岡目八目

(3)岡目八目

吉田のバイトの終わる時間は遅い。なのでこういう場合、吉田以外の面々は先に食事を済ませてしまう。
やっとバイトから帰ってきた吉田に尋ねると、吉田は苦笑いで答えた。

「わり。言うのすっかり忘れてた」

やっぱり、と三人は呆れ顔だ。
吉田はキッチンで一人だけ食事をしていて、幾久と高杉、久坂は食事を終えて居間でくつろいでいた。
山縣はいつも通り、さっさと風呂も済ませて部屋に篭っている。多分ネットでなにかやっているか、とっくに眠っていて、深夜に起きるのかもしれない。
「でもなんでオレ、いつの間に部活に入ってるんすか?」
「人数が足りんからの。名前だけでも入れておこうと思ったんじゃ」
人数が足りないとか、けっこう人気者というか、高杉も久坂も知名度はあるのに部活は不人気なのだろうか、と幾久は不思議に思った。
「人数って。ハル先輩が言えばトシとか喜んで来そうですけど」
「そうじゃろうけど、面倒じゃろ」
やっぱり人数が足りないんじゃない、こうやって選り分けてるんじゃないかと幾久はむくれた。
「それより、一体何の部なんすか。オレ、自分が何部なのかとか知らないとかありえないんすけど」
「え、いっくん入部するんだ」
久坂がそう言うと、幾久は答えた。
「てか、もう入部してるんスよね」
この先輩達が好きにやっていることに逆らうのは難しい、というか面倒くさい。
いやだ、というよりも先に内容を知っておかないと絶対に余計な事に巻き込まれてしまう。
「まあ、書類上はそうなんだけどね」
「ほらやっぱり」
「まあええじゃろ。今まで活動も無いんじゃし」
高杉に幾久は尋ねる。
「それより、一体何の部なんすか。ハル先輩と、久坂先輩はそれなんすよね」
「まあ、俗に言う演劇部」
「演劇部?!」
幾久は驚いて声を上げた。
「そんな驚く事?」
「や、だって驚きますよ」
そもそも、幾久は演劇部なんて関わった事がない。
それに、高杉と久坂が演劇部と言うのもなんだかものすごく妙な気がする。
「なんでじゃ。おかしいか」
「だって、ハル先輩も久坂先輩も、昔習い事やってたんすよね。合気道とか」
「おお」
「だったら、そういうのしそうなのに」
高杉や久坂が合気道や剣道や、弓道なんかをやっている姿は簡単に想像できる。
しかし、演劇部とは意外すぎるジャンルだった。
「なんで武道系の部活じゃなくて、演劇部なんすか?」
目立ってはいるけど、わざわざ自分から目立ちに行くような感じでもないのに。それに高杉だけならともかく、久坂が演劇なんかしそうにない。
しかし、高杉はとても判りやすい事を言った。
「決まっとるじゃろ。がんばらんでええからじゃ」
「え?」
意味が判らずに首をかしげていると、久坂が説明してくれた。
「うちの学校の演劇部ってさ、大会に出たりとか、そういうのってなくて、柳桜祭っていう学校の文化祭で発表すればそれだけでいいんだよね」
「と、いうと?」
「柳桜祭でそれなりの舞台をしておけば、活動としてはええというわけじゃ」
「……つまり?」
幾久の問いに高杉が答えた。
「じゃったら一年に一回しか、頑張らんでええじゃろ」
そう言うことか、と幾久は肩を落とした。
「武道系の部活に入るとさ、遠征とか大会とか合宿とかあるじゃない?そういうの面倒なんだよね」
ね、と久坂が言うと高杉も頷く。
「わしらは段も取っとるし、正直、そういうのより今の学校生活を優先したいからの、そういうのは休みたいんじゃ」
「でも部活ってそういうスポーツ系やってたほうが、いいんじゃないんですか?」
「何が?」
「何で?」
「……内申的な」
幾久が言うと、高杉と久坂が鼻で笑った。
「そんなんいるか?」
「いらないよね?」
うわ、そうだった、この人たちリアルに出来る人だったんだと幾久はげんなりする。
「ですよねー、しっつれいしました」
「っていうのはちょっと煽りだけど。実際は飽きたし、部活までしたくないっていうか」
「そうなんすか?」
久坂の言葉に、高杉が頷く。
「子供の頃からずーっとじゃ、そりゃ飽きる。やりたくなったら道場に行けばええだけの話じゃし」
「道場なんか行かなくても、相手に困ることはないよ、僕らはね」
なんで、と言いかけて幾久は思い出した。この寮に入ったばかりのとき、久坂は高杉を恋愛的な意味で狙っていると幾久に思い込ませていた。
実際はただ幾久をからかっていただけなのだが、それがばれたとき、高杉が怒り心頭で久坂を思い切り投げ飛ばした事があった。
投げ飛ばしただけでは終わらず、高杉は久坂に激しく攻撃をしかけて、しかも久坂は反撃こそしなかったが、高杉を上手にいなしていた。
あまりに見事な技の連発で、幾久は口をあけてみるしかなかったのだが。
「道場に行ったって、どうせ高杉とやるんだし、だったら行っても行かなくても同じだろ?」
「そりゃそうっすね」
幼馴染で同じ武道もやってて、お互いに分かり合っているのなら、わざわざ道場に行く必要もないし、いつでも相手に困らないというわけだ。
こういう相手が居ない幾久には、久坂と高杉の関係はなんだか凄い、と感じてしまう。
「でも、演劇部かー」
全く自分が思いもよらなかった部活に、名前だけとはいえ所属しているのは幾久は不思議な気持ちだった。
「でもさ、気にすることないじゃん、いっくんは」
久坂が言う。
「だってこの先、報国院にいるかどうかも判らないんだよね?」
「……そうなんすよね」
まだ幾久は、この報国院に残るか東京の学校に編入するのかを決めていない。つまり、夏休みを境にここから離れるという可能性もある。
「じゃあ、することないよ。だって部活は夏休みに入ってから開始になるし」
「え?本当に?」
「そうだよ。柳桜祭があるのは毎年文化の日って決まっててね。それにあわせての活動になるから、実質の活動期間は夏休みからその文化の日まで」
「めっちゃ短いじゃないっすか」
久坂の言う事が本当なら、演劇部の実質的活動期間は三ヶ月しかない。
「そうだよ。だから所属してるんだし」
はー、と幾久は呆れてしまった。
「ほんっとなんかあれっすね。先輩ら、あれっす」
「なに」
「なんじゃ」
正直と言えば確かにそうだけど、なんというか、よく言えば無駄がないし悪く言えば、小ざかしい。
「とにかく、いっくんは考えなくていいんだって。どうせ名前を登録しているだけの関わりだし、他の学校に編入するなら部活が始まるのは夏休みが始まってからだから編入後になるよね?」
確かに、時期を考えるならそうなる。夏休みの間も考えているのかもしれないが。
「もし決まらなくても、夏休みの間くらい部活したっていいんじゃない?」
久坂のいう事は最もだ。
「……まあ、そうっす、よね」
三年間の部活を勝手に決められたのなら腹も立つけれど、まだ期間限定のお試し通学の最中みたいなものだ。思いがけずこんな僻地に来てしまったので東京に戻りたかった幾久は、戻る条件として父と約束したのは『最低三ヶ月は報国院に通う』ということだった。
いまはやっと二ヶ月。あと一ヶ月で、幾久はどうするかを決めなければならない。
「ホント、どうしようかなあ」
がっくりと肩を落としてため息をつく幾久に、久坂はちゃぶ台に肘をついたまま「ホラね」と言う。
「いっくん、他人にかまってる暇なんかないだろ。自分の事忘れてちゃ駄目じゃないか」
「そうっすけど」
幾久には逃げ道がある。ここが嫌なら東京に戻れば良い。でも児玉は絶対に報国院を辞めないだろう。
「でもオレも、よくよく考えたらタマと同じなんすよね」
「何が?」
「大学とか、そういうの全然見てないし考えてもないし」
「ええ大学に行きたいんじゃなかったんか?」
高杉が言う。幾久はこの報国院に入学した時からずっと、東京のいい大学に行きたいと言っていた。
幾久自身もそう思っていて、だからレベルの低い地方の学校なんか冗談じゃないと思っていたのだ。
「よくよく考えたら、オレ、自分でいい大学に入りたいって考えたことなんか一度もないんすよね」
母親は昔からずっと幾久の教育に熱心だった。
一人っ子だったし、父親が官僚という立場で東大出身だからそんなものかとなんとなく思っていたけれど、幾久自身は別に大学がどうなんて思ったことは、ない。
「いい大学ったって、母親の言ってるのはいつも東大だったし」
「東大?!え、いっくんマジ東大目指してたの?!」
食事を終えた吉田が居間に全員分のコーヒーを持ってきたところで、吉田は驚いて声を上げた。
「や、母親がずっとそう言ってたけど、正直理想を言ってるもんだと思ってたんす」
「なんでカーチャン、そんな理想高いの?カーチャンも東大?」
吉田がへえ、と驚きながらコーヒーを配る。
「いえ、母は東京の女子短大かなにかで。父は東大ですけど」
「えっ!いっくんのパパ、東大なの?」
幾久の父親のファンだという吉田はまた驚いて声を上げた。
「東大っていうのは知ってましたけど、学部がどうとかそういうの聞いたこともないし、興味もなかったし」
「はー、なんかいっくんちょっとぼけてんね。父親が東大ってなんかすごい自慢しそうなのに」
吉田は目をぐりぐり見開いて、幾久の話に興味津々の様子だ。
「父親が昔、オレがまだすっごい子供の頃だったと思うんすけど、なんか東大がどうとか母親が言ってたとき、オレに言ったんすよ。東大は確かに凄い事かもしれないし、自分もかなり勉強したとは思うけど、それは自分のやりたい仕事に一番近い大学だからそこを選んだわけであって、もし他の職種で別の学校のほうが仕事に近づけるなら、そっちを選ぶだけの話だって」
「かっけぇー!出来る人でないと言えない台詞だ!」
しかも東大だよ東大!となぜか吉田は興奮気味だ。
「栄人先輩だって、目指そうと思ったら鳳なんだからいけるんじゃないっすか?」
「は?馬鹿なのいっくん?鳳から東大、京大ってのは、最初からいける奴がたまたま鳳なわけであって、鳳に行けば東大とか目指せるわけじゃないんだよ?そこ大事だから間違えんな!」
「はぁ、そうっすか」
「なんだよいっくん盛り上がらねーな。父親が東大出身の官僚だったらもっと自慢して嫌な奴になれよぉ」
「オレが駄目な奴だったら自慢した分恥かくじゃないっすか。嫌っすよ」
「あーもう、育ちの良いやつめ!」
罵倒しているんだか褒めているんだか、吉田はそんな事を言う。
「オレ、サッカー好きじゃないっすか」
「突然なんだよ」
吉田が言うが、幾久は続ける。
「や、父親もサッカー好きなんすけど、イングランドとかって、クラブチームに下部組織があってですね。子供の頃から才能ある奴は育てて貰えるんすよ。日本もそういうのありますけど」
「ほう」
少し高杉が興味をもったらしく、食いついてきた。
「で、そういうクラブチームで育ったからって、当然全員が世界のトップクラスの選手になれるわけでもねーんすよね。全員才能はあるわけだし」
「まあ、そうだろうね」
久坂も頷く。
「で、そういうクラブチームで育ったからって自慢してるトップ選手がいるか?って父親に尋ねられて」
「いないの?」
吉田の問いに、幾久はないっすね、と答えた。
「あくまでもオレが知ってる限りのトップ選手は、育ててくれたクラブチームに感謝して愛情は持っていても、『おれあのクラブチームで育ったんだぜ、スゲーだろ』なんていう選手はいませんよ。結果が全ての世界だし、そういうの意味ないっすよね」
「アスリートの世界だもんね」
吉田も頷いて納得する。
「いい教育を受けたっていうのはいい結果が出せて初めて言えるものであって、結果が出せないならクラブチームの下部組織に所属していた事に一体何の意味があるんだ?って。それは一流選手になる為の土台であって、土台は足元にあるものだろう、土台を頭の上に抱え上げて喜ぶのは意味のない事だぞって」
「うわあ……栄人がファンになるの、判るかも」
めずらしく久坂が感心して近寄ってくる。
「すごいのう、幾久の父親は」
高杉も感心していて頷く。
「ね、ね、いっくんのパパ、いいっしょ!おれがハマるの、わかるっしょ!」
いつの間にか起きて来ていた山縣はその話をまたいつの間にか聞いていたのだろう。通りすがりに足を止めて言った。
「けっこう無礼者だなおめーの父親。官僚様は東大すら踏み台とかかっけえな」
へっとそう一言だけ言うと、またいつものように冷蔵庫から甘い飲み物を持って部屋へと帰って行ってしまう。
「……ったくあのクソガタは」
吉田が折角盛り上がっていた気分に水をさされて拳を握るが、幾久はきょとんとしている。
「気にすることないよ、いっくん」
「や、気にはしてないっすけど。ガタ先輩、すげえっすね」
心底幾久は山縣に感心していた。
「え?いっくん?怒ってないの?」
吉田の言葉に幾久はますます驚く。
「え?だってまあ、言葉は悪いけど実際そういう意味ではありますよね。なんかスゲー納得」
「ちょっといっくん、あいつに悪い影響受けてるんじゃないの」
久坂が露骨に嫌そうな顔になる。
「いや、ガタ先輩の言葉も態度も最悪っすよ?でも最悪だけど、そう考えればそうも受け取れるわけで」
「おい幾久、お前アイツに影響されとるんじゃないか?」
高杉も嫌そうな顔になるが、幾久は首を横に振る。
「そりゃ少しくらいは影響も受けるかもっすけど、ガタ先輩、言ってることは間違ってないっすよ。伝え方と使ってる言葉は間違ってるけど」
それに、と幾久は少し自分を反省した。
「オレ、やっぱ父親とそういうの似てるのかも。悪気はなかったけど、報国院を踏み台にして他の学校に行こうとしてたわけだし」
東京の私立から逃げて、こんな場所に来て。べつにここが悪いわけじゃないけれど、学力が低いものだと決めつけて、早く東京に戻りたい、なんて。
「タマがなんであんだけ怒って、オレの事嫌ってたか、判るっす。オレも、入学式の時にあんな場所であんな風に言うべきじゃなかった」
入学式が終わって、幾久は他に生徒がいるのに父親に『東京に戻りたい』と告げた。今思えば完全にただの甘えだ。
「たった二ヶ月前なのに、オレってマジでガキなんだって、すげえ今なら判るっす」
幾久の言葉に、そこに居た全員が黙りこくった。
「なんか、駄目っすねマジで。オレ、頑張らないと、馬鹿でガキのまま、終わりそう」
幾久の言葉に、誰も何と返せばいいのか判らない。
でも多分それは独り言みたいなもので、幾久の心の吐露だったのだろう。
「今のオレ、大学がどうとか言う以前の問題な気がするっす。割とマジで」
こういう時、どうしたらいいのだろう。多分答えのない答えを自分で見つけるしかないのだろうか。
黙ってしまった先輩達に幾久は「スンマセン」というしか出来なかった。


幾久が風呂に入っている間、二年生三人はいつものように会議に入っていた。
「やっぱいっくん、東京に戻っちゃうのかなあ」
がっかりと言う吉田に久坂が鼻で笑った。
「そんなのあるわけないだろ」
「瑞祥、すげえ自信。なにその根拠」
不安になっている自分を笑われてしまい、吉田はむっとするが久坂は全く気にしない。
「見たら判るだろ。あれは自分で気付いてないだけで、絶対に東京になんか戻らない」
「見たってわかんねえよ、おれ瑞祥みたいに頭よくないし」
ふんとまた鼻を鳴らす吉田の鼻を瑞祥が指でつまむ。
「いててっ!やめろよ瑞祥」
「ブーって言いな、ブーって」
はしゃぐ久坂なんて、この三人でなければまず見れない。昔どおりの久坂に高杉も昔からそうするように、ため息をつく。
「ったく、幾久は真面目に考えちょるのに」
「おれらが不真面目みたいな言い方」
「いっくんがクソ真面目すぎるだけだよ」
だから、と久坂が言う。
「絶対に戻らない。断言できるね」
「だからぁ、その根拠って何なんだよ」
この寮で幾久の世話を一番やいているのが吉田だ。
寝る部屋も一緒だし、食事の時もかいがいしく世話をやいているから食事の好みも把握している。
一番幾久の日常を観察できているのも吉田のはずなのだが、吉田が判らないのに幾久と関わりの少ない久坂がなぜそこまで断言できるのか、吉田は知りたいのだ。
久坂は手の甲に顎を乗せて、涼しげな表情で薄く笑った。こういうときの久坂は幼馴染から見てもすごく整った顔立ちをしているのがよく判る。
「―――――嫌いだからだよ」
「嫌い?何が?」
「母親。いっくんは露骨に言わないけど、絶対に母親になんか思うことがあるじゃない、あれ」
反抗期じゃないんだよね、と久坂は言う。吉田は首をかしげている。
「反抗期だったら『うっせーなババア』みたいな判りやすい反抗だと思うんだよね。でもいっくんのってものすごく悩んでるじゃない。特に大学のくだりなんかさ」
「まぁ、そうじゃの」
「あれって、アイデンティティの崩壊だよ」
ふふっと久坂はそう言った。
「アイデンティティ……」
「今まで自分の考え、なんていっくんさ、なかったんじゃないの?自分でこうしたいって意思みたいなの。親に言われて、そのままレールに乗っかっててさ。それが普通と言えば普通なんだろうけど」
悪くない家庭環境、悪くないどころかエリートの父親、教育熱心な母親、私学に通えるだけの経済状態。
「そんな中でさ、はじめて母親の敷いたレールじゃない場所を走ってる訳だろ?」
「そうだね」
そのあたりは吉田も理解できる。
母親が教育ママ、というのは知識でしか知らないけど幾久の様子を知る限りではなんだかあまり羨ましい環境ではなかった。
「だから、今は父親の話が多いんだよ。父親の敷いたレールの上を走ってる訳だから」
「……そうじゃの」
高杉もそこには気付いていたらしい。驚きもせずに久坂に同意する。
「父親のレールに乗っかってる今から、また母親のレールに戻るってのが、東京に戻るって意味だよ。戻りたい訳がない」
「でも、もし幾久が自分の意思で大学に行きたい、と思ったら今からでも方向転換するんじゃないのか」
高杉の言葉に久坂がないない、と手を振る。
「僕はさ、いっくんの父親に会ったことないじゃん」
幾久の父親に会ったことがあるのは、この寮では吉田しかいない。幾久のメガネを買いに行った時に、電話をしていたところは知っているが。
「いっくんの話と今までの事を考えるとさ、けっこういっくんの父親って怖い人だよね。よく言えば、出来る人だけど」
「ああ、うん」
「まあの」
幼い頃から大人や老人に囲まれて、その良さも悪さも存分に経験している三人にとって、大人はイメージの産物ではなくどういうものかを理解している。
だから幾久の父親の凄さも、そこいらにいる普通の高校生みたいに『乃木君のお父さん』レベルのイメージよりかは判ると思っている。
「もし、いっくんが『ママに会いたい』とか『友達に会いたい』『東京が大好き』ってレベルであれば、東京に戻ると思うんだよね。でもいっくんはどれもそこまで好きじゃないだろ、話を聞く限りでは」
「そうだね」
「そうじゃの」
母親は好きじゃないし、東京の友達はいないも同じ。
そんな中、こんな僻地に逃げてきたのだから、そういう意味では戻る理由がない。
「でもさ、もしそんなのはどうでも良くて、『東京の大学に行きたい!』って思ったとする。例えるならさっき話で出た東大とか」
「うん」
「判りやすいの」
「―――――もし本気でそう思ったらさ。報国院の事情が判った上で東京に戻るって言い出すと思う?」
「!」
「……なるほどのう」
報国院の鳳クラスは、東大や京大といったいわゆる有名な学校に入る生徒が多い。
というのも単純に、この地方でそういった所に対応しているのがこのあたりではこの学校しかないからだ。
「東大、京大でなくてもそれなりの学校に行ったりするだろ?それは進路見たら明らかだし」
旧帝大や、工学に優れた学部、いきなり獣医学部に進む生徒もいる。報国院の鳳クラスなら、そのどれもに対応してくれる。
成績のいい生徒にはマンツーマンで、とことん付き合ってくれるのがこの学校だ。
「田舎だから、逆にそういった事に本気出すじゃない?ほら、鳳っていい看板だし」
ひょっとしたらあなたのお子さん、東大に行くかもしれません、なんて言われてしまえば、大抵の親はその気になるだろう。
入学時に少々出来が悪くても、例えば鳩クラスであったとしても徐々に鳳クラスに入れば東大も目指せる。
あまりにも幅が広い報国院だからこそ出来る荒業だ。
「つまり、いっくんのレールって、とっくに父親が敷いてるんだよ。感情的に東京に戻りたいっていうなら戻る可能性もあるけどそれはほぼゼロ。ってことは、あと東京に戻る理由があるならいい学校を目指す場合。でも今から編入するより報国院のほうがよっぽどいい教育を受けられるのは、ちょっと考えたら判るようになるよね。じゃあ、いっくんが東京に戻る理由は?」
なにもないよね?と久坂が言う。
「けっこう策士だよね、いっくんのお父さん」
一度自分の環境に疑問を感じてしまえば、その違和感は拭えない。今まで自分の考えや、常識だと思っていたことが覆されてしまう。
報国院が寮制度をとっているのはそのせいだ。
自分の家くらいしか知らなかった子供を全部まとめて、日常を混ぜてしまってその混乱で互いを競わせる。
擬似家族や擬似兄弟みたいな関係になって、いろんな事を学んでいく。寮が変われば尚更に。
「いっくんがここに入ってあんなに変わったのに、あと一ヶ月あっていきなり中坊の考えに戻る訳ない」
「―――――確かにのう」
「うん、そうかも」
そういわれたらそんな気がしてきた!と吉田の表情が明るくなる。
「でも瑞祥すげえな。おれ、いっくんのお父さん見てもかっこいい!とかイケてる!とかしか思わなかったのに」
よくそこまで考えられるな、と吉田は感心するが、瑞祥はにこにこと微笑んで言った。
「でも僕、そういう人苦手だな」
「同属嫌悪じゃな」
高杉が言うと、久坂は高杉の脇をいきなりくすぐった。
「うわっ!やめぇ瑞祥!」
どすん、ばたんと賑やかに高杉と久坂がまた暴れだし、吉田がさっと非難する。

風呂からあがってきた幾久が、そんな先輩達をあきれ顔で見ながら「子供じゃないんすよ」と言うので久坂も高杉も肩を組んで、「はいはーい」と浮かれながらいつも通り、二人とも一緒に風呂へ向かった。

「なに話してたんすか。機嫌いいっすねあの二人」
冷蔵庫からジュースを出す幾久に、吉田もにこにこしながら言った。
「いっくんのお父さんの凄さについてだよ」
「フーン」
よくわからないなと幾久は言いながらコップにジュースを注ぐ。
「フツーの父親だと思うんすけどねえ」
「そっかな。頭いいと思うよ」
「東大ってやっぱそうなんすかね」
幾久がまるで人事みたいに言うが、実際幾久にとっては人事なのだろう。
「でもいっくんだって東大とか行くんだろ?」
「もー、栄人先輩までやめてくださいよ。なんかむなしくなるじゃないっすか」
ばたんと冷蔵庫のドアを閉め、幾久はジュースを持ってキッチンの食事用のテーブルに座る。
「正直、オレそこまで考えてないっすよ」
「でも考えないと、三ヶ月はもうすぐだろ?」
「そこなんすよねー」
あーもー、と再び幾久は頭を抱えた。
「さっきも風呂でずーっと考えてたんすけど、人生これで決まるとか思ったら真面目に考えざるを得ないけど、だからって今は早いつうか」
面倒くさい、と幾久は文句を言う。
「あれ、いっくんにとって重要なのって面倒かどうかって事?」
「だってそうでしょ。面倒なのって嫌っすよ」
「……いっくんにとっての面倒くさいのって、どういう事なん?」
「どういう事って言われても」
うーん、と幾久は考える。
、「なんかこんな、よく判らないことを考えなくちゃいけないってことっすかね。何になりたいとかも全く考えたこともないのに進路決めろとか、けっこうめちゃくちゃっすよね」
「滅茶苦茶かなあ」
「そうっすよ」
幾久はジュースを飲んで言う。
「目的地が決まってたら、そんな困らないじゃないっすか。旅行と同じだから、新幹線で行くか飛行機で行くかってだけで。でも目的地は決まってないのに、どれに乗るか決めろって、無茶じゃないっすか」
「そうだよねぇ」
「じゃあとりあえず東大でいっか、とはならないっすよね、フツーに考えると」
「まあ、そうだよね」
「ちょっとそこまでの観光と、ニューヨークに行くのと準備も考えもお金も全く違うのに、とりあえずニューヨーク行く準備しとけばどこに行っても困らないって、すっげ乱暴じゃないっすか?」
「確かにねえ」
確かに幾久の言う通りだ。どこに行っても困らない支度ととお金があればどこにでも行けるだろうけれど。
「そりゃ、最終的にはニューヨーク行きたいって思うかもだけど、だったらそん時に考えれば良いのに、行きたくなったらどうするの!って無理矢理準備させられるのも違う気がするんスよね」
「そうだよね」
「勉強だからやったって無駄になるってことはないと思うんすよ。でも、だからってなにもかも勉強につぎ込むのもなんか……違う気がして」
ことんと幾久は空になったコップを置く。しばらく真面目な顔でコップを見つめていたが、吉田が「コーヒー残ってるよ」と言うとさっとマグカップを取り出した。
「先輩らって、将来どうするんすか?」
「ん?おれら?」
幾久は頷く。
「大学とか、行くんすよね、勿論」
鳳クラスに入るならこのあたりの大学はどこでも狙えるだろう。
「うーん、ハルと瑞祥は金銭的なことは問題ないから、どこでも好きな所に行くと思うんだよ。雪ちゃんの進路によるかも」
「雪ちゃん先輩、どこに行くか決めてるんすか」
確かに雪充は三年生だから、もう進路を決めていてもおかしくはない。
「決めてると思うよ。そういうの雪ちゃんは堅実だし。雪ちゃんが行くところに、ついていくんじゃないのかな」
「へえ」
やはり幼馴染だとそういう繋がりはあるのか、と幾久は思った。
「ハルと瑞祥は雪ちゃんと同じところかもだけど、おれは金銭的な理由によりけりだな」
「栄人先輩って、将来とか決まってるんすか?」
「おれ?おれはいろいろ!」
「いろいろって」
「まずは絶対に会計士は狙うでしょ」
「会計士!……ってどんな仕事なんすか」
聞いた事はあるけど、実際どういった内容なのかは幾久は知らない。
「お金を調べるお仕事だよ!」
「またざっくりとした説明っすね」
「会計士持ってりゃ税理士もできるし。あとは美容師かな。理容師でもいいけど」
「えらく違うジャンルっすね」
「やっぱさ、肩書きも大事だけど手に職も大事だなって思うんだよ」
「会計士だって、手に職じゃないんすか?」
いわゆる『士』業なら立派そうにも聞こえるけども。
だが吉田は首を横に振った。
「なに言ってんだよ、このご時勢たとえ弁護士だってメシ食えないって言われてるんだからね。時勢はどうかわるかわかんないんだから」
「世知辛いっす」
「そんなもんだよ。お金がないのは辛いよ」
吉田はあまり家が裕福でないとは聞いている。
だから勉強に興味がなくても鳳に所属しているのだとも。報国院の鳳クラスなら、授業料も寮費も無料だし、資料や参考書代も負担してくれるし、おまけに生活の補助もしてくれるからだ。
「おれん家、金ですっごい苦労したからせめてお金で苦労したくないんよね」
「お金で苦労したら、稼げる仕事とかがいいって思いそうなのに」
会計士がいくら稼げるのかは知らないけれど、首を傾げる幾久に、吉田が言った。
「お金なんかさ。いくらあったって無駄だよ。馬鹿が居たら何億あっても意味がない。穴の開いた鍋みたいなもんだからさ」
「……」
吉田の家の『貧乏』というのも、なにか一筋縄ではないらしい。幾久がその空気を感じて黙っていると吉田が笑って返した。
「だから、お金の流れとか、どうやったらお金を逃さずに済むのかっていうのが知りたいんだよね」
「フーン」
吉田は吉田なりに、考えていることがあるようだ。
「先輩らってけっこう考えてますよね。オレ、来年そこまでいけてんのかなあ」
「別に深く考えることもないんじゃない?多分ガタなんか、すっごい馬鹿な理由で進路決める気がするし」
「ああ……」
それは確かにそうだな、と幾久は思う。山縣は三年だから、進路も当然決めないとならないが、とても馬鹿げた理由で馬鹿な進路を選びそうだ。
「なんかギャップ、すごいっすね」
吉田のように将来を考えている先輩もいれば、山縣のようによく判らない三年も居て、高杉や久坂のように、幼馴染の先輩が行くところについていくというのもある。
「いろいろだなあ」
幾久がつぶやいた。そのいろいろの、どれも自分とは違う気がした。
結局考えてもそう簡単に結果なんて出るはずもない。
父親からたまたま電話があったので、いろいろ喋っていると先輩の話になり、吉田の目指している会計士が実はけっこうとんでもない資格というのも知って、やっぱ鳳エリートじゃねえか、と思った。



2016/04/04 up