレ魚」
「前も魚だったじゃん。お前魚ばっかかよ。じゃ、俺ハンバーグ」
「タマも魚じゃん」
「味はハンバーグだろ、多分」
全員でメニューを選び、先に席をとっておいた弥太郎のところに食事のトレイを持って移動した。
学食は人が多く、別のクラスも学年も当然混じっているので、だれがどうなんて判別は難しく、わざわざ探さないと、どこにいるのかなんて判らない。
おかげで幾久達は楽しく食事を取ることが出来た。
互いの寮のこととか、クラスの事や、部活の事。
特に伊藤は部活をかけもちしているので知っていることが多く、面白かった。

いつもなら食事を終えると、教室に戻っていた幾久と弥太郎と伊藤だったが、今日からは児玉が居るので、自然とそのまま学食に残ってコーヒーを飲みつつお喋りをしていたのだが、余計な奴は大抵、呼びもしないのに勝手にやってくるものだ。


「あっれー、乃木じゃん。教室戻んねーんのかよ」
全く普段は関わりのない鳩クラスの奴が、やっぱり向こうからやってきた。
他校の生徒を児玉がやっつけてからというもの、教室では全く関わって来なかったのになぜか学食で話しかけてきたのは、児玉のせいもあるだろうけれど。
「……なんか用?」
無表情で幾久が応じる。
そうしながら、相手がなぜこっちに来たのかチラ見るすると、幾久は納得した。
あのむかつく鳩が一人、その後ろに知らない鷹が一人。胸元には恭王寮の所属であることを示す略綬。
(学年は一年か)
鷹が居るから気持ちが大きくなっているのだろうか。
話しかけてきたが、その雰囲気にはいやな感じしかしない。
「相変わらず伊藤君にべったりかよ」
ふんと馬鹿にしたように言うが、幾久は気にせず言い返す。
「擦り寄りしなきゃなんないからな」
幾久がそう言うと、伊藤と弥太郎、児玉も少し驚いた顔になった。相手をするとも、こんな風に言い返すとも思っていなかったからだ。
幾久がそんな風に言ったので、相手も少しひるんだようだ。幾久は続けて言った。
「だってオレが『伊藤君』に擦り寄ってるって言ったのお前だろ?」
幾久がそう言うと、伊藤がおや、という顔になる。
鳩のやつが口ごもっていると、後ろにいた鷹の一年がぐいっと前に出てきた。
「なにこいつ。鳩のくせにちょづいてんじゃん」
胸を張って見せているのは、茶色の鷹クラスを示すネクタイだ。
だが、そんなもの、幾久は毎日山縣で見慣れているし、そもそも鳳のネクタイだって二年生は全員そうなのだから、今更そんなものを見せびらかして何になるのか。だが鷹の奴は自慢げにふんぞり返っている。
なんかコイツむかつくな。幾久はそう思って言い返した。
「お前こそ、たかが鷹のくせにちょづいてんのな」
その言葉に、幾久以外全員が驚いていた。
まさか、この穏やかそうで優しそうで甘そうで、要するに舐められるような幾久がそんな事を言うとは思っていなかったからだ。
「なんだと?鳩が偉そうにしてんじゃねえよ」
「は?」
幾久は立ち上がり前に出る。煽ったはずの鳩の奴が、びびって一歩後ろに下がった。
幾久が立ち上がって向かって来るとは思わなかったのだろう、鷹もびびっているが、今更鳩に喧嘩を仕掛けてしまって、引き下がるなんて負け同然だ。
なので当然、胸を張ったまま、前に出る。
「先に声かけてきたのそっちじゃん。挨拶もまともにできないのか?」
「お、お前こそ、伊藤君がいるからってちょづいてんじゃねえってんだよ!」
こいつ、ちょづいてる以外に言えないのかよ、と幾久は呆れた。
「トシ、なんかあったら助けてくれよ」
幾久がわざとそう言うと、伊藤がばんっと足を広げた。
「おう、任せろや」
威嚇モードに入った伊藤は相撲取りのように両手を広げてぱちんと叩いて楽しそうに言う。すると鷹が急にびびり出した。後ろに下がっていた鳩が言う。
「伊藤君は関係ないだろ!」
「なんで?俺、幾久の虎の皮だろ?」
幾久ではなく伊藤が言い、鳩も鷹も黙る。弥太郎が突っ込みを入れた。
「それを言うなら『威』だよ、トシ」
「おお、そうだ。『威』だ『威』」
間違えた、と伊藤も弥太郎も笑っているが、目はじっと相手を見つめている。
人数でいうならこっちは四人、向こうは二人。分はこっちにあるけれど、実際に喧嘩をするわけじゃない。
「―――――幾久、」
児玉が立ち上がりかけた。
喧嘩を売られたのは幾久でも、もともとの原因は自分にあると思っているからだ。
だけどその児玉の腕を、弥太郎が引っ張ってとどめた。
「座ってろよ、タマ」
「けど、これって」
「いいからひっこんどけ。もうタマだけの話じゃねーよ」
ただの挑発にすぎなかったのに、それに火をつけてしまったのは幾久だ。
こうなってしまっては、もう終わるはずもない。
すでにこれは、幾久と、恭王寮の、むかつく鳩と鷹の喧嘩なのだ。
「は、鳩がなに威張ってんだよ」
「鳩鳩うるさいな。そういうお前、鷹で何位なんだよ。今回順位出たろ?言ってみろよ」
幾久の完全な挑発だったが、幾久には勝算があった。
中間試験で自分の順位を調べたとき、自分が鳩の何位で、鷹で言うならどの位置に居るかを確認した。
今回の試験で鷹を抜いていた鳩は七人いた。
張り出しには寮も名前が出る。
恭王寮の名前は、鷹の上の方では見なかった。
幾久は鳩の三位ではあったが、点数で確認すると鷹の半分より上に食い込んでいた。
鷹の半分は、幾久よりも落ちるという事になる。
つまり、幾久は余裕で鷹の圏内だ。
そして多分こいつは、そうじゃない。
「お前、今回何位だった?どうせ鷹でも下の方だろ」
「……」
鷹が黙ったままなので、自分よりも下に居る、と幾久は確信した。
「俺は鳩の三位だよ」
鷹が幾久を睨みつけた。
幾久はもう引き下がる気はとっくにない。
児玉に助けられたことや、自分が守るつもりで守られていた、そんな事が悔しくて仕方がない。
こいつにだけは、負けたくない。
今まで成績でそんなこと思ったことも無いのに幾久はそう思って、思った途端、鷹に言った。

「次はお前、落とすから」

幾久が言うと、ざわっと学食内が賑やかになる。
鳩と鷹の喧嘩だ。
ネクタイの色が違うのだから、一目瞭然だ。
傍で聞いていた連中もわくわくして見ている。
こんな面白いことは、そうないからだ。
注目を浴び、しかも自分のほうが立場は上のはずなのに、幾久の方に視線が集まっている。鷹は苛立ち、幾久を睨む。
「……んだとっ」
「思い出にそのネクタイとっとけよ。それともオレのやろっか?どうせ来期に必要だもんな」
幾久は自分でも驚くくらい、すらすらと相手を挑発する言葉が出てきて驚く。よくもまあ、こんな事が勝手に口からでるものだと自分でも感心する位だ。
そんな幾久の背後から、誰かがひゅうっと口笛を吹いた。
鳩のくせにかっけえじゃん、なんて冗談交じり、からかい混じりの声も聞こえるが、そのどれも幾久に敵意のあるものじゃなかった。
だから、かっとなった鷹はいきなり腕を振り上げて、幾久を殴ろうとした。
殴られる。
そう思って幾久はとっさに自分の頭を庇った瞬間、児玉が立ち上がり幾久を自分の背後に庇い、いつの間にか前に出て鷹の拳を握り、とめた。
「やめとけよ。洒落になんねーだろ」
あまりに鮮やかな動きで、ちらほらと拍手さえおこったほど、児玉の動きはすばやかった。
しかし、鷹の男は引き下がらなかった。
児玉がやりかえしてこない、むしろやりかえしてくれば問題だからそれを狙っているのは判る。
「うっせーな!どうせなんもできねーくせによ!」
やっぱりだ。
わかった上で児玉を殴ろうとしている。
鷹は引き下がらず、児玉が掴んでいる手ではなく、もう片方の手で殴ろうとして、児玉もそれを弾こうとした、その瞬間だった。

ぱんっという音と同時に、鷹の男が後ろへ崩れる。
てっきり児玉が殴ったのかと思ったが、鷹の男はぺしょっとしりもちをついた。
その男の両脇を抱えて背後に立っていたのは。
「いい加減にしなよ。目にあまる」
「桂、提督……」
鷹が言う。
「雪ちゃん先輩」
―――――そこに立っていたのは、恭王寮の責任者、つまり恭王寮提督、三年鳳、桂雪充だった。



鷹の背後から足払いをかけて足元を崩し、怪我をしないように背後から両脇を抱えるという事を、誰も気付かないうちに雪充はさっとやらかしていた。
勢いをくじかれた上に、寮でも一番偉い雪充を前にして、鷹は平身低頭だ。
丁度その頃、だれが呼んだのか、二年の高杉と久坂が慌てて学食に走りこんできた。
幾久たち渦中の面々は気付いていないが、高杉は幾久の近くに雪充が居るのを見てほっと息をついた。
雪充が居るなら、安心だからだ。

雪充のそんな登場にしん、となった学食の中、雪充の声が響いた。

「次の柳桜祭は女子を入校禁止にする」

その瞬間、どわあ、と声が上がった。
うわぁあああ、そりゃねえよぉ、という叫びがあちこちであがる。叫んでいるのは主に二年、三年で一年は何のことかわからずぽかーんとしている。
幾久も柳桜祭が文化祭というのは知っているが、なぜ雪充がそんな事を言うのだろうと思っていると、弥太郎が教えてくれた。
「雪ちゃん先輩、実行委員のエライ人」
いろんな事の決定権を持ってる、と聞いてああ、と幾久も納得した。
「ふざけんな女子禁止とかまじふざけんな!」
「なんで関係あんだよ!いま関係ないじゃん!」
「黙れ!」
雪充が怒鳴るが、幾久は雪充のこんな声を初めて聞いて驚いていた。内容より、(雪ちゃん先輩って怒鳴ることできるんだ)というとんちんかんな感心をしていた。
雪充の声に周りがしんとなっている。雪充が一番近くに居た千鳥の三年生に言う。
「どうせお前らモテないだろ。必要ない」
「そういう事じゃねえんだよぉおおお!」
「希望くれよ希望!」
「じょーし!じょーし!じょーし!」
「我々は断固、反対する!」
「黙れ」
雪充が言うと、ぴたっと騒がしい団体が静かになる。
雪充が再び、口火を切った。
「一年生がもめてんのに、誰一人止めないとかお前ら何考えてるんだ。頭悪いにも程があるだろ」
背が高くて超さわやかイケメンで、鳳のトップ付近にいる雪充にそんな風に言われてしまっては、誰も反論できない。
「頭悪い奴はモテないし彼女もできないから女子不要だろ」
「すみません桂先輩!おれら悪気はなかったんす!」
「悪い奴はみんなそう言う」
「いちばん悪いのはあの鳩と鷹の一年じゃねーっすか!」
「一年が悪いことをしてるのなら止めない二年三年はもっと悪い」
千鳥が訴えても、雪充はぱんぱんと歯切れ良く返していく。そんな雪充を見た事がない幾久は、ぼうっとしてすらいた。
「じょし!お慈悲を!じょし!」
「次はもう絶対に止めますから!女子だけは!」
「鳳様!桂様!提督様!お願いします!」
「おれたち、こうみえてすっげえ後輩思いなんですぅううう!」
叫び、大げさに訴える連中に、雪充はわざとらしいほど大きくため息をついた。
「反省している奴は挙手!」
雪充が言うと、ばっ!ばっ!ばっ!と手が挙がる。
両手を思い切り挙げたり、食堂の椅子に立って必死に挙手している者もいる。
「お前ら、手ェあげろ!」
そう、二年か三年かの千鳥が怒鳴る。二年、三年は手を上げているが、意味が判らない一年はおろおろしているからだ。
「いーから一年、手ェあげろっつってんだよ!」
千鳥の声の大きな誰かが怒鳴り、慌てて一年生も挙手をする。弥太郎も、伊藤も、児玉も挙手している。
『いっくん、挙手、挙手』
こそっと弥太郎に言われて、幾久も挙手する。
じっと雪充が誰かを見ている。幾久に喧嘩を売ってきた、一年の鷹と鳩だ。
二人は顔を見合わせて、しずしずと手を上げる。食堂に居る全員が、手を上げているのを確認すると、雪充は言った。
「二年、三年は反省して次はこういったことを起こさせるな。一年は自重するように。以上!」
雪充が言うと、「はいっ!」といい声で返事があり、全員がほっと肩を下ろし、ぱちぱちと拍手が起こっていた。


雪充が学食を出ると、学食は再び元の賑やかさを取り戻した。一年生はさっきの雪充の姿を見て、あれ一体誰?とか回りに尋ねている。
近くに居た二年、三年があれは三年鳳の桂って言ってさ、と雪充の噂話に入っていた。
幾久は一気に疲れて、どっと椅子に腰を下ろした。
「幾久、やるなお前」
「いっくん、すごいね。やっぱけっこう武闘派なんじゃん」
ウエーイ、となぜか伊藤と弥太郎がハイタッチしている。幾久にも当然ハイタッチを求めるが、幾久は軽く手を上げただけだ。
「やめろよ。あんだけ出るとは思わなかった……」
あれはもう間違いなく、山縣のせいだ。
毎日毎日、はーと、はーとと事あるごとに馬鹿にされていたから、最近では何回も「鷹うるせー」とか「鷹は鳴かないんすよね黙れ」とか「鷹落ちって楽しいっすか?」とやり返していたせいで、いつの間にかそういった攻撃に免疫が出来てしまっていた。
今日の鷹のやつの文句なんて、山縣に比べたら挨拶みたいなものだ。
(これ絶対、ガタ先輩のせいだ)
いつの間にか山縣に鍛えられていたなんて、なんだか勝ったのに負けた気分で、幾久はげんなりする。だけど弥太郎と伊藤は気分が良さそうだ。
そしてなぜか、席の周りに鳩クラスの連中が集まってきて、幾久はばんばん頭を叩かれた。
「やるじゃん乃木、おれ見ててスカーッとしたわ」
「すげえよ、お前大人しそーなのに、あんな啖呵切るんだな」
「次はお前落とすとか、成績良くなきゃ言えねーよ、かっけえ!」
口々に鳩や千鳥の生徒がそう褒め称えるが、幾久は恥ずかしくてたまらない。
「や、もうホントなんかスンマセン」
「なに謝ってんだよ、面白いなお前!」
わはは、と千鳥や鳩が笑っている。いつも下に見られているから、鳩が鷹にやりかえしたのが楽しくて仕方がないのだろう。
盛り上がったままの連中が、児玉に話しかけた。
「なあなあ、あんたさ、なんかやってんの?ガツッツガシッて掴んでたじゃん!めっちゃかっこええ!あれやべーよまじでやべー!」
シャドーボクシングみたいに、腕をしゅっしゅっと動かし、千鳥が尋ねてきた。
戸惑う児玉に、弥太郎が答えた。
「タマ……こいつははボクシングやってるんだよ」
「えー!マジで?すっげえやべぇ!鳳で頭いいのにそんなんもできるとか!」
素直に目をきらきらさせて尊敬の眼差しで見つめている。
「ボクシングは最近で……」
児玉がぼそりと言うが、盛り上がった千鳥の子はくいついてきた。
「うっそ!動きシロートじゃねえじゃん!」
「合気道とか昔やってたよ、コイツ」
伊藤が言うと、まじで?まじで?とその千鳥の子がくいついてきた。
「まじでぇ?なんすかそれかっけえ!漫画かよ!」
千鳥の子はおれもボクシング習いにいこっかなーと腕をしゅっしゅっと動かしている。
「習うなら、行ってる所教えるけど」
「え?マジでほんとに?このへんジムあんの?」
おれいってみてぇ!と食いつく千鳥に児玉はちょっと楽しそうだった。
児玉の様子に、幾久も弥太郎も伊藤も、にっと顔を合わせて笑った。幾久に喧嘩を売ったあの二人は当然、とっくの昔に学食からいなくなっていた。


「なんだ、心配することなかったな」
久坂が言うと高杉も「まぁの」と答える。
ちょっと遠目で幾久達の様子を確認して、心配ないと安堵した高杉と久坂は、教室へ戻る事にした。
今回は雪充の独壇場だ。
自分達が出る幕はなかった。
「なんかちょっと懐かしいね。雪ちゃんのあの啖呵」
「おお。久しぶりに見たな」
雪充は滅多な事では声を荒げないし、感情的になることなんかまずない。
だけど、毎日が戦争みたいな御門寮では、割と雪充はあれをやっていた。
久坂や高杉にとっては幼い頃からの慣れた雪充のお説教でも、普段の大人しく物静かなイメージしかない人にとってはかなりのインパクトがあるらしい。
「ま、雪ちゃん出れば、大抵の事は片付くよ。実際今日もそうだったし」
それにしても、と久坂は苦笑いをする。
「いっくん、あれガタのせいであんなの言えるようになったんだよねぇ、間違いなく」
「じゃろうの」
高杉はため息をつく。
「ったく、ガタの馬鹿はろくなことを教えん」
「でもさ、そのおかげで、ちゃんと反撃できてるんだし」
馬鹿は放っておけばいい、なんていうのが定説だけど、実際目の前に邪魔しにくるやつはどうしようもない。その度に雑草を引き抜くように、毎回毎回、やっつけるしかないのだ。
むっとしている高杉に、久坂は悔しいんだろうな、と高杉の心のうちを見る。
山縣がこういった事を想定して、幾久に日々喧嘩を売っていたわけでは絶対にないけれど、あの馬鹿げたやり取りの中で幾久が「仕返し」を学んだのは間違いない。
子供みたいで馬鹿げていて、大人気なくて、どうしようもない。
だけどその、馬鹿げた意味のない、棘みたいなささいなものが、今日の幾久を戦わせたのだ。
「別にさ、自分からわざわざやり返す必要はないんだよ。棘ひとつ、あればいいんだからさ」
たったひとつ、ちくりと刺すものがあれば、そう簡単に近寄ってこない。
それは身を守るのに必要なことだ。
その単純なことに気付くのに、どれだけの時間がかかるのか。
幾久は間違いなく、山縣からそれを学んだのだろう。
「今回は、ガタに軍配かな」
久坂が言うと、高杉が舌打ちした。
本当に心底悔しいのだろう。まあそれも仕方がない。
「ガタって、本当に無駄なことしかしないし、無駄なものしか持ってないけど、それもアリっちゃありなのかもね」
徹底した実利主義の、無駄を嫌う高杉が、無駄でどうでもよくて、よく判らないことに心血を注ぐ山縣を嫌うのは久坂も理解できる。
久坂も高杉と同じ感性だ。だから高杉の悔しい気持ちも理解できてしまう。
「腐っても先輩ってことだよ、ハル。来年までに超えてりゃいいんだし」
「わしがガタの下ちゅうんか」
「お互い頑張らないとねぇ。いっくんだってそう言ってたわけだし」
ふふ、と久坂が楽しそうに笑う。

毎日馬鹿だな、とスルーしていた山縣と幾久のあの無駄な会話が、こんな場所で生きることもあるのだ。
だから高杉は悔しいし、その無駄の意味を考える。
きっとまた、心の中ではいろんな事を思うのだろう。

無駄な三年って奴だよ。
そう楽しそうに言っていたのは宇佐美だったろうか。
昔の事を思い出して、久坂はこの『無駄な三年』の学生生活の意味が、なんとなく判ってきたような気がした。


岡目八目・終わり



2016/04/03 up