右往左往
(2)遅き日
どうしよう。
一体ここはどこなんだ。
笑っている場合じゃない、と、幾久は神社の鳥居をくぐって敷地内へ入った。
報国院の隣の神社より、かなり大きくて綺麗な神社だ。石造りの鳥居は見上げないと見えないし、神社までの参道は綺麗な石畳が敷いてあり、その中央にはまるで時代劇に出るような、赤いアーチ型の橋がかかっている。
ただ、不思議なのはなぜか参道のど真ん中にあることだ。しかしそれをなぜかと調べる余裕は幾久にない。
迷子だ。
本当に心底、迷子になってしまった。
時刻は十八時。
東京より日が長いおかげでまだ明るいが、それでもあと一時間もないうちに日が落ちるだろう。
それに携帯はないし、お金もない。
連絡先は全部携帯の中だし、電話番号のメモもわざわざ別にとっていない。
(万事休す、ってこの事?)
はあ、と幾久は参道の横に据えてあるベンチに腰を下ろしてがっくりと肩を落す。
「もーマジでどうしたらいいんだよ。ったく」
まさか『迷子なんで助けて下さい』なんていう訳にもいかない。
(でも、それしか方法がない気もする)
このままでは日も暮れるし帰り方も判らない。
歩いて帰ろうにも場所が判らないとどうにもならないし、タクシーを使おうにも、いくらかかるか判らない状態では使えない。
(ほんっとマジでどうすんの、オレ)
どうしたらいいのか全く判らない。
もう警察に行くしかないのか。
迷子です助けてくださいって?
高校生にもなって?
「うわああ、恥ずかしい!」
せめて携帯をちゃんと忘れずに持って出かけたら、と激しく落ち込んでいると、爆音が近づいてきた。
一体何の音だと驚いて顔を上げると、どこかのお兄さんが鳥居の前でバイクを止めている所だった。
お兄さんはバイクを止め、鳥居の横にある、石灯籠の隣にバイクを置くとヘルメットを外し、そして片手に発泡スチロールの箱を抱えて、鳥居に入る前にぺこりと一礼して、神社に入って来たのだが。
「……あれ?」
幾久は驚いて目を見張る。
そのバイクに乗ってきたお兄さんに見覚えがあったからだ。
「あれぇいっくん?!こんな所でなにやってんの?!」
正直、こっちが聞きたいです。
見覚えがあったのは当然だ。
バイクに乗ってきたお兄さんは、幾久が入寮した日に魚を運んできた、魚市場に勤めているという『うさちゃん』『うさ兄』こと、宇佐美だった。
報国院のOBなので、当然今のところは幾久の先輩にもなるのだが。
大雑把に今まであったことを説明すると、宇佐美は「そっかあ、そりゃ大変だったねえ」とげらげら笑ったものの、「じゃあ寮まで俺がおくったげる!」と言ってくれたのでもうなんでもいい。
良かった、本当に良かった、とほっとしていると、宇佐美が神社へ進んでいく。
「え?あの、」
「いっくんお参りした?してないなら一緒に参ろうよ」
言われて宇佐美について行くと、さっきのなぜか参道にある橋の向こうに手水場があった。
木の柄杓がたくさん並んでいて、手水場も立派だ。
宇佐美は柄杓に水を掬い、一杯で綺麗に手を濡らし、口をすすぎ、元に戻していた。
この神社には手水場に作法が乗っている。真似てみたものの、左手にかけ、右手にかけ、左に口をすすぐ用の水を移したところで柄杓は空になった。
「一杯じゃ無理っす」
そう言う幾久に宇佐美がはは、と笑う。
「そのうち慣れるって」
仕方なく、二杯目の水を掬って全部の作法を済ませた。
ハンカチで手を拭きながら、長い石段を登る。
石段の前には大きな狛犬があったが、狛犬、というにはなんだか全体がもっちゃりしてコミカルだ。
(なんか、かわいいかも?)
神社と言うと少し怖い雰囲気もありそうだが、ここの狛犬はそんな風に見えなかった。
石段を登ったところには赤い門があった。
そして雰囲気を感じて思わず顔を上げると。
「うわっ!」
びっくりしたのは、人形が二対あったからだ。
門はちょっとした厚さがあり、門の両脇に空間があり、そこにガラス越しではあったけれどおじいさんと若い男の、ひな人形のような平安時代の格好をした等身大の人形があった。
「はは、びっくりした?」
宇佐美が笑う。
「なんででっかいひな人形が」
「ひな人形……まあそうだけど。ただしくは随身、って言うんだよ」
「ずいしん?」
「今でいう所のSP」
「へぇー」
確かに弓とか持っている。なるほど、神社を守っているのかと納得する。
でかい人形はどことなく雰囲気があって、こんなの夜中にいきなり見たら泣くだろ、と思った。
門を過ぎると目の前に神社のがあった。
重要文化財とか国宝とか書いてある。
見るからに立派だと思ったがやはり立派な神社だったらしい。
賽銭箱があったので、宇佐美とそこに賽銭を入れた。
ちなみに幾久は残った十二円を全部入れた。
無事寮に帰れるのがここの神様の采配なら、全財産放り投げてもおしくない。
十二円だけど。
そう思いながら、とりあえずここの神様にも感謝をしておいた。
お参りをすませると、宇佐美はお札を売っている事務所のようなところへ顔を覗かせた。
「アキとヨルは?」
「いますよ。呼んできましょうか?」
「頼む頼む。あ、あとこれね、魚」
「いつもありがとうございます!」
「いいえー」
さっき持っていた発泡スチロールを巫女さんに渡し、宇佐美はその隣にある待合室へ勝手に入っていく。
「勝手に入っていいんすか?」
「あー、いいのいいの。いつもそうだし。いっくんジュースいる?おごるよ?」
「お茶があるんで、いいっす」
思えばこのお茶のせいで、どれだけしんどい思いをしたか。
いや、元はと言えば山縣のせいだけど。
宇佐美がジュースを販売機で買おうとしたところで、二人の神主が出てきた。
神主は驚いたことに双子で、全く同じ人にしか見えないくらいにそっくりだった。
この神主達も報国院の卒業生なのだという。
幾久が後輩だと知って、じゃあコーヒー入れてあげる、と楽しそうにコーヒーを準備してきた。
(神社なのにコーヒーなんだ)と思ったけどそこは聞かないことにした。
なぜか甘いおせんべいとコーヒーを出され、幾久はそれを飲む。
やっぱり、コーヒーは寮のと同じ味がする。
気が緩むと急にお腹がすいた気がして、せんべいも遠慮なくばりばりと食べた。
休憩所には宇佐美と神主が二人、幾久の四人がベンチに座り、全員でコーヒーを飲んでいた。
「俺さあ、ここにコーヒーとか、あと神様にお供えするものとか運んでんのよ。今日は配達の帰り」
宇佐美が言うと、双子の神主の片方が言った。
「殆ど毎日来てるからな」
「そうなんすか。宇佐美先輩って、魚市場に勤めてたんですよね」
「おお!いっくん覚えてくれてたんだ!そうそう、亀山市場のフクヤマって言われてるんだ!」
「言ってるのお前だけだって、市場のおっさん言ってたぞ」
神主からのツッコミが入る。
「中々浸透しなくてさあ」
宇佐美は気にせずに首をかしげるが、もう一人の神主も呆れた風に言う。
「させるもんなのかよ」
「やっぱり最初は自己紹介だし!」
「いや、言葉の意味がちげえし」
雰囲気から見て、双子の神主と宇佐美はかなり仲が良さそうだ。やっぱり同じ寮だったりしたんだろうか。
「あ、そうそう、ここメット置いてただろ?あれ持ってきて」
宇佐美が言うと、神主が言う。
「あれ?お前今日車じゃねーの?その子とニケツできたわけ?」
「違う違う。いっくんとはさっきそこで偶然会っただけ。困ってるみたいだから、俺が送ってくの」
「はぁ、まあ、それならしょうがねえけどな」
神主が言い、フルフェイスのヘルメットを持ってきた。
「え?ひょっとしてバイク、っすか?」
幾久は驚く。
「そう。だって俺今日バイクだもん」
宇佐美の言葉に、勘弁してくれと幾久は首を横に振る。
「いや、俺バイク乗ったことないし!」
「大丈夫だって。絶対に飛ばさないし、車の来ない道を選ぶから。バイクだって二ケツOKの奴だし」
バイクなんて乗ったこともないし興味もない。
それなのにいきなり後ろに乗るとか冗談じゃない。
「えと、道さえ判れば歩いて……」
「言っとくけどここから寮まで、判りやすい道なら十キロ近くあるよ?」
「……マジすか」
「マジす」
結局、ちっとも報国院は近くなっていなかった。
今更十キロ歩くとか無理だ。もうすぐ夜になるのに。
「だから諦めて、お兄さんに送られなさいって」
ぽんっと頭に手を乗せられて、幾久は頷く。
「……そうします」
どっちにしろ諦めるしかなさそうだ。
「じゃ、あんまり遅くなってもアレだし、俺いっくん送ってくるわ」
「おー、またな」
「気をつけて。あ、ちょい待ち、待ち」
ばたばたっと一人の神主が席を外し、戻って来た。
「これあげる。今度はゆっくりお参りしに来て」
渡されたのは小さな白い紙の手提げ袋だった。
なにか入っているらしい。
「うわー、ヨル、やっさしぃー!」
「後輩じゃん」
「あ、じゃ俺もなんかあげる」
双子が喋っているので幾久は慌てて首を横に振る。
「いえ、さっきもコーヒーご馳走になりましたし!オレ、賽銭十二円しかあげてないし!全財産それしかなかったし!」
ぶるぶると慌てて首を横に振ると、神主と宇佐美が爆笑して、ああしまった、金額なんか言わなきゃよかったと思ったがあとの祭りだった。
神主二人に別れを告げ、石段を降りる。参道を歩いていると、宇佐美がたたっと池の傍にある大きな木に近づき、挨拶した。
「じゃな、
杉松」
「木に名前つけてるんすか?」
変わった人なのでそういう事をするのかなと素直に尋ねると、宇佐美が言う。
「んー?そうじゃないんだけどさ。寮にさ、
瑞祥いるだろ?久坂瑞祥」
突然、寮の先輩の名前を出され、幾久は頷く。
「あ、はい」
「あいつの兄貴の名前がな、杉松って言うんだ。久坂杉松。この木、二つくっついてるだろ?」
偶然なのか、わざとそうしたのか。
確かにかなり大きな杉の木と、松の気が根元でくっついて、Vの字みたいになっている。
「これ、杉と松なんすね」
「そうそう。杉松の名前の由来。杉のようにまっすぐ育て、松のように長生きしろ、って」
「いい名前っすね」
ちょっと古臭くて時代劇みたいだが、そういういわれを聞くといいなあ、と思う。
でも久坂は確か天涯孤独、とか言っていた気がするが。兄とは仲が悪いのだろうか。
そう疑問に思った幾久だったが、宇佐美が答えた。
「名前負けしちゃったんかな。アイツ、もう死んじゃったし」
「え?」
「あれ?聞いてなかった?」
驚く宇佐美に、幾久は答えた。
「久坂先輩は、自分は天涯孤独で、身内はハル先輩しかいない、みたいな事は言ってましたけど」
天涯孤独というなら、そういえば親はどうしているのだろうか。両親とも、もういないのだろうか。
以前、吉田が『高杉も久坂も、家庭環境は複雑でヘヴィーだ』と言っていたが。
「ああ、まぁ……そうだな。そうかもな」
バイク用のグローブをはめながら宇佐美が言う。
「確かにまあ、複雑だよな。そのうち瑞祥から話あるだろうけど」
聞けば答えてくれるよ、と言う宇佐美に幾久は言う。
「興味ないっすし」
「さっぱりしてるなあ」
「それにそういうの、聞かれると嫌なもんじゃないですか?」
よく判らないけど、と幾久は言う。自分は複雑ではないけれど、けどあのヒステリックな母親の事を事細かに説明しろ、と言われたら嫌かもしれない。
実際にこの長州市に来たのだって、幾久の先祖だという乃木希典のことを色々言われたせいだからだ。
「さあなあ。いっくんならどうかなあ」
「なんでオレならどうかなーなんすか?」
「いっくんは特別だから」
「特別?」
宇佐美が笑って言う。
「そうそう。なんたって東京から来たメガネ君、しかも受験に失敗つか、そういう理由っしょ?そりゃハルも瑞祥も穏やかじゃないよ」
ハル、とは寮の先輩で久坂の親友である、
高杉呼春のことだ。
幾久はこの二人の仲が良過ぎて、ホモだと信じていたくらい、この二人はべったりだった。
実際は久坂が、幾久の誤解に気付いて幾久をからかっていただけだったが。
高杉と久坂は親友というより、双子のようなもの、と久坂本人も言っていた。
「それ、毛利先生にも言われたんですけど、どういう意味っすか?」
「あれ、もうあいつも絡んできてたの?」
こくりと幾久は頷く。
確かに幾久は東京から引っ越してきたしメガネ君に違いない。
受験に失敗した、とは細かく言えば語弊はあるが、確かにまあ、間違ってはいない。
そんな幾久に、宇佐美が言った。
「いや、単純なことだよ。杉松、久坂の兄貴も昔は東京に住んでてさ、受験に失敗して報国院に来たんだよ。アダ名が暫く『東京のメガネ君』でさ」
幾久がバイクにまたがると、宇佐美がエンジンをかける。またすさまじい爆音が響いた。
バイクってみんなこんなだっけ。
「いくよー!しっかりしがみついてないと死ぬからねー!」
「えっ」
ぎゅっとしがみついた途端、引っ張られるようにバイクは神社から出て行った。
爆音の中、乗ったことの無いバイクにのせられてあまりの怖さに必死にしがみついていたが、その後もかなりの恐怖を味わった。
というのが、これがまた、山の中を通られた。
家は確かにあるけれど、どう考えても山だろ!という環境の中にある道路を宇佐美は下った。
最初はゆるゆると登っているだけだったのに、くだり坂から急に傾斜がひどくなって、もう何度『落ちる!落ちる!』と叫んだか判らない。
しかもかなりの傾斜なので、バイクが早く走れないらしくそこそこゆっくり降りるので余計に怖かった。
それでも手を離したら死ぬ!と思っていたので必死に宇佐美にしがみついた。
爆音を響かせてバイクが幾久の所属する『御門寮』の前に到着した。降りた瞬間、ふらついてしまったが宇佐美が腕を引っ張ってくれる。
「……あざす」
「お疲れさんーお、けっこう早かったなあ」
時計で時間を確認しながら宇佐美が言うが、幾久はそれどころじゃない。
「し、死ぬかと思った……」
迷子だったのを助けてくれたのはありがたかったが、さすがにバイクはちょっと大変だった。
生まれて初めて乗ったけど、もう二度と乗りたくない。というか今日は大変じゃないことがなかった気がする。
「大げさだなあ。ちゃんとスピード出てなかったっしょ」
一応気をつかったらしい宇佐美は反撃するが。
「スピードは出ないけど角度が……」
「あー、まあね。でもあそこまで角度あったらねえ、とばしたらふっとんじゃうし」
スピード出されなくてよかった!と幾久はほっと胸をなでおろした。
「ついでだから寮に寄ってくわ」
報国院高校のOBで、この御門寮出身でもある宇佐美は気安く寮に入っていく。
一緒に御門寮の門をくぐり、敷地内の庭に入ると、すでに寮から誰か出てきた。
「いっくん!よかった、帰ってきた!」
幾久の姿を見て安心して近づいてきたのは二年生の吉田栄人だ。
「ただいまっす」
「おっす。あれ?バイクに気付いた?」
宇佐美の言葉に吉田が首を横に振る。
「双子から電話があったって、ハルが」
「あー、それでか」
さっと吉田が何も言わずに幾久や宇佐美の荷物を受け取る。
「いっくんが出かけたってガタに聞いて、それなら別にいっかと思ってたんだけど、遅くなっても帰ってこないしおかしいなと思って携帯鳴らしたら寮の中にあるし。困ってるんじゃないのかって思ってたら案の定」
「えーと……」
山縣に頼まれた事は喋っていいのだろうか、と思っていると吉田が答えた。
「あ、ガタは全部吐かせた。ほんっとあいつ、どうしようもない!ボコボコにしといたから安心して」
「えっ……」
ボコボコとは穏やかじゃない、と幾久は思ったが、吉田は笑顔で答えた。
「あ、あいつじゃないよ。あいつの大事にしてるフィギュア」
ひどい。
あのオタクの山縣はフィギュアを大事に大事にしてるのに。
倒れただけで叫ぶレベルなのに。
本人を殴るよりよっぽどダメージを食らっただろう。
にこやかなのに、やっぱ栄人先輩もちゃんと怖い、と幾久は体を震わせた。
寮に戻ると、犠牲のフィギュアのせいだろう、憔悴しきって倒れている山縣先輩と、幾久を心配してくれたらしい高杉と久坂の顔があった。
「ただいまっス」
幾久が言うと、高杉も久坂もほっとして、「おかえり」と言ってくれた。
「電話あったんか」
宇佐美がブーツを脱ぎながら尋ねると高杉が頷く。
「うん。双子が電話してきてくれた。うさ兄が、さっきいっくん連れて出たって」
「気が利くなあ、あいつら」
俺がそうすりゃよかったかなー、でもすぐだしなーと言いながら上がってくる。
吉田が二人の荷物を置き、いつものように、こまごまと動き始めた。
「いっくん、コーヒー飲む?」
「いや、さっき神社で貰ったんで」
それより空腹だからご飯がいい。夕食まだかな、と思っていると、宇佐美が尋ねてくれた。
「それよりさあ、ご飯まだ?」
「まだも何も、うさ兄急に来たじゃん。まあ一応、麗子さんがいろいろ置いてくれてる」
呆れていう久坂だったが、宇佐美は全く気にしない。
ああ、それで宇佐美のことを『うさ兄』と呼んでいたのかと納得した。
久坂は人を寄せ付けない雰囲気があるし、自分でも人見知りと言っていたけど、宇佐美に対しては全くそんな感じがなかった。兄と親しかったのなら、久坂も宇佐美をよく知っているのだろう。
「それでいいや。それ食お」
「ま、幾久が帰ったら飯にするつもりだったからの」
高杉が口を開く。案外、面倒見のいい先輩なので心配してくれたのだろう。
「えと、アリガトウゴザイマス?」
「別にええ。ガタの阿呆が全部悪い」
あ、そういえば出かけたのは山縣に頼まれた明太子を買ってきたからだった。
幾久は荷物の中から明太子を取り出した。
皆が夕食の仕度を始める中、山縣はべったりとうつ伏せになって意気消沈中だ。
「えーと、ガタ先輩?明太子買ってきましたよ?」
「……お前のミッションは
成功したが、俺のハートはブロークンだ」
「とりあえず置いておくっス」
言って寝ている山縣の後頭部に明太子の箱を置いた。
「オレ、預かったお金も忘れちゃってたんで、あとで計算してお釣り返します」
「いっくん、もうお釣り貰ってもいいよそれ」
ぶぎゅっと吉田がわざと寝ている山縣の背中を踏みつける。
「そうじゃ。つうか、別に賃金払ってもらってもええくらいじゃ」
更に高杉が山縣を踏んで歩く。
「ほんっと、余計なことばっかりする為にならない先輩だよね、山縣って」
どすんと久坂が山縣の背中に座り、山縣がぎゃああ、という声を挙げた。
さすがに太ってないとはいえ、身長が百八十はあろうかという久坂が上に座ると苦しいらしい。
悶えながら横に転がり、久坂の下から脱出する。
「あれ?山縣先輩いたの?」
にこっと微笑んで言う久坂に、山縣はなにか言いたげにするが、「ふんっ!」と子供のようにそっぽを向いて、自分の席に戻る。
幾久は吉田が配膳するのを手伝い、全員の前に食事が揃った。
「合掌!いただきます!」
「いただきます!」
全員が挨拶して、すぐに食事が始まる。食事中は喋らない人が殆どなので、もくもくと食事をすませて、ぽつり、ぽつりと互いの報告をするくらいだ。
「やでも、ほんとビックリしたよ。いっくんが出かけたって聞いたからさ、てっきり一年の友達と出かけてるもんだとばかり」
吉田に幾久が答える。
「一年は殆ど、片付けするって言ってましたよ」
誘われもしたが、まだ寮に入って間もないので、この土日で片付けるというのが殆どだった。
よっぽど荷物が少ないか、だらしないか、片付けないのはそういう人だろう。
「だよねえ、そっかあ」
吉田がなるほど、と納得する。
「その一年生の貴重な時間をどっかの馬鹿の三年生が奪っちゃってねえ」
ちくりと久坂が山縣のことを言う。
山縣はばつが悪そうに食事をしている。
「ほんっと、馬鹿にも程がある」
高杉もあきれているが、それには嬉しそうだ。
このあたりが山縣の理解できないところと言うか、気持ちの悪いところと言うか。
山縣は三年のくせに二年生の高杉を心酔しきっているので、何を言われても嬉しいらしい。
「ガタ、ちゃんといっくんに謝った?」
吉田の言葉に、山縣は一言「サーセン」と言うが、そこで高杉の拳骨が入る。
「ちゃんと謝れ」
高杉の拳骨が入った途端、山縣はさっと端をおき、幾久の前まで行くと深々と土下座をした。
「ほんっとすみませんでした!反省しております!」
「や、別にいいっすってば」
酷い目にはあったけれど、土下座までされるほどの事じゃない。
この年で迷子になるのは驚いたが、新赤間ヶ関の駅が報国院に近いと勝手に思い込んだのは幾久だ。
あの時点でもうちょっと無茶な行動に出ず、あと駅員さんには正直に『迷子になったので、報国院高校までの正しいルートを教えて下さい』と言えばよかっただけの事だ。
迷子になったのが恥ずかしくて変な誤魔化し方をしたせいで、結局間違えてしまった。
幾久が間違えた一ノ宮、住吉神社は確かに傍に学校があったが、報国院ではなく、地元の小学校だった。
説明を誤魔化したせいでこうなったし、携帯を忘れたのも自分なので、自業自得という事もある。
「それに、ちょっと楽しかったし」
幾久の言葉に、山縣が『ほらな!』みたいに勝ち誇った顔をしたので、高杉がもう一度拳骨を喰らわせた。
食事をすませ、いつものように食後のコーヒータイムになった。
そこで初めて、山縣がなぜ幾久に明太子を買わせる羽目になったのか、という事を吉田が尋ねると山縣が言った。
「明太子食っちまったんだよなー、麗子さん宛ての奴」
麗子さん、とはこの御門寮の寮母である、吉田麗子のことだ。五十歳くらいのおばさんだが、料理が上手で優しいおばさんだ。
この御門寮のある敷地内にもう一軒家があり、そこで暮らしている。
基本、土日は麗子さんは休みになっているが食事を作ることも多く、出かける用事があるときなんかは今回のように作っておいてくれる。
つまり、日常でも麗子さんはこの寮に居ることが多いので、荷物、特に食料関係はこちらの寮で受け取っておく場合が多い。
今回山縣が食べてしまったのは、その麗子さん宛ての宅急便だったらしい。
「なんで麗子さんの荷物をお前が勝手にあけるんだよ」
吉田の言葉に山縣が反論する。
「ハァー?お前が宅急便の伝票剥がして明太子だけ俺らの場所につっこんだんだろ?!んなことすっから俺が間違えて食っちまったんだよ!」
「おれそんなことしてない」
吉田もきちんと反論する。
「は?だって伝票が」
「や、だからしてねえし」
「ごみ箱に……」
御門寮の冷蔵庫はかなり大きい。
業務用かと思っていたが、アメリカではよくあるサイズらしい。それを聞いたときアメリカ人どんだけ食うんだよ、と思ったが、当然日本人だらけの御門寮では余裕で使える。
寮生も個人で購入したものは冷蔵庫に入れておくので、『麗子さんが使う場所』と『寮生の個人用』という場所が分かれている。
その冷蔵庫は、内部がきちんと分かれていて、いくつも棚があるのでスペースには困らない。
今回の事件は、山縣が『寮生用』のスペースに好物の明太子があったので、それを食べてしまったが、ゴミ箱の中に落ちている伝票を発見。
明太子は麗子さん宛てだった。
つまり、うっかり誰かが麗子さんの明太子を間違って寮生用のスペースに入れたのが原因。
それで山縣が食べてしまった後に気がついて慌てた。幸い、知っている明太子屋だったので同じものを買ってくれば大丈夫だと判断、幾久に買いに行かせたというオチらしい。
「はあ、でも栄人先輩もやってない、っていうし、じゃあ一体誰が寮生用の場所に、麗子さんの明太子つっこんだんですか?」
「うーん、確かに冷蔵庫に一番触っているのは栄人だし、そういう事するのも栄人しかいないけど、そういう失敗しないのも栄人だし」
久坂がおかしいね、と首をかしげる。
「ひょっとしたら麗子さんが、自分のスペースがいっぱいだから、わしらの方に入れたか、もしくは間違えたか」
高杉が言うが、それでも勝手に食べてしまったのはまずかっただろう。
一応、明太子は幾久が買って来たお陰で無事新しいものがそこにあるので、あまり心配はいらないとは思うのだが、それにしてもおかしい、と全員が首をかしげていると、玄関から声がした。
「ただいまーって、表にバイクがあったけどうさちゃん来てるの?」
寮母の麗子さんの声だ。
「おかえりー」
「ただいまぁ。あらコーヒーのいい香り」
「入れたげる!座ってて!」
吉田がいそいそと麗子のぶんのコーヒーを用意する。
「あのねえ、今日はちょっとお友達とお出かけしててね、おいしいタルトのお店があるっていうから、みんなにお土産かって来ちゃった!あ、沢山買って来たから、うさちゃんの分もあるわよ」
「え、マジで!麗子さんあいしてる!」
丁度全員でコーヒーを飲んでいるところだったのでタイミングはばっちりだ。
幾久も吉田を手伝って皿とフォークを用意する。
「おお!シュークリームあるぞ!」
高杉のテンションが上がる。
「栄人先輩、ハル先輩って、シュークリーム好きなんですか?」
吉田に尋ねると、頷く。
「もうすんごい、大好物。瑞祥も好きでさ、あの二人だったらシュークリーム買っておけば間違いないから」
そういえば、この前久坂がホモのふりをしていたのを謝罪されたときに大量にシュークリームがあったなあ、と幾久は思い出す。
(そっか。あれ、二人の好物なんだ)
へえ、と思っていると、久坂と高杉がちゃっかり先に自分たちの皿にシュークリームを乗せている。
嬉しげな様子に、本当に好きなんだなと思った。
「ああ、そうそう、明太子判った?」
突然の麗子さんの言葉に、コーヒーを飲んでいた山縣がむせた。
「な、なん、な、」
まともに喋れない山縣に代わって吉田が麗子に尋ねる。
「麗子さん、明太子って、この事?」
幾久が買って来た、つまり山縣が勝手に食べてしまった明太子を吉田が冷蔵庫から出して見せると、そうそう、と麗子が頷く。
「それね、
矜ちゃん好きでしょう?だから食べていいほうに入れておいたんだけど判った?」
矜ちゃん、とは山縣の名前だ。
山縣矜次というのが山縣のフルネームで、麗子さんは寮のメンバーを皆、名前かあだ名で呼ぶ。
「は?」
「へ?」
「え?」
「……」
「?」
全員が黙って顔を見合わせて、そして山縣をじっと見る。
「えと。麗子さんが、入れたの?」
「そう。食べていいほうに入れておいたから判ったでしょう?」
「宅急便の伝票……」
「あら?ちゃんと剥がしておいたと思ったけど、剥がしてなかった?」
「いやいやいや、麗子さんはちゃんとしてたよ!大丈夫!ね、ガタ?」
うんうんと山縣が頷く。
「そう、いただきものだけど矜ちゃんがそこの明太子、好きでしょう?だからお昼に食べたらいいかなあっておいといたの。食べなかったの?」
食べてましたよ、しっかりと。
ご贈答用の三百五十グラム、三千七百八十円、大体四本入りのぶっとい明太子をさくっと一人で完食。
「えーと……ありがとうゴザイマス」
山縣はそうお礼をいい、麗子さんはにこにこしていたが、幾久はあっけに取られていた。
「じゃあ、最初から、ガタ先輩の」
「勘違い、だね。や~ま~が~た~」
珍しく栄人も怒っている。そりゃそうか、自分のせいにされたんだもんな。
「……ワリ」
そう言った山縣の脇に強烈なボディブローが叩き込まれ、山縣はしばらくのたうちまわっていた。