岡目八目

(2)岡目八目

幾久が教室に戻ると、伊藤も弥太郎もすでに戻っていた。
「遅かったじゃん、幾久」
「いっくんおかえりー。からあげ探してたの?」
「からあげから離れろって。つか、今日食べたのってからあげじゃないし」
「そっか。でも遅かったけど、なんか用事でもあったん?」
てっきりご飯食べたら、すぐに戻るかと思ってたのに、という弥太郎に幾久が言った。
「タマ……児玉君と食堂で食ってたんだよ」
弥太郎が驚いて幾久に言った。
「え、タマと?いっくんとふたりで?」
「そう」
「いっくんってタマ苦手じゃなかったっけ?」
にこにこしてはいても、児玉は鳳クラスじゃないのに御門寮に所属している幾久を複雑な感情で考えていたのをみんな知っている。幾久もそれは判っていたし、なんとなく苦手ではあった。
「と思ったんだけど、そうでもなかった」
「……ふーん」
不思議そうな弥太郎に、何かあるのか、と尋ねる前に昼休み終わりの本鈴が鳴り、全員慌てて自分の席に戻ったのだった。

午後の授業が終わり、下校の時間になった。いつも通り幾久は荷物をまとめて帰り支度をしていた。
幾久は一番遠い御門寮なので、当然帰りも一人になるが、弥太郎の部活がない時は恭王寮近くまで一緒に帰ることもあった。
伊藤は学校のすぐ近くの報国寮で方向も違うので一緒に帰るということはない。報国寮は帰っても規制が多いとかで、自由時間が欲しい伊藤はあちこちの部活をかけもちしていて、毎日忙しそうだった。
今日は弥太郎も部活があるので、幾久は一人で帰ろうとその準備をしていたのだが、その幾久を弥太郎が呼び止めた。
「いっくん、ちょっといい?」
「なんか用事?」
「うん、まあちょっと」
弥太郎が言葉をはっきり言わないのはめずらしい。
「帰りさ、つきあわない?」
「いいけど、ヤッタ今日部活じゃないの?」
「休む連絡した。OKだって」
部活が大好きな弥太郎が、わざわざ部活を休むなんて信じられない。これはなにかあるんだろうと幾久も「じゃ、いこっか」とリュックを背負った。

二人で学校を出て、弥太郎の提案でいきつけの和菓子屋で饅頭を買い、ペットボトルのお茶も買った。
恭王寮に行くまでには観光客向けの休憩施設があり、平日は誰もそこには居ない。
通る人からは丸見えでも、川の傍にあるその施設は普段は誰もいないので会話は聞こえることがない。
川沿いがよく見えるように木でできたベンチがいくつも置いてあるそこに、幾久と児玉は腰を下ろした。
買った饅頭を食べ、お茶を飲む。
弥太郎が普通の話しかしないので、幾久もそれに合わせていたが、こんな人気のない場所に来るのはきっと聞かれたくない話があるからだろう。
「で、何の話?」
幾久が切り出すと、弥太郎が言った。
「今日の昼さ、いっくん、タマと食べたんだろ?」
「ウン」
「あと、タマって呼んでんだ?」
「今日からだけどね。タマがそう呼べって」
「そっか」
どこかほっとしたように、弥太郎が言うのでこれは児玉がらみのことかと幾久も気付いた。
「なんかあったの?」
「―――――なんかあったっていうか、ありそうっていうか」
幾久に言うのを躊躇っているような雰囲気で、ますます弥太郎にしては珍しい。いつもは言わなくてもいいことをわざわざ言うような奴なのに。
「タマの事?」
言い出しにくそうな弥太郎に、幾久が尋ねると弥太郎は頷いた。
「タマ、寮とかでちょっと、浮いてるっていうか。孤立してるっぽいんだよね」
「孤立……」
寮で浮いているとか孤立と聞いても、幾久のイメージは山縣しか浮かばない。児玉はああ見えて、雪充にはなついているし、弥太郎ともうまくやっていると思っていたのだが。
「なんで?雪ちゃん先輩とか、ヤッタとかいんじゃん」
「逆に、俺と雪ちゃん先輩しかいないっていう方が正しいんだよ」
実は、と弥太郎が話し始めた。
「タマってさ、目つき悪いし、他人に対して割と無神経なところあんじゃん」
「まあねえ」
確かに雪充の前では大人しいのを装っているが、実際はけっこう乱暴っぽいし態度も雑だ。
「でも雪ちゃん先輩の前では猫かぶるだろ」
「でもあれって、雪ちゃん先輩、知ってるじゃん」
児玉が拘っているのは、今日話を聞いたから余計に判るけれど『理想の鳳像』というものがあるからだ。
優しくて、穏やかで、賢そうな、鳳の御門寮のお兄さん、それに憧れてそうなろうとしている。
頑張っている児玉を雪充も知っていて、それはそれで置いているといった風だが。
「けど、他の連中から見たら『うざい』とか『すりより』やってるんだってさ」
「ああ……」
それ、同じ台詞どっかで聞いたなと幾久は表情をしかめる。以前、幾久も伊藤と仲良くしているだけで、そんな風に言われたものだ。
「恭王寮ってけっこういい寮の部類には入るんだよ。貴重なものもあるし。やっぱ素行悪いと入れないし」
「ふーん、そうなんだ」
以前恭王寮に行ったことはあるが、確かに調度品や資料なんかは年季を感じた。
「で、恭王寮=選ばれしもの!みたいな空気があるにはあってさ。鷹の連中が多いせいもあるかだけど。で、鷹ってやっぱ、鳳に絡むのな。雪ちゃん先輩みたいに、三年で鳳で寮の責任者でってなったら別格扱いなんだけど、タマってそのへん考慮しないし」
「わかる気がする」
「タマとしては、鳳の勉強についていくのが必死って感じで、出来る限り一人で勉強してるけど、それを見た雪ちゃん先輩が教えたりするんだよな。そしたら、雪ちゃん先輩に取り入って鳳に入れてるとかなんとか言い出して」
「えぇ?んなの理不尽じゃん。だったら自分らも雪ちゃん先輩に教えて貰ったらいいのに」
話を聞く限りでは、児玉が無理矢理雪充に勉強を教えて貰うために取り入っているという風には感じない。
「だろ?でも雪ちゃん先輩には言えないんだよそいつら」
「何で?」
心底幾久は不思議でそう尋ねたが、弥太郎は首を横に振る。
「なんか言いづらいんだってさ」
「えー?だってヤッタだって鳩じゃん」
鷹の人が雪充に教えて、と言い辛いなら鳩クラスの弥太郎なんか余計に言いづらいのではないかと思うが。
「あいつらいわく、『鳩くらい空気読めずに馬鹿だったら逆に言えるよなー』ってさ。なんだそれっていう」
「うっわ。いやな奴」
「だろ。しかも俺の目の前で平気で言うから全く悪気ないんだぜそいつら。じゃあタマはどうなんだってなるじゃん?そしたら『あいつは恥ずかしげもなく擦り寄ってるから』とか言ってんの」
「ますますやな奴」
「なー、そう思うだろ?で、当人らは雪ちゃん先輩にめっちゃ腰低いんだぜ。どっちが擦り寄りだよって思うわ」
ふう、と弥太郎がため息をつく。幾久にはあまり縁のない話だが、どこの寮でもそういった事はあるんだろうな、と思う。
「タマ自身はあの通り、気にしてないんだけど、なんか微妙な嫌がらせする奴が出てきてさ。タマ、それにちょっとイラついてるっぽくて」
「嫌がらせ?」
弥太郎は頷く。
「すっげーバカなことだよ。タマが勉強してたらシャーペンから芯を抜くとか、消しゴム捨てるとか」
「小学生かよ」
今時小学生でもそんな馬鹿げたことはしないだろう。
「や、なんか鷹ってさ、メンタルが割りとそれなんだよ。鷹目指してる奴って、あんまりいないんだよ」
その辺よく判らないが、幾久は頷いておく。
「鳩の出来が良い奴が鷹止まり、とかってのはあるけど、大抵が鳳目指して届かないって連中が多いわけ。このあたりじゃ小学生から鳳目指すってのもあるし。つまり、勉強、勉強ばっかでメンタルは小学生のままっていうか」
「―――――すごいわかる」
幾久もそういった連中は経験がある。
塾はそういう事が少なかったが、幼稚舎から持ち上がり式の私立のエレベーター学校では、そういった連中も何人か存在した。その中の一人をつい思い出してしまい、幾久はいやな気持ちになってしまった。
「そんな奴らの目の前で、タマが全くまわり気にせず居ると逆に『あいつ鳳だからって』っていう言いがかりつけられたりしてさ。で、面倒が嫌な奴らはそういうのに迎合してるっていうか、基本知らないふりしてるっていうか」
「それもすごい判るわ」
実際、そういう連中の中から幾久は逃げてここへ来た訳だから、児玉のいる環境が誰よりも理解できる気がする。
「で、結果としてタマが孤立しちゃうっていうね」
「他に一年生の鳳っていないの?」
「いるよ。タマ入れて三人」
「だったらなんでタマだけ?」
「言ったろ。雪ちゃん先輩に媚売ってるって思われてるから。タマは、御門寮の話を聞きたがってるだけなんだけど」
ふう、とまた弥太郎がため息をついた。
「俺はさあ、タマがどんだけ御門寮に憧れてるかって知ってるから雪ちゃん先輩に関わりたがるタマの気持ちも判るんだよね。それにタマ、すごい勉強してるし」
「やっぱそうなんだ」
弥太郎は頷く。
「すげーよ。試験終わったのに、なんかタマだけずっと試験中みたいでさ。雪ちゃんも『勉強しすぎ』ってタマを宥めてるんだけど、どうも落ち着かないみたいで」
「それだけ勉強してたら、なんか鳳余裕って気がするのになあ」
「な、そう思うだろ?でも雪ちゃん先輩曰く、『そういう勉強の仕方じゃ駄目』らしいんだよな。タマに必要なのは勉強の量とかじゃなくて、なんていうか、考え方の考え方?みたいなもんだって」
「よく判んないね」
考え方の考え方、なんてまるでクイズみたいで判りづらい。
「タマの勉強の仕方は詰め込み式だから、鳳じゃそろそろついていけなくなってるはずって雪ちゃん先輩も言うのな。タマもそれは判ってるけど、だから余計にどうしていいか判らないみたいで」
なるほど、それで今日学食で幾久に擦り寄りとか態度とか、そういった事を尋ねてきたのかと幾久は納得した。寮がそういう雰囲気だと居ても楽しくないだろうし、勉強もやり方が掴めないなら焦ってしまっても仕方がない。
児玉が気にしていた東京から見たレベルと言うのも、決して進学先を良い大学にしたいから考えた訳ではなく、鳳に所属するための勉強のヒントが欲しかったのだろう。
「雪ちゃん先輩いわく、特に一年で前期は仕方がない、毎年こういうのが一番酷いのがここだから、ここを上手に乗り切らないと報国院ではどのクラスに居ても辛いよって。タマは正直、そんな気にしてないっぽいけど」
「そうでもないと思うよ」
幾久が言うと、弥太郎が顔を上げた。
「はっきりとは言わないし、そんなの見せないかもしれないけど、やっぱタマはタマで気にしてるっぽかったよ。正直ヤッタの話聞いたら、タマに悪いところなんか見えないけど―――でも、そういう事ってあるじゃん、いいとか悪いとか関係なく、来られるのって」
「そう、かも」
「オレだって、トシと一緒にいるだけでいちゃもんつけられたけど、いちゃもんつけてきた奴らって多分本気でオレが擦り寄ってるって思ってただろうし、見えてたんだと思うんだよな。そういう誤解ってさ、多分誤解じゃないんだよ。そいつらにとっては」
「……」
御門寮に所属しているせいだろうか。幾久は自分でも驚くくらいに、考えがすらすらと出てくる。
「ガタ先輩ってさ、誰に何を言われても気にしないっぽいけど、実際は気にしないんじゃなくて、目に入ってないだけなんだよ。でもタマは違う。ちゃんと目にも耳にも入ってる。だから気にするし、考えるんだよ」
自分で言いながら、幾久はそっか、と納得していた。
児玉がなにげなく幾久に尋ねてきたことの真意は多分これだ。
悪気もないし、悪意もない。
素直に自分を表現しているだけなのに、悪意を持った人が来れば、そういう風にとられてしまう。
「気にするだけ無駄ってやつだって、今のオレなら判るけどさ」
中学を卒業して、この報国院を受験して御門寮に所属して、先輩達にもみくちゃにされつつも、なんとかやってきている幾久だから、今は自分を持っていられる。けれど、もしあのまま東京に居て、あの学校の高等部に進学して、あのまま母親のずっと居る家に居たら、きっとずっと悩んでいただろう。
ひょっとしたら、児玉と自分は似ているのかもしれない。幾久は唐突にそう思った。
児玉の事が苦手で、多分児玉も幾久にいい感情は持っていなかったはずだけど、互いに互いの考えなんかが判ってくると、ああ、そうなのか、と納得できる。
「でも、そんなしょーもないことされるって、嫌だろうな、タマ」
「露骨にイラついてるよ。だから逆に勉強ばっかしてても、身に入らないってのもあるみたいで」
折角ずっと勉強して、鳳にも入れたのに、なんでそんな目にあうんだろう。理不尽だ、と幾久は思う。
「力関係がはっきりするまで、仕方のない事だって雪ちゃん先輩は言ってた。そのうち、収まるように収まるって。結局できるやつはできるけど、出来ないやつはできないからって」
「……でも、このままじゃタマはできないほうに入っちゃうんだよね?」
幾久の言葉に弥太郎も頷く。
「そう言う事になっちゃうよなぁ」
もし鳳から鷹に落ちてしまったとしても、成績で言うなら充分だろう。だけど、鳳に居たい児玉にとって、そんな慰めは何の意味もないだろうし。
「俺も出来るだけタマと行動してるんだけどさ。めんどいのが誘うんだよ。で、結局タマが『こっちは気にすんなよ』って逃げるってのが最近のパターンでさ」
「それはなんか、誘われる弥太郎も嫌だろ」
「やだよ!だからなんとかしたいけど、どうにもならないっていうか」
はー、とまた弥太郎はため息をつく。
「まさかさあ、この年齢になってまで同級生が消しゴム隠されたり、シャー芯なくされたりするのを見るとか、そう言う事に悩んだりとかすると思わなかった」
しかも鷹がだよ、と弥太郎が肩を落とす。
「鷹って、どの学年もそんなんなのかな」
たかが鷹だろ、なんて寮の先輩が言っていたが、そんなのが鷹のカラーなら、それは馬鹿にされても仕方がない気がする。
「一番酷いのが一年前期だとは聞いたけどさ」
それにしたってあんまりじゃね?と弥太郎が言い、幾久も頷く。
「どうにかしてやりたいけど、なんかどうしていいか判らないんだよな」
「……だよなぁ」
弥太郎と幾久は、二人で互いにはぁーっとため息をついて、せめて昼食は一緒に食べるようにしよう、と密約を交わしたのだった。


寮への帰り道ではずっと児玉の事を考えていたが、当然弥太郎と話したこと以上の内容は思い浮かばなかった。
どうにかしてあげたくても、しっかり者の雪充が現状しかないと考えているのなら、それ以上自分に出来ることもないだろう。
(でもなんか、判るんだよなー……)
児玉のあっている目は、幾久が以前あっていたのと同じ目だ。
だから余計に、どうにかしたいと思ってしまう。
「ただいまーッス」
御門寮に帰ってきて、玄関で幾久は靴を脱ぐ。
靴の様子を見ると、山縣は当然寮に居るし、高杉と久坂も帰ってきている。吉田はバイトなのか、靴が見当たらない。
麗子さんが夕食を作りに来るまではまだ時間がある。
多分今頃、夕食の買い物に出かけているはずだ。
幾久は部屋で制服から上はTシャツ、下は高杉からお下がりで貰ったお洒落なデニムのハーフパンツに着替えて居間へ向かう。
さっき弥太郎と饅頭を食べたのでお腹はすいていないが、喉が渇いてしまったのでお茶が欲しい。
「おかえりいっくん」
「おかえり、幾久」
「ただいまッス」
久坂と高杉の二人という事は、給仕は当然期待できないので幾久は自分からお茶を入れる。
キッチンでお茶を入れていると、居間から二人が声をかけてきた。
「幾久、ワシも」
「僕も」
「はいはいっす」
どうせ自分のついでなので、幾久はお茶を入れて二人の所へ持っていく。
「どーぞ」
「悪い」
「ありがとう」
二人はなにか会議の最中だったらしく、ちゃぶ台の上に書類を広げていた。書類を汚さないように幾久が端っこでお茶を飲んでいると、それに高杉が気付き「悪い」とさっと書類を重ねた。
「あ、いいっすよ別に」
「いや、もうほとんど終わっとったんじゃからええ」
久坂と高杉はいつも一緒で、いろいろ二人で何かやっていることが多い。今回もなにか難しい内容か、勉強かなのだろう。
「それより、どうした?」
「え?」
「さっきため息ついとったじゃろう」
「え?まじっすか?」
そんなの全く意識していなかった。いつ出たのかな、と幾久は驚く。
「なんかあるんか」
高杉の問いは鋭いし、ここで誤魔化しても絶対にいろいろ聞かれるのは間違いない。
「……オレの事じゃないっすよ」
ため息の原因があることは否定せず、そう告げると高杉は更につっこんできた。
「じゃあ、誰のことじゃ」
あれ、これって誤魔化させてくれないパターンの奴だ、と幾久は気付き、久坂を見ると、久坂はにっこりとイケメン丸出しで微笑んで言った。
「誰?」
―――――退屈なのかな、この二人。
無礼にもそう思ったが、幾久は肩を落としてぼそりと言った。
「恭王寮の、児玉君です」
「ああ」
「ほう」
そう言うと、がっつりこちらに顔を向けてきたので、幾久は諦めて、さっき弥太郎とした話をかいつまんで二人の先輩に説明することになった。

児玉の状況の話をひととおりし終わると、高杉も久坂も「ふーん」といった対応だった。つまり、どうでもいいのだろう。
「ま、雪がそう言うならそうじゃろうの。鷹のしょーもないのは本当にしょーもないからの」
「相手が馬鹿みたいな事してるなら、対処しようがないよね。乗れば喜ぶし、怒っても喜ぶし」
やっぱりこの二人も雪充と同じ見解らしく、児玉がどうにかするしかない、と判断したようだ。
「でもさ、いっくんがそこまで気にすることないでしょ?苦手だったはずなのに、いつの間に『タマ』って呼んでんの?」
「えーと。今日からっす」
「瑞祥はそういう事を言っちょる訳じゃないぞ、幾久」
「判ってますよ。でも、どうにかしてあげたいって思うんスよ」
「なんでじゃ」
「どうして?」
二人同時にそう尋ねられ、幾久は答えた。
「オレも同じ目にあったから。この学校に来る前。変ないちゃもんつけられて、質問に答えてるのに全く話が通じないし。そういう奴は、そういうもんだっていうのも判ったけど今は」
ただ、渦中に居る児玉としては、心穏やかではないだろう。
「折角憧れの鳳に入って頑張ってるのに、変な事で邪魔されるとかやっぱ理不尽じゃないっすか」
「でも、それをどうこうするのもやっぱ本人でないとね」
久坂の言葉はあくまで冷たい。
「いっくんの気持ちも判らないでもないけど、鳳っていうのが定着するまではどうしてもそういうのは避けられないよ」
「まあ、そこは瑞祥の言うとおりじゃ。ワシらもそういうのからは絡まれたしの」
やっぱそうなのか、と幾久は二人を見ると、全く同じタイミングで二人は頷き、久坂が言う。
「定期テストってさ、やっぱり学校の授業でテストな訳だろ?でも入試は違う。そりゃ、ある程度の対策は練れるけど、いくらこのあたりが公立ばかりといってもやっぱりレベルの違いは出るし、塾にも行くし、個人で勉強したりするわけで。だから鳳に受からなかった、鳳目指して鷹になってる奴は『なんであいつが』みたいなのがあるんだよ」
「定期テストを繰り返しゃ、嫌でも実力は出るわけじゃから、そうなると落ち着くんじゃけどの」
「それっていつくらいっすか?」
幾久が尋ねると、久坂と高杉はうーん、と考えてぽつりと言う。
「中期の、中間が終わったあたりかの」
「おっそ!」
中期の中間、ということは二学期の中間終わりなわけだから、十月頃になってしまう。
「まだ六月なのに、十月まで我慢とか、四ヶ月あるじゃないっすか」
「一ヶ月は夏休みがあるし」
「それでも三ヶ月は長いっすよ」
幾久自身だって、そんなに長く持たなかった。ほんの少し言われただけでもダメージは蓄積する。
しょうもないことほど、苛立ちは積もるものだ。
「なんとかできないのかなあ」
「そんなん、次も鳳になってよその寮に希望を出せばええだけの話じゃ」
高杉はそう言うが、果たしてそううまくいくだろうか。
「そりゃそうかもしれないっすけど」
でも、と幾久は高杉と久坂に尋ねた。
「じゃあ、もしタマが次も鳳で、この御門寮に来たいって希望出したら先輩らOK出すんですか?」
「出さん」と高杉。
「ないね」と久坂。
「ほらやっぱり!」と、幾久は声を上げた。
基本、久坂も高杉も他人を受け入れるのが嫌いだ。
幾久はなにかと複雑な事情があって仕方なく入れた結果、まあいいかとなっているが、これ以上他人をこの寮に入れる気は、この先輩達にはさらさらないのだ。
「あぁー、タマ可愛そう。どうしたらいいんだ」
「そんなん自分でどねえかさせろ」
「そうそう、いっくんでも自分でどうにかしたんだから大丈夫だよ」
「オレのどうにかは人殴ってんすよ。タマが人殴ったら、やばいんじゃないんすか」
児玉が高杉や久坂と同じように、武術的なものをやっているのを聞いたことがある。だから幾久が絡まれたときも、全く動じず相手に攻撃していたのだ。
「あ、確か今はボクシングだよねあの子」
「ガチでやばいやつじゃないっすか!」
えー、と幾久は引く。
「じゃあ、恭王の奴らって、タマがボクシングやってるの、知らないんすか?」
久坂はすずしい笑顔で、「逆」と言った。
「違うよいっくん。ああいう手合いはね、そういうのをやっているから逆に嫌がらせすんの」
「……?どういう意味っすか?」
ボクシングをやっている相手をからかうとか、幾久からしてみたら正気の沙汰とは思えない。
だが、武道や武術の経験者である高杉と久坂は説明してくれた。
「だからさ。そういうの習ってると絶対に素人とは喧嘩できないよね?つまりそう言うこと。自分を殴れない立場の奴だから、何しても何もできないだろって」
そういうことだよ、と久坂が言うと、幾久は心底、軽蔑した眼差しでぼそりと言った。
「なんだそれ。そいつら屑じゃないっすか。屑すぎっすよ」
久坂と高杉は目を合わせて、そしてものすごい笑顔になった。
「なんすか。いま笑うところじゃないっすよ」
「―――――そういう所、幾久らしいの」
「ほんと。心が洗われるよ」
二人で楽しそうにニヤニヤしているので、幾久はむっとしてしまう。
幾久はそういった習い事の経験はない。せいぜい、サッカーを習いに行ったくらいだ。
「そこまでいっくんが心配しても仕方がないよ。一応、雪ちゃんが事情知ってるなら、できるかぎりの事はしてくれてるって」
「そうじゃぞ。それにそんなに嫌なら部活にでも入りゃええんじゃ。そうすりゃ、トシみたいにギリギリまで寮に帰らんですむしの」
報国寮の伊藤は寮に帰るのが嫌だと部活のかけもちをやっていてギリギリの時間まで学校に粘っている。
確かにそうすれば、寮には遅く帰れるけれど。
「でも、鳳に居るには勉強時間がいるわけでしょ」
タマの今の実力では鳳に居続けるのは難しいと聞いている。出来るだけ勉強をしたいなら部活をするような暇はないはずだ。
しかし、報国院は学習室も試験前にならないと遅くまで開放されないし、図書室も放課後は基本閉められてしまう。
勉強する場所は、寮しかないのに寮では落ち着いて勉強は出来ない。
他寮に入るには許可が要るし、かといって毎日頻繁に出入りなんてできるはずもない。
「部活かぁー」
難しいなあ、と幾久は頭を悩ませる。幾久はまだどこの部活にも所属していない。なんらかの部活に登録はしないといけないらしいのだが、テストや寮の事に追われてそれどころじゃなかった。
というより自分の進路そのものに悩んでいるわけだから、正直部活がどうなんて頭の片隅にもなかった。
この報国院に居続けるなら部活には入ったほうがいいのだろうけれど、もしこの学期でここを辞めて、他校に編入するのなら部活なんかやっている場合じゃない。九月あわせで編入するなら、それなりの準備や勉強が必要になってくるだろう。
「オレも部活、考えた方がいいのかなあ」
はあ、と息を吐いてがっくり肩を落とす幾久に、高杉が驚いて言った。
「何言っちょるんじゃ幾久?お前、もう部活には入っちょるぞ?」
「は?」
そんな話聞いたこともないし、知らない。
「ちょ、……え?なんすかそれ。初耳っすよ」
驚く幾久に、久坂も驚く。
「え?じゃあ高杉言ってないの?」
「言っちょらん。栄人が折を見て説明するって言っちょったが」
「ちょちょちょ、マジ待ってくださいよ。えー?!オレ部活入ってんすか?!いつの間に?つか、んなの聞いてないし!」
三人が三人とも驚いて顔を見合わせ、首を傾げたが、詳しくは吉田がバイトから帰ってきて聞くしかなさそうだった。



2016/04/03 up