夜の踊り子

(3)夜の踊り子

折角風呂に入ったのに、池に落ちてずぶぬれになってしまったので幾久はもう一度シャワーを浴び、居間に戻ると山縣が正座をさせられている真っ最中だった。
そしてその隣に正座させられているのは、さっき見た『トッキー』と自己紹介した男だった。
「ああ、いっくんあがった?」
「怪我はしちょらんか?」
心配する吉田と高杉に大丈夫っす、と答えると二人はほっとした表情になった。久坂は黙ったまま、いつも通り浴衣の袖に両腕を通している。
「えーと、あの」
なんとなく山縣が追い詰められているのは判ったので、一応気をつかって幾久は山縣に声をかけた。
「ガタ先輩、久しぶりッス」
「お前、いまそれ言う?」
空気読めねーな、という山縣に対して隣のトッキーは楽しそうに幾久に声をかけた。
「オッス!うわさのいっくん!オラトッキー!」
「や、それはさっき聞いたっすよ」
幾久の言葉に、トッキーは噴出した。
「ほんとだ!全く空気読んでない!」
げらげら笑うが、この人のほうがよっぽどこの空気を読めていないとしか思えない。
高杉もだけれど、久坂も吉田も苦虫をつぶしたような顔をしている。
(ってことは先輩なのか)
なるほどなーと幾久は納得する。このいろんな意味で傍若無人な先輩たちは基本俺様だけど、一応先輩には気を使う。山縣に対しては悪い意味で別格扱いだったけれど。
「ガタ」
高杉が一言言うと、山縣はがばっと土下座する。
「本当に申し訳ありませんでしたっ!」
「いやいや、悪いのはきょーちんじゃないよ?」
「お前だあああ!」
「そう、おいらおいらー」
山縣のことを『きょーちん』なんて気軽に名前で呼んでいるところを見ると、親しい関係のようだけど。
(そういやガタ先輩を名前で呼ぶ人って、麗子さん以外にはじめてだな)
寮母の麗子さんは、寮生をみんな名前のあだ名で呼ぶので、山縣の事も名前の矜次をもじって『きょうちゃん』と呼ぶが、生徒が呼ぶのは初めて聞いた。
山縣は必死に隣に居る『トッキー』の頭を下げさせるが、男は全く反省の色を見せない上になぜか両手でピースしている。
結果、土下座させられながら両手はピースのままというわけのわからない状態になっていて幾久は呆れた。
しかし正直、こんなどうでもいい謝罪は本当にどうでもいいのだけれど先輩達の怒るに怒れない、といった空気が嫌で幾久はトッキーに尋ねた。
「てか、なんなんすか?その服」
さっきは暗闇と驚きのあまり、のっぺらぼうにしか見えなかったが良く見ると変わったジャージだった。
「あ、これ?これねー」
ちー、とジッパーを上げていく。普通はフードつきのパーカーは首元でジッパーが止まるようになっているが、そのパーカーはジッパーが完全に上まで、つまりフードの部分も全部閉じるようになっている。
フードを頭からかぶった状態でジッパーを完全に閉めてしまうと頭の形が布越しになってしまうので、暗闇だと上半身が全身タイツか、ボーリングのピンの形に見える。それになにか変わったデザインの印刷もしてある。
「それって、全部閉じたら何も見えなくないっすか?」
顔も全部覆われてしまうのだが、トッキーは首を横に振る。
「あ、これ、この部分からちょっとだけ見えるようになってんの!外からは見えにくいんだけど、内側からはばっちり!」
目の部分を内側から指で押して言う。よくみると印刷はパーカーのフードにしてあって、ジッパーを閉めるとなにかのキャラクターの顔になるようになっている。アニメかなにかのキャラクターということは、つまり間違いなく。
「ガタ先輩のお知り合いですか?」
「お知り合いって。きょーちんの親友だよおいら」
「え?だってガタ先輩、友達はオンラインにしかいないって」
「こいつはオンラインの存在だ!」
「あーもう、ガタも直ちゃんも黙って」
頭痛をおさえるようなわざとらしいポーズで吉田が止めに入る。なおちゃん、と吉田が呼んだという事は結局幼馴染とか、知り合いとかだろう。
「えーと、いっくんごめんね?悪いのはこいつらだから」
「や、先輩らもっすよ」
幾久は首を横に振った。それは山縣がちょっとかわいそうだなという気持ちもあったし、実際他の先輩達のせいもあるなと思ったからだ。
先輩らも、という言葉に吉田と高杉、久坂もだが、山縣もトッキーこと時山も驚いた顔を見せた。
「だって、あの光ってやっぱトキヤマ……先輩?だったんじゃないんすか。栄人先輩、街灯だとか嘘ついて」
「あー……うん、それはまあ」
「ってことは雪ちゃん先輩も知ってたってことっすよね?」
「まあ、うん、」
「じゃあ、先輩らも悪いんじゃないんすか。なんでわざわざ街灯がどうとかごまかしたんすか?」
吉田と高杉と久坂が顔を見合わせるが、久坂はふわあ、とあくびをひとつすると立ち上がり「寝る」と一言だけ告げた。
「わしも」
そう言ってめずらしく高杉も立ち上がり、久坂と一緒に居間を出て行ってしまう。
「あいつら、面倒だからって」
ちっと吉田が舌打ちするが、幾久は訳がわからない。
久坂と高杉の二人が席を外してさっさと寝るということは、別にたいしたことではないという事だろうけれど。
吉田はふうとため息をつくと、山縣に言った。
「ガタ。スマホかタブレット」
「イエッサー!」
がばっと敬礼しつつ立ち上がると、ばたばたと部屋に戻り、愛用のタブレットを持ってきて吉田にさっと渡した。
「直ちゃん」
それを時山に渡すと、時山はさっさとスクロールさせてあるサイトを出して見せた。幾久もよく知っている、コメントがつけられる有名な動画サイトだ。
「これの何が?」
「いいからいいから」
そうして吉田、幾久、時山は一緒に画面を覗き込んだ。再生数はすさまじく、これが人気のある動画であることはわかったが。
にぎやかな音楽が始まると、画面の中には二人の男が現れた。一人は普通の白いマスクをして顔を殆ど隠している。もう一人はジャージを時山のようにジッパーを頭の上まで上げて立っている。
音楽に合わせて、二人の男が息のあったダンスを見せる。コメントの数がすさまじく、なにをやっているのか見えない部分もあるほどだ。
「……見えにくいっすね」
「あ、じゃあコメントオフにするね!」
時山が画面を操作すると、さっきまですさまじい勢いで流れていたコメントが消えた。
そして画面は二人の男がずっとダンスをしているのだが。
多分、高校生くらいだろうけどこの二人、異様にダンスが上手い。プロを目指しているに違いない、というくらいだ。幾久も感心してしまう。時折ふざけているのに、全くダンスは乱れない。ダンスを知らない幾久であっても、この二人が年齢にはそぐわない上手さということも、素人でないことも判るくらいだ。
さっき流れていたコメントも、『うめえええええ』とか『神業』とかいった内容だった。少々大げさではあってもそのくらい言われてもおかしくないと幾久も思う。
「うまいっすね」
心底感心して幾久が言うと、目の前の時山がにこにこしながら「まじで?さんきゅ!」とにこにこしているが、なぜこの人がお礼を言うのだろうと考えて、画面を見て、もう一度時山のジャージを見た。
「……まさか?」
「そのまさか」
「……偶然?」
「と、思う?」
時山はにこにこしながら、山縣を見る。山縣はとてもばつの悪そうな顔をしていた。
幾久もいくらなんでもそこまで、と思って画面を良く見て、そして再び山縣を見る。
踊る二人の男は、目の前の時山と山縣に、ものすごくよく似ている、ような気がするのだが。
「……本当に?」
『で、ガタの馬鹿は調子にのって、それからダンスを習い始めて』
この前聞いた吉田の言葉を幾久は思い出した。
「ガタ先輩、ダンス習ってるって、そういえば」
「もう習ってねーし!やめたし!」
「でもでも、これ、ガタ先輩っすよね!」
マスクをしているから本当に判らないが、一度知ってしまえば間違いなくこの体つきは山縣だ。
「ガタ先輩、こんな動けるんすね」
だらだらしている山縣しか知らない幾久は心底驚いて言うと、時山がまた笑う。
「動くって!んな動物園のどーぶつみたいに!」
「や、だって普段ガタ先輩、全ッ然動かないっすよ?」
オンラインが俺のリアルとかばっかり言ってる山縣が、まさかこんなに軽やかに踊っているなんて幾久は思いもしなかった。
「多分、オレがここに来てから昨日までのガタ先輩をまとめても、この動画の先輩のほうが絶対にたくさん動いてる」
真剣な幾久に時山は一層笑い、山縣は舌打ちし、吉田は肩をすくめ、全員分のお茶を持ってきたのだった。


「時山先輩とガタ先輩のダンスがスゲー上手いっていうのは判ったんすけど、じゃああのオレンジの光って何だったんすか?」
「ああ、それはね」
時山は再びタブレットの画面を動かし、ある動画を見せてくれた。今回は最初からコメントを消してくれたのでとても見やすい。
さっきと同じく、時山と山縣の二人、正体が判らない格好で工事現場の人が持っているような大きな棒状のライトを持っている。
画面の二人は暗い中で、音楽に合わせて光るライトをぐるんぐるんまわしたり、動かしたり、投げてみたりしている。
「これって、オタ芸ってやつ、っすか?」
オタ芸、とはオタクがする芸のことで、アイドルや声優のコンサートで応援するときにするものだ。
両手にカラフルなペンライトを持ち、激しく身体を動かしながらリズミカルに応援する。
最初は簡単な動きだけだったろうそれが凝り性のオタクが段々と進化させていき、ついには芸のレベルにまで達してしまった。
「じゃあ、オレが見たオレンジの光って」
「これでーす」
時山が出して見せたのは、ペンライトだった。スイッチを入れて切ると、確かに幾久が見たのと同じ色の光が出た。
「それっすか」
なるほど、と幾久が納得すると、時山はちかちかとライトを光らせた。
「おいらたちさー、正体隠してやってっからさあ、練習する場所がねーんだよね。で、ここなら誰にも迷惑かけないから練習してたん」
しかし、時山は御門寮ではないから他寮の生徒のはずだ。
「でも、こんな時間に他寮に来るのってヤバくないっすか」
「あー、おいらんとこはヘーキヘーキ。ばれないから」
「ばれないって。無許可なんすか?」
まさか、と幾久は驚くが時山は頷く。
「ばれなきゃ大丈夫だって。実際いままでバレたことないんだし」
寮生活なのにそんなことありえるのか?と首をかしげる幾久に吉田が言う。
「直ちゃんの寮もちょっとアレなんだよね。高校の寮とは違うからさ」
「へ?」
「まあ、それはいま関係ないし。つまり、無許可だからばれたらまずいわけ」
時山の言葉に幾久は頷く。
「つまりさ、ここでおいらがきょーちんと練習とかしちゃいけないじゃん?」
「まあ、そう、っすよね」
寮が違うものは当然、他人の寮に行くことは基本許されない。寮の責任者である、いわゆる寮長が許可するとか学校の許可証が必要になる。
「だったら、内緒にするしかないっていうね」
「……あ!」
それでか、と幾久は納得した。つまり、時山が内緒にしたいなら万一寮の生徒が気づいても気づかないフリをする必要があるということだ。
「雪ちゃん先輩も、知ってたからごまかしたんすね」
「そういうこと。ちなみにハルもこの寮の責任者だから、ああやって逃げたってわけ」
成る程、と幾久は頷く。いつもの高杉なら絶対に何があったかをずっと見ているはずなのに、知らんぷりしてさっさと眠るのは珍しいと思った。
「でも、本音は面倒だからだよ」
ああ、とそれも幾久は納得する。
山縣と違うジャンルだが、独特のペースがある時山は確かに面倒くさい。しかも年上だ。
「まあ、そうっすね。わかるッス」
「なんかひどいこと言われている気がする」
時山がむくれるが、それでも顔はずっと笑顔のままだ。
「でもなんで、オレに隠してたんすか?教えてくれたらスルーしたのに」
幽霊だ、ヒトダマだ、気のせいだなんて言わずに最初から教えてくれれば、幾久だって黙っているくらいするのに。
「え、だってガタが言わないなら言うわけにいかないし。ガタは確かにアレでアレだけど、ガタが言わないなら、おれらがいう訳にいかないでしょ。そこらへんは本人が判断してくれないと」
当然だろ、という風に吉田がいい、そして幾久は少し驚いて、感心した。
「あー……うん、そうっすね」
思わずにっこりと笑ってしまったのは、時山につられたからじゃない。山縣の意思を尊重しているのが判ってうれしかったからだ。
「なにニヤニヤしてんの、いっくん」
「いや。なんかガタ先輩バカにされてるのかと思ってたから」
「や、バカにはしてるし嫌いだよ?そこは間違いなく嫌いだから!」
「栄人、ひっでえ」
げらげらと時山が笑うが、吉田はそこは譲るつもりはないらしい。山縣はいつも通り、全く気にしている様子はない。
「まあ、いっくんにばれたことだし、ちゃんと口止めしといてね。おれも眠ぃから寝る」
「俺も」
吉田に続いてなぜか山縣もそう言って立ち上がり、二人ともそれぞれの自室へ戻ってしまった。
そして気まずいことに、幾久と時山の二人が居間に残されてしまった。
(なんでオレだけ残すんすか……)
まさか幾久がどうするんですかなんて時山にも聞けないし、どうしようかと悩んでいたが、時山は勝手知ったるなんとかで、居間のテーブルをさっさと端に寄せると布団を持ってきてそこに敷いた。
「なに、やってんすか?」
「ん?寝るの」
寝るの。じゃねーって!
ツッコミたいのを堪えて幾久は時山に尋ねた。
「寮に戻らないとマズイんじゃないんすか?」
「んー、マズイなー」
そう言いながら、なぜか布団をもうひとつ敷いている。
「……なにやってるんすか」
「いっくんも一緒に寝ようよ」
「は?」
「だってせっかくじゃん」
なにがどう折角なのか。意味が判らないが、一応三年生らしい時山に逆らうのも気が引けて、幾久は素直にそこで眠ることにした。

隣同士に布団を敷いて、幾久は天井を見つめていた。
もう真夜中もとうに過ぎているのに、妙に目がさえてしまっている。時山も同じなのか、幾久に声をかけてきた。
「なんかさー、今日ゴメンねー」
「や、もういいっすよ」
時山にも山縣にも謝罪は受けたし、光の原因もわかったのでそれはもう済んだことだ。
「でもなんで、ガタ先輩教えてくんなかったんすかね」
「や、単純に忘れてたのと、あとは他の連中が教えるって思ってたんじゃないかな」
「……そうっすか」
「んな訳ないじゃんねー」
「ねーって言われても、わかんないっすよ」
「そう?だってさ、さっきいっくんだって笑ってたのはだからっしょ?」
あんまりにもふんわりした言い方で、なにがどうなのか理解できない。
「えーと、意味がよく」
「だからさ、あいつらが、きょーちんの内緒にしていることをわざわざ言ったりしないってことだよ」
あいつら、ああいうところがいいんだよな、とまるで独り言のように時山は言った。
「なんていうか、あいつらのああいうとこ、おいらすげー好き。馴れ合いと信頼ってちげえんだ、すげえなって思う」
幾久は時山の言葉にどきっとした。
「当たり前のように相手を尊重するって、できねえよなかなか。嫌いなやつにもそうするって、大人じゃなきゃできねえもん。大人でもできねえかも」
「当たり前のように相手を尊重?」
幾久が繰り返し言うと、そう、と時山が頷き言う。
「だってさ、フツーは、とかこれが正しいとか、そう思うじゃん。でもあいつらの正しさってさ、絶対に自分本位じゃねえんだよな。どんなクソみてーなことでも馬鹿なことでも、そいつがそうなら、それを尊重するのが当たり前って思ってんだよ。すげえよ」
―――――だからさ、と時山は静かに言った。
「気をつけろよいっくん。いっくんが間違ってても、あいつらわざわざ教えてなんかくんねーぞ」
「え?」
「尊重されるってさ、頭いーやつ同士にしか無理なんだよ。馬鹿が尊重されたら、馬鹿は助長するだけだもんな」
「……」
なにか難しいことを時山が言っている事は、幾久にも判る。さっきまであんなにもふざけてばかりいたのに、なぜか声のトーンまで落ちている。
「馬鹿にはさ、普通に正しいヤツが丁度いいんだよなぁ……」
そう言うと、すう、と突然寝息を立て始めた。
「寝落ちかよ」
ぼそっと言うと、幾久も急に眠気が襲ってきて、そのままあっという間に眠ってしまっていた。


昨日が遅かったせいもあり、起こされたときの眠気といったら半端なかった。流石にそう寝坊はしない幾久も、いつもより遅い時間に吉田から『そろそろ起きないと本気で遅刻するよ』と言われて、慌てて起き上がったくらいには。

急いで支度したので、着替えて朝食のテーブルについたくらいにはいつもより少し遅い時間程度においついていた。
高杉と久坂とすでに食事を終えて食後のコーヒー、吉田は給仕をおえて今から幾久と一緒に食事を取ろうかというところだった。
「はよございます、ハル先輩久坂先輩栄人先輩」
「おう」
「うん」
「はよっ」
「時山先輩は?」
きょろっと見渡したが時山の姿がない。と、吉田が言った。
「とっくに帰ってんじゃないのかな。多分もう自分の寮だよ」
「ええっ」
幾久は驚いて声を上げてしまう。自分ですら、さっきまで自力で起きることができなかったのに、あんなにも簡単に寝落ちした時山が、自力で早朝に目を覚まして寮に帰るなんて。
「凄いっすね、時山先輩」
「直ちゃん、寝坊はしたことないって」
「それにしたってスゲーっす」
あの時間から早朝なら、数時間程度しか眠れていないだろうに、よく自力で起きて帰れるものだ。
「……そういえば、なんか夜中に『かえるねー』みたいな声を聞いた気がする」
幾久が思い出すと、吉田が言った。
「ああ、じゃあきっとそん時だよ。いっつも勝手に帰るから、そこは心配しなくていいよ」
「ウス」
昨日はあまりに驚いてしまったが、理由と事情が判れば別に次から騒ぐこともない。
「なんかごめんね。黙ってて」
久坂が言うので、幾久は首を横に振った。
「仕方ないっす。隠してたんならそれはそれで」
「ま、他に夜中にあんな馬鹿するのはおらんから安心してエエぞ」
高杉も言うので、これ以上こんな内緒の話はないんだな、と幾久もほっとする。
「オレが入寮したとき、幽霊だなんだって脅したのは時山先輩がいるからなんすね」
幾久がこの御門寮に入寮したその日、高杉も久坂も吉田も山縣も、この寮が『出る』からお守り持っておけ、とか言っていたのは本当に幽霊が出るからではなく、時山が『出る』せいだったのか。
「そのほうが説得力あるでしょ?」
「ありすぎで、真っ先にそれ疑いましたよ」
ふう、と幾久は肩を落とすが。
「ああ、でもまあ城下町に出るっていうのは、ホント」
にこにことそう言う吉田に、幾久は呆れてため息をつく。
「もうそういうの、いいっスから」
「いやーまじでまじで。夜の城下町ってけっこうコエーよ」
「はいはい」
吉田の冗談につきあっていたら本気で遅刻してしまう。高杉も久坂も静かなので、きっとこれもただの軽口だろう。
「じゃあ、ぼちぼち出ようか」
食事を済ませると吉田がそう言うが、幾久はあれ?と首をかしげる。
「ガタ先輩、起こさなくていいんスか?」
しかし幾久の問いに、吉田は笑顔で言い放った。
「誰それ?」
あ、これ本気で怒ってるヤツだ、と幾久は気づく。
がたんと高杉と久坂が立ち上がる。ということはもう登校するつもりだ。
(やべ。ガタ先輩、このままじゃほったらかし)
多分ゆうべの事に吉田が山縣に仕返ししているのは明らかだ。高杉も久坂も当然知らんふりで、吉田は露骨に無視している。
(……スンマセン、ガタ先輩)
さすがにこの三人に逆らえるはずもなく、幾久も大人しく三人について寮を出たのだった。


「じゃあ、やっぱり街灯だったんだ。雪ちゃん先輩の言うとおり」
幾久が寮で妙な光を見た、と聞いてから弥太郎も気にはなっていたらしい。教室で尋ねられたが、幾久は当然、時山の事は隠した。
「ウン。本当にガラスにうつっただけだった」
「なぁんだー。ちょっとは期待したのに」
コレ、と手首を下げて幽霊のポーズを取る。
「残念ながらそういのはないってさ」
「そっかー」
どこまで本気か判らないが、残念そうな弥太郎に、伊藤が言う。
「マジで幽霊なら、俺、退治しに御門寮に行くのに!」
「トシは御門寮に入りたいだけだろ?」
茶化す弥太郎に「そうなんだ!」と伊藤も悪びれず答える。伊藤は殆ど千鳥クラスで構成されている、学校から一番近くて大きい報国寮の所属なので御門寮には入れない。しかし、許可を取れば入れるはずだ。
「そんなに行きたいなら、許可貰ったらいいのに。ハル先輩なら簡単に『いいぞ』とか言いそう」
御門寮の責任者は高杉なので、頼めば入れてくれそうだが、伊藤は首を横に振る。
「ばっ、おめ、ハル先輩がんなの許すかよ!もし万が一、億が一あったとしても死ぬほど勉強させられるわ!」
高杉を尊敬している割には妙に怖がっている伊藤が幾久には不思議だった。いつも高杉の事を説明してくれるのだが、幾久の知っている高杉と、伊藤の言う高杉の姿が一致しない。
幾久にとって高杉はつっけんどんだが面倒見が良く、気もよく使っていて頭も良いというのが印象だ。トラブルを起こさないように気を使っているという、毛利先生の言葉は本当だなと最近になって気づいていた。
どちらかといえば怖いのは吉田や久坂だ。吉田はわりとすぐに怒るし(その原因の殆どは山縣のせいだが)すぐに仕返しもする。(その結果、痛い目を見るのは山縣だけだが)
久坂は、なんというか、判らない、見えにくい、見えないタイプの人だ。正直、久坂とふたりきりになると今でも緊張する。ぼうっとしている風にしか見えないのに隙がない雰囲気があるし、それに高杉と一緒に居るときの空気感は独特だ。
「ああー、御門入るなら、絶対に鳳だよなあ」
がくー、と伊藤が机に突っ伏す。
「でも鷹でもいいんじゃないの?ガタ先輩鷹だし」
「鳳から鷹ならなあ、説得力あんだけど」
はあ、と伊藤が再びため息をつく。
「俺の頭じゃ鳳は難しーわ」
「そういえば、タマ次こそ御門寮ってめっちゃ気合入ってんもんね」
弥太郎の言葉に幾久が顔を上げた。タマ、とは弥太郎と同じ寮の児玉の事だ。幾久が知っている唯一の鳳クラスの一年生で、御門寮に入りたくて仕方ないらしい。そこで幾久は初めて気がついた。
「ってことは、二学期からみんなと違うクラスになるかもしれないって事?」
「いっくん今更?当然じゃん。それと二学期じゃなく中期、ね」
この学校は学期ごとに試験があり、その試験の結果でクラス分けがされる。成績の優秀なものから鳳、鷹、鳩、千鳥、という風に分類される。
幾久がいま、伊藤と弥太郎と同じクラスに所属しているのは鳩だ。つまり幾久が試験で良い結果を出して、鳩より上の鷹クラスか鳳クラスに行けば、伊藤とも弥太郎とも離れてしまう。
「えー、なんかそれは……ヤダな」
折角伊藤や弥太郎と仲良くなっているのに、離れるのは嫌だ。
「しょうがないじゃん、それがこの学校のシステムなんだし」
それに、と弥太郎が言う。
「俺だってせめて鷹くらい行ってみたいもん。そしたらいっくんと一緒だし」
「そっか。ヤッタもトシも鷹いけば問題ないのか」
ほっと幾久は胸をなでおろし、弥太郎と幾久はじっと伊藤を見つめるが。
「なに見てんだよ!無理だよ!鳩だってギリだぞ俺は!」
「いや、頑張ればいける?」
幾久が言うと、弥太郎も頷く。
「そうだよトシ、あきらめるのはよくないし」
「ヤッタだって俺と似たようなもんだろ!おめーだってやべーって!」
「確かに次は無理かもねー。けっこうマジで頑張るヤツ多いし」
ちらっと弥太郎があたりを見渡す。すでに試験週間に入ってはいたが、クラスの三割程度は授業が始まる前なのに勉強をしている。
「最近妙にクラスが静かだなって思ったら、勉強してたのか」
「言ったろ、入学の時にさあ、目指していたクラス落ちた奴が一番頑張るのが一年前期の試験だって」
「ああ、そうだっけ」
この報国院は入試試験の結果でクラス分けがされるので、当然報国院には受かっても、自分の望んだクラスじゃない場合もある。
ここに入るまでそんなシステムを全く知らなかった幾久にとって、自分がどのクラスに所属しているかなんてあまり意識したことがない。
クラスが上れば授業料が安くなる、トップクラスの鳳になると免除となるので幾久の父は金銭的な理由でそうして欲しいとは言っていたが。
(そういや、父さんはどのクラスなんだろう)
報国院は父の母校で、あまり喋らない、関わらなかった父が幾久を報国院に入れようといろいろ走り回っていた所を見ると、かなり愛着があると思う。
頭はいいはずなのでやっぱり鳳クラスなのだろうか。
しかし、入学式の日に、父と一緒に居た派手なミュージシャンくずれのおじさんを見ると、あの人が鳳クラスとはどうしても思えない。
(クラブ活動が同じ、とか?)
父のそんな事も全く知らない幾久だった。
「俺も頑張らねーと、次、鳩ですらねーかも」
はあ、と伊藤がため息をつく。
「幾久はいいよな。鷹安泰だろ。鳳だっていけるんじゃね?」
「よく判らない。先輩たちは、鷹はいけそうって言ってくれてるけれど」
そういえば、高杉も久坂も吉田も、幾久のレベルを知っているはずだが『これなら鳳だっていける』とは言ったことがない。
「鳳ってむずいのか」
幾久が言うと、弥太郎も伊藤も『なにを今更』という目をして幾久を見た。

前期の試験は二度行われる。
その一度目が今回の中間考査で、二度目が夏休み前にある期末考査だ。この二回の試験結果で二学期、この学校では中期という言い方をするが、その間のクラスが決まる。クラスが上に行けば、寮の移動も許可されやすくなり、希望の寮へ移ることもできる。必ず、という訳ではないが成績がよければ何事も優先される報国院ではそのほうが通りやすいというわけだった。
幾久は寮の先輩達のおかげで、中間考査を無事乗り切ることが出来、そして試験が終わる頃には試験週間に時山に酷い目にあったことはすっかり忘れていた。