夜の踊り子
(1)夜の踊り子
五月も半ばを過ぎ、一年生も寮の生活になじみ始めた。
そんな頃に発表されるのが前期、つまり一学期の中間テストの範囲だ。
報国院高校、全寮制の男子高校であるこの学校では定期テストと言うのはかなり重要な意味を持っている。
というのも、この定期テストの結果で所属するクラス、寮、が違ってくるからだ。
上位十五パーセントが所属する『鳳』は報国院のある長州市でもトップになるレベルで、寮も殆ど希望する寮に入ることが出来る。
成績がよければ信用されるという制度なので、当然寮生の自由度も高くなる。
そのまま成績が下がればその分寮での拘束も増すので自由が欲しい生徒は当然勉強に励むことになる。
「おい幾久、試験勉強見ちゃろうか」
夕食後にまったりとしていた幾久に、そう声をかけたのは同じ御門寮に所属する、二年生の
高杉呼春だ。
「え、いいんすか?ハル先輩は?」
「わしらの範囲は想像がつくけぇ。それよりお前の成績をどうにかせんにゃあいけん」
皆がいう所の「年寄りくさい」長州弁まるだしで高杉が言う。
寮は家のようなものなので、つい気が緩んで方言丸出しになるらしい。
「あ、それはいいね、いっくんには是非、
鳳に来てもらわないと」
「そうそう、やっぱ御門は鳳だよね!」
高杉と同じ二年生で、しかも幼馴染である久坂と吉田もうんうんと頷く。
この三人組の二年生は全員が最高クラスの『鳳』に所属している。
つまり、成績のいい人たちだ。
それを見ていた三年の
山縣がケッと馬鹿にしたように言う。
「は?なにが鳳だ。鳩ごときが来れる訳ねーじゃん。調子のってんじゃねえよ」
嫌味な言い方をするのは幾久が嫌いだから、という訳ではない。
山縣は常に、誰に対しても何に対しても全方向にこうなのだ。
「たかが『鷹』のくせに山縣うるさい」
「そうそう、たかが。鷹だけに」
そう二年生の吉田と久坂がたたきつける。
「なにそれ、ギャグのつもり?まじ笑えないんすけど」
気にせずに山縣が言うが、高杉が静かに「ガタ黙っちょれ」と言うとぴたっと言葉を止める。
山縣は三年のくせに二年生の高杉を心酔していて、絶対に高杉には逆らわない。
「でもガタ、ぼちぼち鳳に戻らないとまずいんじゃないの?御門、希望者出てるよ」
「はぁ?そんなん余裕ですしおすし。夏前に一気にブーストかけるっつうの」
ごろんごろん転がりながら、それでも目は持っているPSPに釘付けだ。
「ガタがだらけるのはいいけど、いっくんの邪魔すんなよ。大事な一年生なんだから」
幾久をねこ可愛がりする吉田が言う。
「しねーよ。そもそも鳩だろ?御門のレベル下げてんのそいつじゃん」
本当の事を言われれば幾久も反論できない。
「それより幾久、教科書持って来い。傾向と対策練るぞ」
「あ、ハイ」
山縣が出てくると面倒になるので、幾久は高杉に言われたとおり教科書を持ってくる。
性格や考え方に癖のある先輩達だったが、勉強の実力は本物だからだ。
教科書を持ってくると、居間のちゃぶ台の上に広げられ、二年生があれこれ話を始めた。
あの先生ならきっとこういう問題だ、いや、それは去年だから今年はこうだ、このあたりが狙い目だ。
多分、入学してすぐなら幾久も先輩達を疑いもしただろうけれど、いざ授業が始まってから幾久の目からは鱗が何十枚も落された。
クラスのレベルの違いを確認するという意味もあって、報国院では別の学年、クラスの授業を受けることが出来るのだがそれを受けて幾久はびっくりした。
鳩、鷹については鳩のレベルが上がったのが『鷹』という感じではあったが、鳳はすでに大学の授業のようだった。
聞けば『鳳』は二年生の時点で高校の授業を全て終えて、三年は受験対策をしつつ、基礎力を磨きなおし、尚且つ学校生活も充実させるのだという。
授業のスピードも内容も半端なく、皆が『鳳は別物』という意味が嫌と言うほど理解できた。
(確かに、あの成績ならなんも言えねーわ)
その鳳の中でも上のレベルにいるという二年生三人がこの寮にいるのだから、試験に関しては心強い。
普段の態度からは考えられないが、やはり勉強ともなるときちんとしていた。
「試験の対策はいいけどさ、流石に一気に鳳まで上がれるかなあ」
うーん、と吉田が唸る。
「さあねえ。僕ら鳳以外知らないし」
久坂の言葉に幾久が尋ねた。
「え、そうなんスか?」
「おお。わしら全員、ずっと鳳なんじゃ」
「お前とはレベルがちげえわ」
やはり山縣のツッコミが入るが、高杉が睨むと大人しくなる。
「まあでも、できる限りやるっす。いい成績とりたいし」
そうでなければ、またヒステリックな母親がなんというか。
そう答えると久坂が言う。
「この前いっくんにやらせたテスト見ると、悪くないと思うんだけどね。あとは他の連中がどう出てくるか」
「他?」
幾久の問いに吉田が頷く。
「だって上位からのランキング制なんだからさ、いくらいっくんが頑張っても他がもっと凄けりゃ追いつかないわけだし」
「あ、そか」
「他がサボってくれればいいんだけど」
「どうなんっすかね」
素直に疑問を口にする幾久に、吉田が難しいじゃないの、と言う。
「入りたい寮とか狙ってたクラスに入れなかった、って一年が一番頑張るのがこの最初の試験だからねえ」
報国院は全員が寮に入る決まりだが、寮がいくつもあり、寮ごとに特色がある。
その中でも一番際立っているのがこの御門寮で、問題児ばかりと言われる御門寮だったが、それを希望する変わり者もいる。
一年で、鳳クラス、現在は恭王寮に所属している児玉もその一人だ。
「タマちゃん、本気出してくるだろうね」
ぷぷっと吉田が楽しそうに言うのを見て、幾久はやめてくださいよ、と言う。
「ほんっと、すごい本気ですよ、児玉君」
鳳になって御門寮に入りたかったという児玉は、鳳クラスでもないのに御門寮に所属している幾久にひっかかるものがあるらしい。
とはいえ、からまれた幾久を助けてくれたこともあるのでそこまで嫌っているわけでもないだろうが。
「まあでも鳳にいればここに来る可能性もあるわけだからねえ。タマちゃんもがんばって欲しいよね」
「いっくんに引きずり下ろされなければいいけどね」
久坂がいつものように、穏やかならないことを言う。
「いや、そこは一緒に頑張ればいじゃないですか」
「いっくん、ほんっとあれだよ、正しいよね」
どこがどうそうなのか、感心して久坂が言うと吉田もうんうんと頷く。
「ほんっと、この素直さ、
瑞祥もありゃねえ」
瑞祥とは久坂の名前だ。幼馴染のこの三人は互いを名前で呼んでいる。
「本当にそうじゃぞ。見習え瑞祥」
「ハルまで」
なんだよ、と瑞祥も言うが決して気分を悪くしたわけでもないらしい。御門の日常はこんなものだ。
御門ではなぜか、幾久は常にやれ、素直だ、真面目だ、と言われている。
自分では決してそんなつもりはないのだが、言われることが多い。
それというのも原因は、幾久が亡くなったという久坂瑞祥の兄、久坂杉松に似ているせい、らしい。
(オレ、んな真面目でもねえと思うんだけどなあ)
他人と比べても自分がそう真面目なタイプとも思えない。
しかし先輩達の目には真面目で素直に映るらしい。
(まあ、なんか判らんでもないけど)
幾久が特別素直なのではなく、この御門寮にいる人たちがなんというか、幾久の想像とはまた違って問題児なのだった。
それでも去年よりはよっぽど大人しいと先輩に聞いて、一体去年はなにをやらかしたんだと不安になるレベルだったが。
先輩達が教えてくれる勉強は、流石トップクラスというだけあって判りやすかったし、傾向も対策もなるほど、というものが殆どだった。
「でも先輩ら、いいんすか?自分の勉強もあるんじゃ」
いまは五月の中旬、テストは五月の最終週から六月の頭までの週にある。
当然二年も同じ期間が試験週間なので自分たちの勉強もあるはずだが。
二年のトップクラスにいる三人はけろっとして言う。
「まあ、大丈夫じゃろ。大体判る」
「そうそう、毎日ちゃんとやっとけば、ちょっと復習すればいいわけだし」
「一応、勉強はしてるよ」
そうなのか、と幾久は納得する。
「ま、いっくんは風邪ひいたりしないように、それが大事っしょ!」
吉田が言うと、高杉も頷く。
「そうじゃ。なによりそれが一番じゃぞ」
「いや、もうこの季節なんで大丈夫っす」
すでに暖かくなっているし、風邪をひくような無理もしていない。
「それより先輩らのほうが気になるッす」
気にするな、と言われても鳳のレベルは高い。
自分にかまけて成績が落されたらやっぱりいい気持ちはしない。
「じゃ、ここで僕らもやろうか」
久坂が言うと、高杉がそうじゃな、と言う。
「そうじゃの。そうすりゃわしらも気兼ねなく、幾久に教えてやれるしの」
「そうだねえ。そしたら休憩もできるし」
「俺反対!」
山縣が言うが、吉田が言った。
「試験終了まで、居間を勉強部屋にすることに賛同するものは挙手!」
え、え、と幾久が戸惑っている間に吉田、久坂、高杉の三人がばばっと手を挙げる。
「派閥政治反対!」
山縣が言うが、吉田がニヤニヤと山縣に尋ねた。
「で、ガタはどこ派閥?」
そんなの聞かなくても判っている。
「……高杉派」
「はい、けってーい。賛成多数により、居間を勉強部屋にする案が可決されましたー」
ぱちぱちぱち、と拍手がおこる。幾久はまたか、と呆れた。
これが御門の日常で、つまりは二年生の独裁政治そのものだ。ただ、その内容にそこまで不満もないので幾久は何も言わないが。
山縣もどうせ高杉に従うんだからやめとけばいいのに、性格なのかよく突っかかる。
その度にさっきのように、賛成多数可決をされてしまうのだが。
「ガタ先輩も勉強しましょ?」
幾久が言うと山縣が突っかかった。
「てんめぇ、いま俺に同情したな」
「いやしますよ、だってガタ先輩かわいそう」
「鳩が同情なんかすんじゃねえ!」
「煩いガタ。勉強部屋では静かにしろ」
高杉が言う。
「そうそう、みんなの迷惑ですよ、めーいわーく」
茶化すように吉田が言い。
「だって」
と、久坂がイケメンを発揮してすごい笑顔で言う。
むっとした山縣が「風呂!」と怒鳴って風呂場に向かった。
山縣が風呂場へ向かうと、今は二年生と幾久の四人になった。
傍から見たら仲が悪いようにすら見えるのに、これでうまくいっているのだからこの寮は不思議だ。
「でもいっくんも大分、ガタの扱い判ってきたよね」
吉田が言う。
「あ、ええ、まぁ」
最初は山縣がどういう人なのかさっぱり判らず、山縣の悪口を言う二年生に反抗したらなぜか当の山縣に嫌がられ、文句を言われるという事になってしまった。
結果、入寮早々に喧嘩までしてしまったが今はそんなことはない。
「ほんっと、ガタ先輩って正直っすよね」
オタクで引きこもりで友人もオンラインにしかいないレベルの山縣だが、いい意味でも悪い意味でも正直者だった。
思ったことを素直に口に出し、それ以上の事はない。
腹が見えるといえば聞こえはいいが、言わなくてもいいことを口に出すのでトラブルも多いらしい。
しかし山縣自身はそれを全く気にしていないようで、嫌われていても「で?」で終わる。
だから幾久は、そこまで山縣が嫌いではなくなっていた。
嘘はつかないし、なんとなく、憎めない所もある。
どんな嫌なことも質問すれば、正直に答えるし、他人の話をちゃんと聞く。
聞いた後の答えがあまり誉められたものではない事が殆どだが、それでも上手く誤魔化したりしない所は判ってきていた。
さっきも癇癪を起こしていたが、おこせばそれで終わってしまうので多分、風呂を上がってくる頃には機嫌も直っているだろう。
「ま、あいつもぼちぼち鳳に戻らんといけんけど、多分今回の試験はスルーじゃろうの」
「だろうね」
おれ、教科書取ってくる、と言う吉田に久坂と高杉が自分たちの分も、と頼んでいた。
「ガタ先輩って、頭いいんですか?」
高杉達に勉強を教わりながら幾久が尋ねると、久坂が答えた。
「あ、うーん。なんていうか。興味のあることなら頑張るよね」
パソコンとか、と言う言葉にああ、と幾久も頷く。
学校から寮に戻ると速攻部屋に引きこもってゲームばかりしている山縣は、パソコンやインターネットの知識もスキルもかなりあるほうだという。
一方、二年生の三人はさほどでもないらしい。
たまに高杉がスマホでなにか見ているくらいだ。
「じゃあ勉強には興味あるんですかね?」
不思議に思った幾久が首をかしげると、久坂が困ったように答えた。
「誤解を生むような言い方だけど、ガタが興味あるのはハルだからさあ」
ぞわわっと高杉が体を振るわせた。
「キモい言い方すんな」
「えー、でもそうでしょ」
確かに、山縣の高杉への心酔っぷりは半端じゃない。
以前『高杉は俺の嫁だ!』と幾久に怒鳴って高杉に蹴っ飛ばされたくらいだ。
「え?じゃあひょっとしてハル先輩が鳳だから?」
まさかね、と幾久が苦笑いしながら言うと、勉強道具を抱えた吉田が言った。
「そうだよ。ガタはハルしか目に入ってないもん」
「え、マジですか」
それ引く、と幾久が言うと吉田が「おれもー」と笑いながら言う。
「でもそんなんに一々引いててもしょうがないし」
「なんでそこまで、なんすかね」
確かに高杉は不思議な雰囲気もあるし、けっこうお洒落だし、成績もいい。
存在感もあるので憧れている一年生もいるのは幾久も知っていたが、山縣はそのどれよりも突き抜けている。
「なんか、中坊の頃に高杉にすごい感銘受けたとからしいよ」
「え?同じ中学なんすか?」
「そそ。ハルが二年生で、ガタが三年。いまと一緒だね」
そんな頃に、学年がひとつ下の高杉に何を感じたのだろうか。
「同じクラブだったとか?」
「違う」
高杉がむすっとして言う。あまり触れられたくないのだろう。
吉田が幾久に説明した。
「ガタさ、中学の頃登校拒否してたんだよ。いまはああだけど、あいつ中学の時はもうびっくりするぐらい太っててさ。あとあの性格もあっていじめみたいな目にもあってたみたいで」
「……太っていたはともかく、いじめにあってもあの人気にしそうにないっすよ」
三年前の山縣の性格は知らないが、そういう目にあっても鼻で馬鹿にしそうなのだが。
「そうそう、全く本人気にしてなくって。で、なんかの時に学校に来たとき、ハルとブッキングしたらしいんだよ。生徒指導室だっけ」
「そうじゃ」
高杉が静かに言う。
生徒指導室、というと高杉もなにか問題を起こしていたのだろうか。そういえば確かに、ちょっと荒れた頃があったと高杉から聞いたこともあったけれど。
「で、なんかハルが言ったことにすごい感動したらしくって。ハルの希望進路が報国院希望って聞いて、それだけで報国院目指したって言う」
「馬鹿っすね」
思わず口に出して言うと後ろから足で軽く蹴られた。
「誰が馬鹿だ誰が」
シャワーを浴びただけなのか、もう風呂を上がったらしい山縣が、幾久の背を軽く蹴ったのだった。
「なにすんすか。勉強の邪魔っす」
「いまお前ら話してたじゃん、勉強してねーじゃん」
「あーあ、ガタが邪魔する」
もー、と吉田が言うが、山縣はふんっと鼻を鳴らす。
「いいからさっさと風呂いけよ。ガス代勿体ねえだろ」
「あ、じゃあ先に僕らが入ろうか」
久坂が言うと高杉がそうじゃな、と言う。
「じゃ、今日はいっくん、おれと風呂ね!」
「あ、はい。それでいいっす」
この寮に風呂はふたつあったが、今は人数が少ないので普通の家にある家庭用の大きさの風呂を使っている。
時間の都合もあるが、大抵二人ずつ一緒に入る。
高杉と久坂は風呂以外、どこでも一緒なので二人だったが吉田は山縣や幾久と、空いている誰とでも一緒に風呂を使っていた。
高杉と久坂が風呂に向かったので、幾久はわくわくしながら山縣に尋ねた。
「ガタ先輩、なんでそんなにハル先輩のこと尊敬してるんすか」
「は?見りゃわかんだろ」
「判るわけないだろ」
呆れて吉田が言う。
「なんていうか、もし全知全能の神がいたら絶対に高杉だと俺は思うね」
「あー、ハイハイ」
また馬鹿げた事を言い出した山縣にこりゃ駄目だと幾久が後ろを向く。
「なんだよ、てめえから聞いてきたくせによー」
「ちゃんと教えてくれたら聞くっすけど、ガタ先輩意味わかんないっす」
はー、とまるで幾久が悪いようにため息をつく山縣だったが、いつものことなので幾久も気にしない。
「高杉は俺の世界に新しい価値観をもたらしたんだよ。だから俺の神なの」
「価値観……」
またぼんやりとした言葉だな、と思ったが山縣が言った。
「ま、そのあたりは内緒だけどな。なんたって俺と高杉の秘密だし!」
「いや、おれも知ってるよ?」
吉田の突っ込みはあえて無視して山縣は両手を神に祈るように大げさに組んで言う。
「とにかく、俺の価値観はそんときに目覚めたわけ!だから神なの!」
「はー、わかんないっす」
「そのうち判る」
そう変に格好つけて、山縣は冷蔵庫からジュースを出してそれを飲みながら部屋へ向かった。
「おやすみー」
まだ多分、山縣は部屋に戻って何時間もゲームをするのだろうけど吉田が言うと山縣が「おう」と返事をする。こういうところはちゃんとしている。
「ガタ先輩、ジュースとか好きっすよねぇ」
「ああ、でもカロリー計算はばっちりしてるから大丈夫だろ。もう絶対にデブには戻らないよあいつ」
吉田が楽しそうに言う。
「そんなに太ってたんすか?」
「だって三桁だよ。デブだろ」
「三桁……」
ということは、百キロ超え?ええ?まさか、と驚く幾久に吉田が言う。
「本当。おれも最初は疑ったけど」
「なんであそこまで痩せたんすかね」
いまの山縣はデブの欠片もない。
どころかむしろ逆に細いくらいだ。
百キロ、ということは今の倍近い重さがあるんじゃないだろうか。
「ハルに憧れて、ハルみたいになりたいって思ったかららしいよ」
「だからって……」
それで五十キロも痩せるもんなんだろうか、と思ったが、幾久をからかっているわけではないらしい。
「そんなに憧れるなにがあったんすかね」
「や、単純だよ。ガタが気付かなかったことを、たまたまハルが答えただけってことで。ハルってちょっと面白い考え方してるだろ?」
「確かに」
思いがけないことを突然目の前に突きつけて、考えさせるようなことを高杉はいう事がある。
実際、それで幾久も進路をかなり悩んで、いまも考え中だ。
「ハルのそういう部分で感銘を受けて、すごい憧れて、絶対にハルと同じ学校で同じ寮に入るんだって。それでトラブルも多かったらしいけど、あいつ、その部分は一貫してるからしょうがないっていうか」
「なんか判ります」
本当に山縣は呆れるくらいに高杉が好きでいるというのは判る。
高杉は露骨にその表現を嫌ってはいたけれど、共同生活で排除するとかそういうことはしない。
高杉が嫌っているのは山縣のわけのわからないスラングの多用のせいもあるとは思うけれど。
「でも、ほんと凄いですね。百キロからいまのガタ先輩だったら、殆ど一人分の重さあるじゃないですか。そのダイエット本とか出したら売れるんじゃないですか?」
「いやーどうだろ。あいつああ見えて根性あるからなあ。ダイエットも周りが止めるレベルで本気だったらしいし」
「そんなに」
学校から帰ったらゲーム漬けの山縣からは想像もつかない。
「最初はもう、ほんっと中学、全校の笑いものだったくらい。おれも後から聞いて『あの走ってるデブ?』とかびっくりしたレベルだったし」
「そんな有名だったんすか?」
「もうそりゃねえ。休み時間になった途端、走り続ける百キロのデブって嫌でも目に入るでしょ」
「休み時間?」
幾久が言うと吉田が頷く。
「おれら学年違うじゃん?で、人数もわりといたから三年とか知らないわけよ。そんであるときから、休み時間になるたびに校庭で必死に走ってるデブがいるわけ。目立つじゃん」
「……そっすね」
「で噂でそいつが苛められてて不登校、っていうのも耳に入るわけ。そいつが急に学校に来はじめたら休み時間ごとに走り続けてんの。中休みも、昼休みも、放課後も」
「……」
それは目立つ。確かに凄く目立つ。
「元々苛められてたわけだから、からかったりもされるし馬鹿にするやつもいるだろ?でもあいつ、全く気にしねえの。最初は先生も『いじめで走らされてるんじゃないか』とか疑ってたくらい」
「そりゃ、そう思うっすよねぇ」
「もう女子なんかひでえよ。動画とってネットにあげて笑いものにしたり」
うわ、と幾久が引く。確かに性格の悪いやつならそんなことをしそうではあるけれど。
「当然それが学校にもばれて、市の教育委員会でも問題になったんだけどさ、ガタ、斜め上の事やらかしたんだよ」
「なにやったんすか」
「動画を自分でupした」
「……」
なんだそれは。
さっきまで山縣がひどく苛められている話じゃなかったのか。
「しかもそれを自分で編集して面白おかしくして『デブの俺がダイエットしている様子を晒す』とかネットに上げて、女子の上げた動画をさんざん『編集しろよ馬鹿』とか『面白くねえ』とかネットで叩きまくって炎上させた」
「うわあ……」
山縣の性格を知っているだけに、どっちに同情していいか判らなくなってきた。
「なんかああいうノリってネットの一部ではウケたらしくて。動画あげた女子は親バレで携帯取り上げ。他のやつらも『動画はやりすぎ』って逆に引いてたし、その女子、希望の進学先も落されたんだと。それは当然だとおれは思うけどね」
「確かに、動画はやりすぎっすね」
「で、ガタの馬鹿は調子にのって、それからダンスを習い始めて」
「ダンス……」
「太ったままだろ?腹がたゆんたゆん動く状態で激しいダンスで、しかもすんごいへったくそで、でもそれがもうめちゃくちゃ面白いわけ。で、それを自分でまた面白い動画にして」
「……すごく才能の無駄遣いっすね」
「そうこうするうちにどんどん痩せていって、一年後にはもう今のアレだよ。痩せたら踊っても面白い動画じゃねえとか言ってその動画も消したし」
「わけがわからないです」
「でも行動は一貫してるだろ?ガタらしいっつうか」
「確かにそうですけど」
しかしすごいメンタリティだ。
学校中の笑いものになっているのに、おまけに馬鹿にされて動画なんかupされているのに逆にそれを笑いに替えてしまうとか。
「ほんとどんだけ凄いメンタルしてるんですかガタ先輩」
「逆に言えば、そのくらいなんでもない目にあってたんじゃないかってハルは言うけどね」
はっと幾久は顔を上げる。
吉田が、少し大人びた表情で幾久に説明した。
「おれらが、ハルってすげえな、って思うのは、そういう所だよ。だからガタが、ハルを心酔するのはちょっと判る」
そんな風に幾久は全く考えなかった。
さっきまでの話では、山縣のメンタルがまるで鋼のように頑丈で、ふてぶてしい性格がそういうことを気にさせないのだとしか思わなかった。
でも、もし、全校に笑われるくらいなんでもない、という目に山縣があっていたのだとしたら。
「それが本当にそうなのかは判んないけどね!」
吉田がわざと明るく言ったのは、少し雰囲気が重くなったからだろう。
幾久もそれに気付いたが、「ガタ先輩見てたら、そんな風には思えないっすけどね」と返した。