右往左往

(1)春の海

「明太子買ってこい」

日曜日の午後になろうかという時間だった。
外見がすっきりスリムな割に中身はばっちりのキモオタ山縣(やまがた)が唐突におかしなことを言うのはいつもの事だ。
またこの三年の先輩は変なネットスラングでも言っているのかと乃木幾久(のぎ・いくひさ)は思い、しばらく意味を考えていた。
結果、何秒か呆然としてしまい黙ったまま立ち止まっていると、ちっと舌打ちしてもう一度、山縣は幾久に言った。
「明太子買ってこい」
やはりその意味が判らなくて幾久はやっと「は?」と聞き返した。
山縣の意味不明な言葉は大抵ネットスラングだったので、てっきり自分の知らない意味があるのかと思って素直に尋ねた。
「それって何のスラングなんですか」
「ちげーよ!明太子買ってこいっつってんだろ!」
なにがスラングだ、と山縣がぶつぶつ言っているのを見てようやっと幾久はそれがスラングではなく、本来の意味しかないことに気づいた。
「えーと、明太子、買ってこい?」
「だから!さっきからそう言ってんじゃねーか!ばっかじゃねえの」
むかむかとした表情で山縣が言い、幾久はやっぱり意味が分からないと思った。
「えーと、なんで?」
「食っちまったから」
「はい?」
「だーかーらー。食っちゃいけねーもん食っちまったの。おまえ明太子買ってこい」
山縣の少ない言葉を考えるとつまり

・食べてはいけない明太子を
・間違えて山縣が食べてしまった
・ので幾久に買ってこいと言っている

と理解できた。
「嫌っす」
「はぁ?」
「なんでオレが行く必要があるんすか?そもそもオレ、明太子売ってる店なんか知らないっすし」
「いや、だって俺ダチと約束あるし」
「またまた」
山縣にろくに友人がいないのはとっくに判っている。
この休日だって、高杉や久坂は出かけたし吉田だってバイトに行っている。
幾久ですら、同級生の桂やらから誘いがあったが、荷物もろくに片づいていないし、この前熱を出して寝込んだから今週は静かにしてろと言われて大人しくしている最中だ。
「なんでまたまたなんだよ」
むっとする山縣に幾久は素直に言う。
「だってガタ先輩、友達なんかいないじゃないっすか。約束とかあるわけないし」
「てめーくそムカつくこと言う奴だな。オンならダチくらいいるわ」
ああ、インターネットのオンラインか、と幾久は納得した。
確かに学校に行っているだけであとはどっぷり引きこもりの山縣の友達なんかインターネット上でしかありえない。
「じゃあ連絡したらいいじゃないですか」
オンラインの友人だというなら、メールでもメッセージでもツイッターでもSNSでも使って連絡すればいい。
その全部を山縣は確かやっていたはずだ。
「だから、いけねえの。今日はギルドの大事な用事があって抜けられねーんだわ。だからおまえに言ってんだろ」
つまりオンラインのゲームでなにか約束があるらしい。
そんなこと幾久には関係ないし、そもそも意味が分からない。
「嫌っす」
幾久はもう一度言った。
「あっそ」
山縣は引き下がる。あれ、めずらしいなーと思っていると山縣が幾久に言った。
「じゃあおまえが代わりにやっといてくれな」
「ハァ?」
「だから。俺の代わりにゲームしとけ」
「意味がわかんないす」
「だってお前が買い物に行かねーなら俺が行くしかないじゃん?じゃあ俺のゲームをお前が代わりにするしかねーじゃん?じゃあしょうがねーじゃん?」
「全く意味が分からないです」
そこになぜ『約束を断る』という選択肢がないのか。
「だからゲームしろって」
「無理っす」
山縣の言うゲームは普通のゲームとわけが違う。
オンラインで、画面の向こうの人と一緒にどうこうというやつで幾久にはそんなゲームをした経験がない。
「じゃあ明太子買ってこい」
「嫌っす」
「わがままな奴だな!」
「どっちがっすか!」
「フィギュア倒した奴が」
山縣の言葉にぐっと幾久は言葉をこらえる。
確かに先日、山縣の大事なフィギュアを棚から倒してしまったことがある。
別に壊したわけではなかったが、山縣には確かに何度か世話にもなっている。
「……オレ、このへんの地理知らないっすよ」
そう言うと山縣はぱっと表情を明るくした。
「大丈夫大丈夫!バスで一本でバカでも判るから」
「バス使うんすか?!」
「使うけどすぐだって。一本だし終点でしかねえし」
まだ報国町に引っ越してきたばかりで地理も詳しくないし、バスなんかよけいに判らない。
だが山縣は平気だって、とうるさそうに言う。
「都会みてーに何本も路線なんかねーし、バス会社も一社しかねえよ。田舎なめんな」
「いや、なめてるわけでは」
ほらよ、と山縣がタブレットを持ってきて画面を見せる。
「ここの路線をずーっと行くだけ。簡単だろ?」
「確かに」
山縣が見せたマップの道路は海岸線をずっと走る、一本の道だ。
「赤間ヶ(あかまがせき)っつうJRの駅があってな、そこ行きのバスならなんでもいいから。あ、これ明太子の金な」
明太子屋のチラシと、現金五千円を渡され、幾久はチラシをじっとみた。
「駅に売ってるんすか?」
「いや、駅のすぐそばにデパートがあんだよ。そこの地下食料品売場に、そのメモの名前の明太子屋があっから、そこでその丸してる明太子ひとつ買ってこい。バスで二十分くらいだから」
デパートの階段下りたら最初に目に入る明太子屋だから!と言われてまあバスで行って帰るだけならなんとかなるか、と幾久は軽く考えた。
「まあしょうがないっすね。いいっすよ、そんくらい」
「そうか!お前はできる奴だと俺は判っていたけどな!」
さっきまでさんざんな言いようだったのに現金な人だ。
まあ恩があるのは事実だからしょうがない。
荷物の片づけといいつつ、元から荷物もそんなにないし、部屋らしい部屋もないので別に片づける必要もないので暇を持て余していたからまあいいか、と幾久は出かける準備をした。


幾久は私服にショルダーを背負い、バス停へ向かう。
「じゃ、行ってきます」
「おう、頼んだぞ。ミッションの成功を祈る!」
びしっと山縣が敬礼をするので、ノリで軽く敬礼をしかえして、幾久は報国寮を出た。



報国寮からバス停は歩いて一分もしない場所にある。
赤間ヶ関という駅は下り方面になるので、向かいの道路へ横断歩道で移動する。
「時間、時間……」
田舎といいながらこの道路は国道だし、報国町は長州市の中でも都会には入るほうなので、そう待たずにバスは来る。
日曜日なので流石に本数は少ないが、それでも十五分も待てばバスは来るので大人しく待っていた。
「あ、丁度あんじゃん、赤間ヶ関駅行」
ちょっと変わったマークが時刻表の前についていたが、まあ大丈夫だろう。
そう思っていた幾久の目の前に現れたのは、思いもかけないバスの姿だった。
「え?ええ?」
一瞬幾久は目を疑る。
なぜなら目の前に到着したバスは、普通のバスじゃない。あろうことか、二階建ての真っ赤な、おしゃれで有名なバスだったからだ。
(どう見てもロンドンバス……だよな?)
どうしてロンドンバスがこんな所に走っているのか全く意味が分からない。
別にあの有名な魔法学校に入学したわけじゃないよな?何なんだこれ?え?城下町だから?とぐるぐる考えていると、ちんちんと鐘を鳴らしながら、ロンドンバスが止まった。
バスの後部から乗務員が降りてくる。
運転手とは別の人だ。
「赤間ヶ関行きでございます」
「……えーと」
確かに目的地までは行くだろうけれど、これってバス賃とか高いんじゃないのかな。
そう思った幾久は乗務員に尋ねた。
「あの、これって普通のバスっすか?」
幾久の質問に乗務員が首を傾げるので、幾久は質問を変えた。
「あの、これって普通運賃っすか?」
幾久の問いに、今度は判ったとばかりに乗務員が笑顔でうなづいた。
「ええ、普通運賃ですよ。快速なので指定の停留所しか止まりませんが」
「あ、大丈夫っす」
どうせ目的地は終点の赤間ヶ関駅だ。
問題はない。
気になったのは運賃だけだ。
「では、三百二十円、前払いになります」
「あ、ハイ、え?」
なんかえらい高いな、と思ったが田舎は交通料金が高いと聞いていたのでそんなものなのか、と思って素直に支払おうとするが。
「えーと……スイカ、使えないっすよね」
「すみません、現金のみになります」
そうだよなあ、ロンドンバスだもんな、とよくわからない納得をして幾久は大人しく現金で料金を支払った。
ロンドンバスは二階建てで、幾久は乗務員が勧めるままに二階へと登る。進行方向に向かって左の窓際の席に座る。幾久が乗り込むと、バスは出発した。


二階建てバスから暇つぶしに外を見ていたが、幾久の目の前に一気に海が広がった。
「わぁ」
思わず声があがった。窓から見える風景は、びっくりするほどきれいだった。
一面に広がる水面には明るい日差しが反射してきらきらしている。左手方向には海の向かいに島らしきものがあって、たくさんの大きなクレーンが首をもたげている。
こちらの道路は本当に海岸ぎりぎりを走っている。
二階で高さがあるから余計にそう感じるのかもしれない。
「すげ」
湾は狭く、向こう岸まで泳いでいけそうな狭さの間を大きな船が行き来している。
(そういや、世界一狭い海峡って言ってたっけ)
ということは、向かいに見える島らしいものは九州か、と幾久は気づいた。
(え?あんなに近いの?マジで?)
地図で見る本州と九州はちゃんと離れていたのに、目の前に見えると嘘だ、という気もする。
その気になれば泳げそうでもある。本当に近い。
歩道は海と道路の境目にあるが、両手を広げたくらいの幅しかない。
こちらの岸はごつごつした岩だらけで、でも歩道からすぐに海へ降りられそうだ。
実際、歩道のわきから釣りをしている人も数人居た。
(すげえなあ)
バスが進むと目の前に橋が見える。
岸壁の上から向こう岸まで、つまりこちら本州とあちら九州にかけて大きな橋がかかっている。
(あれが関門橋かあ)
橋の近くには海底トンネルの入り口があり、その向かいはなぜか大砲と銅像がある。
(えーと、そうだ、壇ノ浦!)
だったっけ?と幾久は首をかしげる。
平家と源氏の戦いがあって、あれ、でもその時代って大砲ないよな?
まあいいや、と幾久は景色を眺める。
海岸線は見ているだけでおもしろかった。
海の上に行き交う船の種類はたくさんあるし、見たことのない変わった船もたくさんいる。
漁船らしき小さい船とタンカーもいたりするが大丈夫なんだろうかと心配になる。
そのくらい近い場所でどちらもすれ違ったりしているのだから、はらはらしてしまうが心配は必要ないようだ。
関門橋の下をバスから覗き込んだが、お台場のレインボーブリッジと似たような構造で、あそこに電車とかモノレールとか通ってたら眺めがいいだろうなあ、なんてことを考えた。


関門橋をすぎると海から少し離れて、海岸線そのものは見えなくなったがやはり町並みはいかにも港町、といった感じだった。
横浜のようにひろびろとした雰囲気はないが、向こうに九州が見えるし、大きな水族館もあったりした。
煉瓦の建物もあった。
街中に入ると道路もかなり広く、ビルも多い。
(馬鹿にしてたけど、まあ都会じゃん)
学校がまったりした所にあるので田舎だと思い込んでいたが、街中は東京とそこまで変わるか?というレベルだった。
確かに銀座のように、ブランド店がひしめきあい、看板が並び、みっちりと店が詰まり、人が大勢歩いているわけではないけど、建物がそこまで小さいとか、すさまじく田舎とか、そんなことはない。
ビルはちゃんとおおきなビルがたくさんあるし、それなりの企業も入っているっぽい。
なにより、道路がすごく綺麗で広い。
(……田舎じゃないじゃん)
下手したら東京の別の地区のほうより綺麗だしちゃんとしてる。
最初の印象が悪すぎたせいで、ど田舎だと思い込んでいたが、バスでちょっと出ればちゃんと都会らしい場所もあるのかと納得した。
外を眺めていると、大通りから見慣れない建物を見つけ、幾久は船の関係かな、と思い写真にとろうとした。そういえばさっきの海岸線も興奮してみるばかりで写真に撮らなかった。
おしいことをした、と思いながら背負っていたショルダーを下ろして携帯を取り出そうとした。
「……あれ?」
ごそごそとバッグの中を探る。
「あれ?マジで?」
まずい。
どうやら携帯を寮に忘れてきたらしい。
急にざあっと不安になった。
なにかあっても携帯で連絡すればいいと思って引き受けたのに。
(やばいまずい。でもまあ、なんとかなる、だろ)
山縣の言うとおり、バスは海岸線を一直線で、どこかで曲がることもなかった。
寮から考えれば、いつも通る国道をそのまま進んでいるだけなので、迷うこともないだろう。
そう考えるとまあいいか、という気持ちになった。


ロンドンバスは無事、赤間ヶ関駅前に到着した。
成る程、駅の傍にデパートがあり、かなり大きな建物が連なっていた。
バス停でバスを降りると、ロンドンバスは折り返し運行になった。幾久が乗ったときはすんなり乗れたし、そこまでの人もいなかったが、観光でも使われているらしい、けっこうな人が並んで写真を撮ったり賑やかだ。
そそくさとバスを降り、デパートへ向かう。
駅前はさすがに人通りはかなりあった。
(田舎田舎って馬鹿にしてたけどそうでもなかったんだな)
通っている場所と住んでいる寮が郊外チックなだけで、実際そこまで田舎じゃなかったのかと反省した。
さて、携帯はないので山縣に確認することもできなかったのだが、一応明太子屋の名前とパッケージはなんとなく覚えている。
(折角携帯でパッケージ撮ってたのに意味なかったなあ)
物覚えのいい自分に安堵しつつ、デパートの地下へと降りる。
降りてから少し食料品店をうろついてみた。
明太子屋はいくつかあった。だが、肝心の、山縣の言っていた明太子屋が存在しない。
(あれ?オレ、覚え間違えた?)
記憶力にはけっこう自信がある。だけど幾久の記憶の中にある文字はここに存在しない。
おかしいな、と他の明太子屋を何度もうろついていると、三角巾を頭に巻いた売り子のおばちゃんに話しかけられた。
「どうしたの坊ちゃん。なにか探してるの?」
坊ちゃん、と言われたことにはあえて触れず、幾久は頷いた。
「明太子を探してるんですけど……このデパートって、ここしか食料品おいてないんですよね?」
「はぁー、デパートの食料品ったら、ここだけになるねえ。スーパーなら、あーっちの方に地下があるけど」
確かに山縣はデパート、と言っていたしデパート名もあっている。間違いなくここだ。でも店がない。
幾久は、店の名前を思い切って出してみた。
ご存知ないですか、と尋ねると、売り子のおばちゃんは、傍に居た別の販売員のおばちゃんと顔を見合わせた。
「あー、そりゃ、こないだ引っ越したばっかりだわ」
「へ?」
明太子屋が引越し?と幾久は首をかしげるが、親切なおばちゃんは説明する。
新赤間(しんあかま)のほうに、イズミシティっていう、大きな複合施設ができたでしょう?」
なんだそれ、と幾久は首をかしげる。
「すみません、判りません」
「ありゃ、地元の人じゃないんかね」
「引っ越してきたばかりなんです」
「ああー、そりゃ判らんよねえ。どうする?この明太子なら、その店と味が似てるけどねえ」
いや、勝手に食べてはいけないものを食べてしまった山縣のアリバイを完全なものにするためには、全く同じものを買わないといけない。
「どうしてもその店のが必要なんですけど……どうやったら行けますか?」
ここのJRの駅は赤間ヶ関なので、『新』赤間というならすぐ近いだろう。
一駅なら歩けばいいや、とそう思っていたが。
「バスも行けるけど、引っ越してきたばかりならどうかねえ」
おばちゃんたちがわやわやと話をしだす。
「あ、それなら電車で移動して新赤間ヶ(しんあかまがせき)駅の新幹線口に行ったらいいよ。あそこからイズミシティまで、直行のバスが出てる」
「そうなの?」
幾久ではなく、隣のオバチャンが食いついてきた。
「そうよ、駅からけっこうあるでしょう、あそこ。だからバスが出てるの」
「ああー、そうよねー確かにあれ歩くにはけっこうあるわよねえ」
「車ならすぐだから、判らないけどねえ」
幾久をそっちのけで井戸端会議を始めている。
「えと、じゃあJRに乗って、バスで移動できるんですね。ありがとうございました!」
ぺこりと頭を下げて、幾久はオバチャンたちから逃げ、デパートを出て駅へ向かった。


さっきロンドンバスから降りた場所へ戻り、幾久はJRの駅の中へ入る。
駅は普通の駅で、案内表示板で行き先を確認する。
小銭を入れている小さなポーチから小銭を出して、新赤間ヶ関までの切符を買う。
一応方向と地図も確認すると、新赤間ヶ関の次の駅が長州駅となっている。
確か報国院高校へのJR最寄駅は長州駅だったはず、じゃあ帰りは新赤間ヶ関駅から長州駅までJRで戻ればいい。わざわざこっちに戻って、またバスで引き返すとかえって大回りになるだろう。

幾久は新赤間ヶ関行きへ向かう電車へ乗るため、ホームへと向かった。
ホームは高い場所にあって、回りがよく見えたが、磯臭さにびっくりした。
(海が近いからかなあ)
それにしても、なんというか魚屋のような匂いがしたが、すぐに鼻が慣れてしまったし、電車に乗るとそれもなくなった。
不思議な場所だなあ、と幾久は思う。
港町なら横浜も鎌倉もそうだけど、こんな駅の中が磯臭いなんてびっくりだ。
もっと小さい、いかにも田舎の駅、というか無人駅みたいな場所ならそこまで驚かないのかもしれないけれど。

電車は赤間ヶ関を出て、ひとつとまる。そしてその次が新赤間ヶ関だった。

『次は、新赤間ヶ関、新赤間ヶ関。新幹線お乗換えの方は、出口を左側に……』

引っ越した明太子屋があるという、イズミシティへのバスは新幹線口から、と聞いたので、幾久はそれをしっかり頭に叩き込む。

電車が止まり、新赤間ヶ関駅に到着した。
アナウンス通り左方向へと進むが通路があったが、進んでいくうちに目の前に動く歩道があった。
(うわ、在来線でなんで?)
狭くはあるけど、羽田空港みたいに動く歩道があって、それに乗って移動するようになっていた。
その理由はすぐに判る。
駅の中が異様に長い。
歩道を百メートル程度歩くとさらに動く歩道がある。そこをまだなのか、と思いながら歩いているとやっと降りる場所になり、階段を降りるとようやく改札だった。
駅員さんがいたので切符を渡し、改札を出る。駅構内にはいろいろ店があったが、バス停の場所は看板が出ていたのですぐに判った。
駅前にはなぜか南国によくあるようなソテツが植えてある。やはりこのあたりも南国になるのだろうか。
そしてイズミシティ行きのバスは二十分分待ちだった。おまけに片道百八十円。
(うえ、二十分待ち?!しかも百八十円って……)
待ちたくないし払いたくないなあ、と思ったけれど場所も判らないし、歩くわけにもいかないので暫く待つ事にした。
山縣には明太子+移動の費用で先に五千円貰っているので問題はないと思うが、すぐそばに親がいない状態でお金を使うのは少々気が引ける。
とはいえ、移動しないことには目的が果たせないし、なんだかのども渇いてきた。
駅の周りにコンビにでもあれば、と思ったけれどそんなものがある様子はない。
ただ、駅構内に売店が少し大きく、コンビニっぽかったのでそこに一度戻ってペットボトルのお茶を買った。
一応尋ねてはみたけど、やっぱりスイカには対応していなかった。
(チャージしてある意味ないじゃん)
コンビになら使えるのになあ、と思いながら、お茶を飲みつつ、ぼうっとしてバスを待つ。
デパートでも思ったが、ここのバス停もおばちゃん、おばあちゃんだらけだ。
バスは定時どおりに到着し、おばちゃんとおばあちゃんの中に紛れながら、幾久は目的の『イズミシティ』に到着した。



そこはよくある複合施設でけっこうな大きさだった。ひょっとしたらさっき行ったデパートと張るんじゃないかと思う。
バス停を降りて店に入るとすぐ店内の案内板があったので目的の店を探す。
「……ったあ!」
食料品を扱っているスーパーの近くに、その覚えていた明太子屋の名前がしっかり存在している。
(やったオレの記憶力!)
これでやっと買って帰れる。山縣には文句を思い切り言わせて貰おう。
複合施設は出来て間もないのか、やたら明るくて賑やかで、さっきのデパートより人も多い。
店も新しいせいかお洒落な所が多い気がする。ちょっと店内を見てみたい気持ちになったが、時間をみるともう夕方だ。
知らない場所には違いないし、また今度にしようと思いながら明太子屋へ向かう。
明太子屋は通路のすぐそばで、しかも見覚えのあるパッケージのもの、つまり目的のものがちゃんとあった。昆布入り辛子明太子。しかも小さな丸い桶に入っているご贈答用の品物。
「すみません、これお願いします」
店員さんに言うと、はいはい、とにこやかに対応された。
「三千七百八十円になります」
「はい……」
財布の中を開け、そして幾久の全身から血の気がざあっと引く。
(え?)
出掛けに確かに、山縣に五千円を貰った。だけどその五千円札が見つからない。
(えええええ?あ、そうか!)
その場で思い出したのは、山縣から受け取った五千円と店の名前を書いたメモ、商品名、それを忘れないように自分の携帯の傍に置いて、その時トイレに行ってしまった。その一式をバッグに入れるのを忘れて出かけてしまったのだがら、当然お金もない。
(うわああ、どうしよう!)
焦る幾久に店員が「あの?」と尋ねてきた。
「あ、すいません!」
慌ててありったけのお金を探すと、財布の中に千円札が三枚ある。慌てて小銭入れを探ると、なんとか五百円玉が二枚見えたので、それで支払いをすませた。
「す、すみませんでした」
「いえ、大丈夫ですよ」
さて、受け取ってほっとして、幾久は気付く。
(……やべえ。帰る為の金がない)
明太子は絶対に持って帰らなければならないが、肝心の持って買える足代が足りるかどうかの瀬戸際だ。
財布の中には四百円も残ってない。
ふらふらになりつつ、駅まではバスが出ているし、帰りはJRで一駅だから大丈夫だろうと自分を慰めた。


イズミシティからバスに乗り、十分もしないうちに元来た新赤間ヶ関駅に到着した。
そして幾久は慌てて駅の表示板を見る。
(大丈夫!長州駅まで一駅なら初乗り運賃で百二十円くらいだろうし、だったら乗って帰れる、はず!)
この新赤間ヶ関駅から、寮や学校に最寄のはずの長州駅までは一駅しかない。
絶対に大丈夫!と思って表示を見たのだが。
「百……八十……円……」
ばっと思わず幾久は、さっきお茶を買ってしまった売店を見てしまう。
(さっき買わなければ帰れたのに!オレの馬鹿!まじで馬鹿!携帯忘れてんだから、そこにあった金も忘れてるに決まってるじゃん!でもそのこと自体忘れてたし!ああもう!)
さっきお茶さえ買わなければ、余裕で電車に乗れたのに。
(くっそ……どうするよ)
予定ではとっくに戻っているはずなのに、時間はもう十七時を過ぎている。
こりゃもう歩くしかないかな。そう思って駅員さんに聞いてみたのだが。
「ここから長州駅?そうだなあ、直線だったらそんなにないけどまあ八キロくらいかな。十キロないくらいじゃないか?」
「十キロ?!」
なんだそれ、と幾久はがっくりする。
歩くのは無理だ。
いや歩けないこともないかもしれないけど。
いやまて、確か長州駅は学校からけっこう距離があったはずだ。ひょっとすると、この駅から寮は案外近いかもしれない。
中間地点程度なら三キロ、長くて五キロ、いけないことはない気がする!
そう幾久は思い込んで、駅員さんに尋ねた。
「あの」
報国院高校はどこですか。
そう尋ねようとしてはたと気付いた。
もし、迷子になったことがばれたら絶対に笑われる!そんなの絶対に嫌だ、と思った幾久は、ばれないように言葉を選んでゆっくりと喋った。
「あの、えと、お尋ねしたいんですけど」
「はい?」
「このあたりだと思うんですけど、学校が近くにある神社とか、あります、か?」
学校が近くにある神社なんかそうそうあるわけないだろ。そう思って幾久が尋ねると、駅員さんが言う。
「あるよ?え?観光に来たの?」
やった!と思いながら幾久はうんうんと頷く。
「そ、そう!そうなんです!どうしても行きたくって!」
「あー、だったらこっちより向こうのホームから出たほうが近いよ。駅ならすぐ渡れるけど、下、川があるからねえ。ホームの中ですらけっこう遠いから、駅の中通ったほうがいい」
「通れるんですか?」
どう見ても駅の中だが。
そう覗き込んだ幾久に駅員が言った。
「入場券。百四十円ね!」
たっけぇ。いらない、歩きます。なんて言えるわけもなく、幾久は入場券の代金を支払った。
幾久の残り財産、十二円。








さっき通った駅の長いホームを逆に渡る。
さっき幾久が降りた、イズミシティ行きのバス停があるのは新幹線口で、いま向かっているのは在来線口、となっているらしい。
駅の構造上、新幹線の端から端までの道があるのだけど、新幹線の車両分長さがあるので当然その通路も長い。途中の看板を見たら、全部で二百メートル以上もあった。
(なげーはずだわ。つかなんで半分動く歩道で、半分は歩くんだよ。全部動く歩道にしろよ。つか金がねーのか)
勝手な事を考えているうちにやっと在来線のホーム出口に到着した。
こちらは普通に、こじんまりした小さな駅だ。
これだけの距離に百四十円、とか高いとは思ったが、知らないということは金がかかるものだ。
携帯があったら、すぐに調べられたのに。
また迷うのも嫌なので、一応、こっちの窓口の駅員にも尋ねてみた。
「ああ、学校のある神社?はいはい、一ノ宮さんね。こっから出たら、すぐに信号渡って、渡ったら右に進んで。そしたら県道……大きな道路に出るから、あとはまっすぐ。歩いて十分くらいだよ」
やった!やっぱり大当たりじゃん!
なんだー、オレ、ほんと頭いい!
「ありがとうございました!」
「気をつけてね」
にこやかな駅員さんに手を振って、意気揚々と駅を出た。

県道沿いはそこそこ賑やかで、車通りも多い。
この道ってどこに出るのかな、知ってる場所が見えるのかな、まあ十分歩く程度ならたいしたことないか、学校から寮まで歩いて三十分かからないくらいだし、まあでもいいかとか考えながら歩いていたが。
「……?」
おかしい、とやっと幾久は気付き始めていた。
確かに十分程度歩いているが、見覚えのある場所が全くないし、雰囲気も全然違う。
いやでも学校のある神社って言ってたし、と幾久は神社を目指すが。
『一ノ宮さんね』
「―――――アレ?」
確か、幾久が以前聞いたのが正しいとすると、幾久の通っている報国院高校がある神社は『二ノ宮』って言ってなかったっけ?
ざあっと今日何度目かの血が引いた音がした。
不安なまま歩き続けるうち、疑惑は確信へ変わっていった。
(やばいやばいやばいやばい!っていうか、オレ)
神社に到着した。
目の前にどーんとかまえる、石造りの大きな鳥居。
そして知らない神社の名前。
さすがにここまで来るといくらなんでも自分でも判る。
報国院高校とは全く違う、別の神社だ。
「は、はは……うわぁ……」
(ばっちり、おもいっきり、迷子じゃん!)
もう肩を落して笑うしかなかった。