一陽来復
(2)春の霙
寮に戻ると、制服を着替えた山縣が、居間でゆっくりいちご大福を頬張っている最中だった。
「お前も食う?」
その言葉に、幾久はガッカリする。さっきあんな風に先に帰ったのに、この気まずさのなさはどうだ。
「さっき怒ってたんじゃないんすか?」
「怒ってたけど?」
「じゃ、なんでそんなにフレンドリーなんすか。オレの事嫌いなんすよね?」
幾久の言葉に、山縣が目を見開いて幾久に言う。
「おめ、実はすっげー馬鹿だろ」
「は?」
「いつ俺がお前を嫌いだって言ったよ。いや、嫌いだけど」
「今言ったじゃないですか」
「ちげーよ馬鹿揚げ足とんなよ。いつ俺がお前を嫌いっつったよ」
「さっき。なんか怒鳴ってたじゃないですか」
「はぁ?」
じっと幾久を見て山縣がゆっくりと口を開いた。
「あのさ。お前、話を全部混ぜるのやめてくんね?」
え?と幾久は首をかしげる。
「確かにさっき俺は怒ったけどさ、怒ったのは二年連中にだよ。おめーを甘やかしすぎだっつってな。けどお前にはむかついただけで嫌ってるとか言ってねえだろうがよ」
そういわれて、幾久はさっき山縣が言った事を思い出して反芻してみる。……確かに幾久の事を『嫌い』という単語では言っていない。
「や、でもあの態度だったら普通そう思うっしょ」
「普通ってなにが普通なんだよ。お前の中の普通を俺に押し付けんな」
なぜか、胸がざっくりと切りつけられたように痛む。
じっと幾久を見る山縣は、幾久に指で座れ、と支持する。胡坐をかいた山縣の正面に、幾久は正座した。
「いちご大福、食う?」
「……食います」
昼食前なので空腹だ。
食事をするべきなのだろうけど、ここは山縣の指示に従ったほうがいい気がする。
山縣はいちご大福を皿にふたつ乗せて、幾久の目の前に出した。ちゃぶ台の上に置きっぱなしの湯飲みにお茶を入れる。
「上。ジャケット脱げ。粉落ちたら落ちねーぞ」
大福の白い粉の事だ。幾久は慌てて制服のジャケットを脱ぐ。
大福をもぐもぐやっていると、山縣が言う。
「あのさ、俺、本来こういうの面倒くせえし嫌いなんよな。高杉が関わってないと絶対にやんねえから」
そう前置きをする。本当にこの人は変態的に高杉の事が好きなのだと思う。
「なんかしらねーけど、お前ってさ、高杉とかに特別扱いされてんの。わかる?本来高杉はあんな世話焼きじゃねーの、身内以外。なんでかしんねーけど、それは事実なわけよ」
幾久は素直に頷く。
「それをさ、てめーは当たり前と思ってるかもしんねえけど、けっこう皆、気をつかってんの。俺は使ってねえけどな、お前には」
一々一言余計な人だと思うが、大人しく言い分を聞く。ただ、山縣も幾久に気遣いはしなくても他の、というか高杉には気を使っているのだろう。
「感謝しろって言いたいんすか」
「言ってねえだろ」
山縣が言う。
「んな事言うかよ。俺はただお前が周りに気付いてねーみたいだから報告しただけだろカス。余計なお世話だっていうなら正直にそう言や、あいつらだってお節介しねえよ」
「……もう言ってしまいました」
さっき、吉田に向かってそう言ってしまった
。山縣にまたなにか言われるかな、と思ったが、山縣はやはり幾久の想像とは全く違う事を言った。
「あ、そうなん?じゃそれでいんじゃね?」
「へ?」
「だからお節介ならお節介って言えばいいんじゃねえの。あとは向こうの判断することでお前の言うことじゃねえし」
「は、ぁ」
やっぱり山縣は変だと幾久は思う。
普通は先輩が後輩に気を使っていたら、我慢しろとか感謝しろとか言いそうなものなのに。
「だからさ、ちゃんと言やいーんだよ。あいつにも他の奴にも。お節介ならお節介、ありがたいならありがとう。でねーとわかんねえだろ。いらんお節介やいて、嫌がられるとか罰ゲームじゃん」
「ガタ先輩って実はいい人ですか?」
ちょっと感心して言うと、山縣は言った。
「他のやつなら知らんけど、高杉が罰ゲームになるから口出しただけ。お前が罰ゲーム状態ならむしろ煽って炎上させるわ」
やっぱり山縣は山縣だった。
もぐもぐと山縣はふたつめのいちご大福をほおばると、手をはたいて粉を落す。
「じゃ、俺はもういいから。ちゃんと言えよ」
「え?」
山縣が立ち上がり、幾久の背後を指差した。そこには居間に入ろうか悩んでいる三人が、二人の様子を伺っていた。
「先輩達」
「俺、昼飯いらね。晩飯になったら呼んで」
そういうと山縣はさっと自分の部屋へと戻っていく。入れ替わりで二年生が全員、居間へ入ってきた。
「いっくん、さっきはごめん。おれらが余計な事して」
「あの人数で行くつもりはなかったんだよ。最初は高杉一人のつもりでさ」
「わしが他の連中止めればよかった。すまん」
そう一気に三人に言われて、幾久はもうどうでも良くなった。やり方とかがどうであれ、気を使ってくれたことには違いない。
「明日から一人で帰れますから。あと、オレも言い過ぎました。すいません」
ぺこりと頭を下げると、三人がほっとした顔になっていて、幾久はよかった、と思った。
着替えをすませ、それぞれが少し遅い昼食をとった。
寮母の麗子さんが適当に何品か作ってくれていたのを山縣除く全員で食べ、その後居間で買って来たいちご大福を二年生達が食べながら、幾久もお茶につきあった。
御門寮の繋がりが強い、というのはもうここ数日で幾久もよく理解できるようになっていた。
まず部屋の数が少なく、ドアのついた部屋もすこししかないし、部屋自体が寮のように整っているわけではないので自然集まるのは居間になる。
居間は常に誰か居るので、冷暖房も問題ないし、台所も近いのでお茶やお菓子や食べ物にも困らない。
結局自分の部屋を居心地よくするより、居間を居心地のいい空間にしたほうが早いのでそこに集まってしまうらしい。集まれば自然、話もすれば関わりも深くなる。吉田がけっこういろいろ教えてくれるので、居間に居づらいことはなかった。
「でも勉強とか、どこでするんすか」
寮生全員の部屋を見たが、勉強机らしい机はなかった。山縣だけ、やけに立派なパソコンがあった気がするが、高杉と久坂の部屋は吉田と幾久のように、ただの寝室に過ぎない状態だった。
「図書館とか、あとは居間とか?それと折りたたみの机があるからみんなけっこう好き勝手」
「学校で使うような机もいくつかあるから、何なら倉から出して使えばええ」
出しちゃろうか、と高杉が言うが、幾久は首を横に振った。
「いるならまたお願いします」
どのくらい勉強すればいいか判らないし、報国院は確か学校にも自習室があったはずだ。
それに本当に、あと三ヶ月しかいないなら、わざわざ手間を取らせることもない。
「三ヶ月しかいないからって、変な遠慮はなしね」
久坂が言う。まるで自分の心の中を見抜かれたようでどきっとすると、久坂がやっぱりね、という顔になる。
「いいんだよ。僕らは好きでやってるんだから。嫌ならやってない」
「でも、久坂先輩」
さっき山縣は、久坂が一年生が入ってくるのを嫌がっていた、と言っていた。
「嫌がってたのは事実だよ。でも今は嫌がってないのも事実だし。それにいっくん、三ヶ月しかいないかもしれないならさ、こっちが嫌でも我慢すればいいだけの事だし。あ、でも今はそう嫌でもないよ」
「なんでそんなに、嫌だったんすか?」
一年が嫌で幾久ならいい、という理由が判らない。
なんとなく判るのは、自分たちの空間に他の誰も入ってきて欲しくないという事だろうなとは判る。
「僕、人見知りだから」
ごもっとも、という理由だ。
「あと、高杉ってけっこう好かれるから、そういうのも嫌かなあ」
「え」
久坂はホモではなかったはずだが。そう思ってじっと見つめると、久坂が苦笑した。
「多分いっくんの想像とは違う意味だから」
頷いて吉田が言う。
「高杉ってなぜか男にモテんだよね。で、なんかこう、がっついて仲良くなろうとする奴とか出たりするわけ。妙に目立つしさ」
そういえば、今日も教室に先輩達が来た時に、高杉さんだ、という声を聞いた。ファンでもいるのだろうか。まあたしかに、目立つ風貌ではあるかも、と幾久は高杉を見て思う。普段着は妙に小洒落た服を着ているし、それもチープな感じのものでもない。
持っているものもけっこう値段がよさそうなものばかりだ。
最初に会ったときも派手なオレンジのジャージを着ていた。あれ以外にも、黒だったり鮮やかなブルーだったりのジャージを着ていたので衣装もちなのかもしれない。
吉田が言う。
「とにかく一年が来る=面倒っていうのがあってさ。御門だけじゃないけど、寮の構成上、一年を少なくしたり、多くしたりっていうのはどこでもあるんだ。今回は御門に入れるほどの人数でもなかったし、学校も御門にはあまり入れないようにしてるから、受け入れるかって言われて、面倒だから嫌だって答えたのも事実だし」
「でも、じゃあ、オレは?」
「いっくんはしょうがないっしょ。受験したのが遅かったし、追加の募集で千鳥以外の子が受けるとかまずないし。イレギュラーだったもんね」
じゃあけっこうこっちもばたばたしていたんだな、と幾久は思う。幾久自身、報国院を受けると決めて、この寮に入るまではずっと追い立てられるようにばたばたしていたが、この先輩たちもそうだったのか、と思うと少し申し訳ない気もする。
「まるっきり後輩の事なんか忘れてる時にいきなり『一年生が来るぞ、準備せえ』とか高杉が言うからねー。なんで勝手に決めんだよって正直思ったけど、まあいっくんならいっかって」
幾久がこの寮に来て、嫌だと思ったように、この二年生達もそう思っていたのかと思うと、なんだかおかしな気分だった。
あの歓迎振りはまるで待ってました、といわんばかりだったのに。そういう意味なら山縣の態度はすごく正しかったということだ。
「ガタ先輩って、ぶれないっすね」
「そういやさっき、何の話してたんだよ!めずらしくガタが『こっちくんな』メールなんかするからおれらすごい気になってたんだけど!」
じりじりっと吉田が幾久ににじり寄った。高杉も久坂もじっと幾久を見ている。
「えーと、高杉先輩に迷惑かけるな、的な?」
「うわ。ほんとそれしかないんだアイツ」
呆れた表情で吉田が言う。
「いや、でもいろいろなんていうか、正しい事も言ってましたよ。オレ、納得できましたもん」
言葉は相変わらず悪いけれど、そこに悪気は感じない。変わった人だとしみじみ思う。
「迷惑ならはっきり伝えとけって。で、もう言っちゃいました、って言うとそれでいいじゃん、みたいな」
「ガタらしー」
呆れたような感心したような声で久坂が言った。
高杉は複雑な表情だ。
「ガタはガタでいっくん受け入れてるっぽいし、あとはおれらがあんまりお節介しすぎないようにしとけってことだな。な。ハル」
「……自重する」
吉田と高杉の会話に、久坂はどこか楽しそうな表情で、二人のやりとりを見ていた。
幾久には幼馴染、というものがいないのでよく判らない。ただ、こんなふうに兄弟みたいに付き合えるのは羨ましいなと少し思った。
翌朝は吉田と一緒に登校して、いつものようにヤッタが声をかけてきたので教室へと向かう。
教室にはすでにトシが来ていて、いつものように手を上げる。近づこうとすると、トシが立ち上がった。
「幾久の席に行こうぜ」
昨日、伊藤の席の近くの椅子を借りると不機嫌になったのがいたのを思い出し、幾久たちも頷く。
幾久の席に鞄を置き、弥太郎と伊藤とで喋る。
「昨日、あれから一緒に帰ったんだろ?」
高杉のファンだと公言する伊藤は興味津々で幾久に話を聞いてくる。
「うん、オレちょっと先輩達と喧嘩しちゃって」
「喧嘩?」
驚く弥太郎に、幾久が苦笑する。
「てか、オレが勝手に怒っただけなんだけど。トシがさ、入学式の時に話しかけてきてくれたじゃん」
「ああ」
入学式はクラスごと、その中でも寮ごとに並びが分けられていた。
一人だけ御門の幾久は最後尾だったのだが、その時に話しかけてきてくれたのが伊藤だ。
「トシが話しかけてきてくれたのって、ハル先輩に頼まれてたからなんだろ?」
「……ま、そうだけど」
「それをさ、余計なお節介ってオレがちょっと怒ってさ。ちゃんと誤解だったんだけど」
「どういう意味?」
判らずに弥太郎が尋ねてくる。
「ハル先輩が、トシに『乃木とオトモダチになってやれ』みたいな事を言ったのかってオレが勘違いして、怒った」
「ハル先輩はんな事しねーよ」
むっとして伊藤が言う。
「うん、そうだった。オレの勘違いだった。だからちゃんと謝ったよ」
「俺だって、気にいらねー奴と一緒になんかいねーし。へんな事考えんなよ幾久」
伊藤の言葉に、そうだよな、と幾久も頷く。
「ただ教室に来るのは辞めてくれって言ったけど」
「なんだと?幾久よけーな事を!ハル先輩なら来てもいいっつーの!」
「やだよ、すごい目立つじゃん。そんなに会いたいなら、ハル先輩の教室に行けばいいじゃん、トシ」
「ばっ、お前、鳩ごときが鳳の教室なんか行けるわけねーだろ!空気違いすぎだわ!治外法権だわ!」
でっかい図体の割りに慌てて伊藤が首を横に振る。
「それになんか用事があるわけでもねーしさ。そんなんで顔出しても『帰れ』って言われるだけだし」
「そうかなあ」
確かに高杉はつんけんした雰囲気はあるが、実際はそんな風でもない、と幾久は思っているが。
「お前にはハル先輩甘いんだよ。なんでかな、羨ましい」
「それガタ先輩にも言われた」
「やっぱさ、ジモティじゃないから気になんじゃないの?私立たって、この学校って殆ど地元組ばっかだし。それにいっくんってちょっと見てて世話やきたくなる感じは確かにするし」
「それは確かに」
弥太郎の言葉に伊藤も頷く。
「子供っぽいっつう意味?」
昨日言われたことが思い出されて尋ねると、そうじゃないけど、と伊藤も弥太郎も言う。
「まあいいじゃん、いまはその立場に甘んじとけば。そのうち慣れたら、ちょっとは気を使えよ、みたいになるかもだし」
「そう、だよね」
一年が寮に入らないと思っていたらしいし、先輩たちも幾久の扱いをどうしていいのか判らなかったのかもしれない。
そのうち落ち着くだろうし、どうせ三ヶ月だけの付き合いだ、多分。
(多分?)
多分ってどういう意味だ、と幾久は考える。
(まさかオレ、ここにずっと居るつもりなの?)
いやいやいや、それはないわ、と幾久は思う。
確かに先輩達はお節介でもいい人、らしいし、伊藤も弥太郎もいい奴だ。
でも冷静に考えないと、この先の人生が全部決まってしまう。東京の大学に入るならそれなりの環境にいないと絶対に取り残される。
皆、『鳳』は違うと言うけれど所詮は地方の進学校レベルなら、東京に戻って別の学校を選んだほうが絶対にいい。
考えていると、幾久の机の傍に誰かが来た。ふいっと顔を上げるとそこに居たのは、昨日幾久に『擦り寄り』と言はなったあのクラスメイトだ。なんだ、と思っていると、伊藤に用事があったらしい。
「おはよう、伊藤」
「おお、はよ」
「なに、今日は乃木の机で会議なの」
「んー、まぁな」
伊藤が自分の席でなく、わざわざ幾久の席まで来たのは昨日こいつが不機嫌そうにしたからなのに、何を言ってるんだと幾久は思う。弥太郎も思ったらしい、幾久にちら、と目で『こいつなに?』と訴えている。
「伊藤さ、わざわざ移動しなくても、自分の席に居ればいいじゃん」
「同じ教室だし、わざわざってこともねえよな、幾久」
「あ、うん」
いきなり伊藤に言われて、幾久は頷く。するとそのクラスメイトは一気に不機嫌な顔になる。
「伊藤、気をつけたほうがいいよ。そいつ、お前に取り入ろうと必死だから。擦り寄られんなよ。先輩に遠慮してるのかもしれないけどさ。お前、いい奴だし」
突然そんな事を言われ、幾久はびっくりした。そもそも、クラスメイトといっても名前をまだ認識もしてない程度なのになぜそんな事を言われないといけないのか。伊藤は苦笑いをして、「忠告ありがとな」と答えたが、「でさ」と幾久と話を再開させた。
(……なんだあれ)
ひょっとして、昨日不機嫌だったのは幾久が席を勝手に使っていた事に対してではなく、幾久と伊藤が仲がいいから、なのだろうか。
伊藤を見上げると、苦笑いして伊藤が幾久に言った。
「気にするなよ、幾久。お前、東京からだから、変に注目浴びてんだよ」
「そうそう、どうせそのうち混じるから、気にしないほうがいいよ!」
弥太郎もそう言うが、ありがとう、と言うしかない。
どうしてあんなに露骨に敵意を向けられるのか。東京から来たというだけで、ああまで言われる筋合いはない。
「擦り寄りって何なんだよ」
ぼそっと文句を言う幾久に、伊藤は困った表情になる。
「あー、ハル先輩とか桂先輩とか、鳳クラスって一目置かれてるからさあ、多分そういう意味なんじゃねえの?」
うんうんと弥太郎も頷く。
「雪ちゃん先輩がいると、ついいっくんの話題になるし、雪ちゃん先輩も御門の事聞きたがるし。そういうの、あいつらも聞いてるからさあ」
弥太郎とさっきのクラスメイトは同じ恭王寮だったはずだ。そういう所から情報が入るのだろう。
恭王寮には幾久の事を嫌いな児玉も居たから、余計にそういった事もあるのかもしれない。
こっちだって好きで関わってんじゃない、と思ったが、昨日わざわざ高杉が幾久の教室に顔を見せた理由が少しだけ判った気がした。
(面倒くさいなあ……)
御門に所属するのってけっこう大変なのかも、と幾久はうな垂れた。
今日は土曜日なので午前中で終わりだったが、部活が再開され、学食が開くということなので幾久は伊藤、弥太郎と一緒に学食で食事を取る事にした。
報国院の学食は広く、かなりのスペースがある。
運よく窓際の席が空いていたので、そこを陣取り、三人で定食を囲んだ。
「今日はハル先輩いねえの?」
「さあ。寮に戻ったか、学食に居るかだと思うけど」
高杉を心酔している伊藤は残念がるが、それでも冗談の範疇だ。
「いっくんは今日どうすんの?飯食ったら帰る?」
「うん。いつもと違う道を通ってみようかと。いっつも中の道だから、国道沿いのほう」
中の道、というのは城下町のなかを突っ切る道で、車道もあるが歩道がきちんと確保されている。
通りはほとんどが土塀で緑も多く、城下町らしい街並みだ。
一方、国道沿いは道も広いがかなり車の往来がある。
暫くとはいえここに住むのだから、ちょっとくらい道は覚えないと、と思ったのだ。
「ま、迷うほどの道じゃないしね。城下町って基本、碁盤の目だし。行きたい方向に進めば自然そこに出るし」
「迷ったら学校に戻りゃいいんだよ」
「面倒じゃん」
「じゃ、報国寮に一緒に帰ろうぜ。もう俺、あの寮やなんだよなぁ。慣れるっていうけどさぁ。帰ったらもう出られねーし」
伊藤が言い、弥太郎が続ける。
「それキツイよなー。せめてちょっと出るくらい許せばいいのにさぁ」
「無理無理。だからギリギリまで学校に残るんだよな。部活もちょっと考えねーと、寮に戻って苛々しなきゃなんねえし」
「恭王寮は出られるの?」
幾久が尋ねると、弥太郎が出られるよ、と言う。
「一応許可がいるんだけど、許可取るの雪ちゃん先輩に、だし」
「ああ、じゃあ問題ないよな」
「でも、実は恭王寮の周りってコンビニないんだよ。住宅街の中だしさ。コンビニ行くにもけっこう歩くから、結局学校帰りに寄って帰るからそんな出ないっていうね」
どこもいいところばかりじゃないんだなあと幾久は思う。
暫く食堂で伊藤と弥太郎と喋っていると、幾久の携帯に山縣からメールが入った。
「オレ帰るわ。ガタ先輩から買い物頼まれた」
「おう、気をつけてな」
「二人とも帰んないの?」
幾久が尋ねると、伊藤が頷く。
「教室に戻ってヤッタと喋っとくわ。門限まで寮に戻りたくねーし」
食堂は、食事を済ませたのにまだ出て行かない人も多い。ネクタイを見ると千鳥格子が多く、なるほどな、と幾久は納得する。
「じゃ、また来週にな」
「おー」
「またねーいっくん」
二人と別れ、幾久は食堂を出て歩く。山縣からのメールは『うまい棒買って来い』だった。
そんなの自分で買って帰ればいいのに、と思ったが多分もう寮に戻ってゲームにへばりついているのだろう。コンビニは国道沿いになるので丁度良いか、と幾久はいつもと違う通学路を通って帰る事にした。
コンビニで買い物をしていると、幾久は「うわ」と思った。向こうは気付いていないが、あの「擦り寄り」といちゃもんをつけてきた奴がいるのだ。
向こうは友達らしい他校の生徒と雑誌を立ち読みしながら喋っていたのでこっちに気付いていないらしい。逃げようにも幾久はここしかまだコンビニを知らない。見つからないようにこっそりと買い物を済ませ、店を出ようとしたその時、どん、と肩がぶつかった。
「あ、ゴメン」
見ると詰襟の学生服を着た生徒で、しかもさっき見たあの面倒な奴の友人っぽい。
思わず雑誌の場所を見たが、そいつはいなくなっている。トイレにでも隠れているのかもしれない。
「お、いってーじゃん、なんだよお前」
じろっと幾久を睨み付けてくる。
うわ、面倒なのに絡まれる、と幾久は思い、「すいません」と言いながらコンビニを出て行く。
さっと抜けて、国道への道を進むが、後ろからその生徒たちが追いかけてきた。三人だった。
「おいおい、報国院さんー、なんなの、無視すんなよー」
「ねえねえ、どこのクラスー?」
あいつの友達なら絶対に妙にからんでくるはずだ。
はやしたててくるのを無視して進もうとした幾久の前に一人がぐるっと回りこんできた。
「だから、無視すんなって。一年鳩の、のーぎーくーん」
名札を掴んで言われる。
なんだよこいつら、とムッとして強引に抜けようとしたが、いかんせん体格がそいつらの方が上だった。
「だからさ、逃げんなよ。金とろうってんじゃないんだしさあ」
「そうそう、オトモダチになってよー、擦り寄り上手なんだろ?乃木君」
やっぱりな、と幾久は思う。
擦り寄りなんていうのはあのクラスメイトしかいない。じろっとそいつらを睨むと、詰襟の三人はニヤニヤしながら幾久を小突く。
「擦り寄り上手の乃木君、ねえねえ、俺らさあ、ネクタイないんだけど貸してよ」
言いながら幾久のネクタイを強引に引っ張る。
ばしっとその手を叩いて幾久が言う。
「あんたらにネクタイなんかいらねーだろ」
詰襟でなに言ってんだ馬鹿、と言いそうになったがそこは堪える。
「なに、いいじゃん。どうせ鳩クラスなら大事なもんでもないでしょー」
よく知ってるな、と思うが三人のうち一人がゲラゲラ笑う。
「お前、自分が千鳥しか受かんなかったからって八つ当たりだろ!」
「っせえな!こいつがいなけりゃ俺だって鳩だっつうの!」
その言葉に幾久が返す。
「オレは追加入試だから、オレのせいであんたが落されたとかありえないんだけど」
すると、ネクタイを掴んだ奴が、かっとなって幾久のネクタイを再び掴み、強引に引っ張る。
「やめろよっ!」
「うるせえ!伊藤君とダチになったからって調子こいてんじゃねーよ!」
言われて蹴っ飛ばされ、どすんと尻餅をついた。
そこで初めて、幾久はあれ?と気づく。
(擦り寄りって、鳳とか、ハル先輩に、じゃなくてトシに?なんで?)
「んで、トシが関係あるんだよ」
言うとバッグで殴られる。
「はぁ?とぼけんなテメー!伊藤君に擦り寄りしてんの、ダチに聞いて知ってんだよ!まじふざけんな」
「ふざけてんのはそっちだろ!」
言うと幾久もどすっとタックルをかませる。喧嘩を売ってきたのは向こうのほうだから、こっちに非はないはずだ。
「うわ、なにこいつ!」
「うるさい!ネクタイ返せ!」
言いながらそいつから一度はネクタイをひったくるが、背後から押され、また盗られた。
「、の、っ」
取り返そうとすると腕をひねられ、背中に付けられた。くそ、と思ったが三対一では分が悪い。勝利を確信した詰襟の一人が幾久に近づいた、その時。
「おい、いじめかっこ悪いぞ」
はぁ?と三人が振り向いたとき、そこに居たのは。
「児玉、君?」
幾久にあまりいい印象でない雰囲気の、恭王寮の一年鳳、児玉だった。
しかも以前に見たときより、なんだか表情が凶悪だ。
「なにがいじめだよ」
詰襟が児玉に言うが、児玉は言い返す。
「え?三人相手に一人とかいじめだろ?さっき見てたけど殴ってたじゃん」
「ハァ?てめえなんだよ!」
あーん、と古臭いヤンキーのように顎を上げるが、児玉はこともあろうに、そいつの顎をいきなりひっぱたいた。そんなに効果があったようには見えないのに、ひっぱたかれた方はくらっと足をふらつかせた。
「べつに参加してもいいけどさ」
言いながらいきなり児玉は、詰襟の一人に自分の持っていた鞄を投げつけた。さすがにその乱暴さに幾久は驚いてぽかんとなる。驚いたのは詰襟の三人もだったらしく、児玉の妙な雰囲気にのまれて、慌てて「おい、行くぞ!」と逃げ出した。
「ちょ、ネクタイ置いてけよ!」
幾久は怒鳴ったが、逃げる三人はうるせえバーカ、といいながら最終的にはなにがおかしいのか笑いながら逃げて行った。
その場に残された幾久と児玉は、顔を見合わせた。
児玉の表情が、少し怖い。